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ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化遺産 > 彫刻・絵画・工芸品など > 彫刻 > (南房総市)木造天部形坐像
像高47.2センチ
髪を肩に垂らす女神形の像。大神の衣を右衽に着け、帯を締めて腹前で結び、両端を垂らす。左右大袖の上面にほぞ穴を穿つことから、兜跋毘沙門天を支える地天とわかる。
兜跋毘沙門天像は、西域で成立した特殊な毘沙門天像で、独特の甲冑に身を包む。唐から請来された京都・教王護国寺像がその代表的な作例で、王城鎮護のため、平安京羅城門の楼上に置かれたという。
教王護国寺像の地天は髻を結んで背子を着用し、両側に毘藍婆・尼藍婆を従え、その腰下に涌きあがる雲をあらわす。これとは別に、この像と同様女神形の地天は、岩手・成島毘沙門堂・岩手・藤里毘沙門堂、和歌山・親王院などにみられる。この系統の兜跋毘沙門天像は、いずれも教王護国寺像のような西域風の甲ではなく、中国風の甲をつける。
現状の全容を檜の一材(木心を中央左後方にこめる)から造る一木造の像で、内刳りはない。両手先を亡失し、容貌も目鼻立ちがかろうじてうかがえる程度という状態であるが、平安時代に遡る古像であることは間違いない。頭部が小さく、小作りな目鼻が中央に集まる穏和な容貌から、平安時代後期、12世紀の作とみられる。大袖の形は単純で、しかも袖と肩の境をあらわさない(本来毘沙門天の足先は地天の手、踵は肩を踏む)点に形式化がみられる。
地天の像高から推してこの上に立つ兜跋毘沙門天像は等身大よりやや小さめであったかと考えられる。県内では、千葉市・東光院にほぼ同時期の作例がある。本体が失われたとはいえ、白浜町に兜跋毘沙門天像が存在したことを証する貴重な像といえよう。
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