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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:6070
杖珠院開基で安房里見家初代の義実、二代成義、三代義通、五代義豊の肖像彫刻
各像とも巾子冠をかぶり、袍・袴・沓をつける束帯姿で、左腰に帯刀し、義豊像を除いて笏を腹前で執り、畳座上に坐る。寄木造で正眼を嵌入し、像表面は現状、後補の彩色が施されている。構造は各像とも、頭体別材となる。
里見義実(1417~88)は、鎌倉公方足利持氏の近臣家基を父にもち、永享12年(1440)の結城合戦の際に逃れて野島崎に上陸、当地に勢力を築いたというが、未詳である。二代成義ともども、確実な史料は伝わらない。三代義通の名は、永正五年(1508)銘の鶴谷八幡宮棟札にみえ、また五代義豊(1614~34)は、享禄2年(1529)同宮別当那古寺棟札写しにその名がみえる。
義豊は叔父の四代実堯を討って五代の地位についたが、逆に実堯の嫡子義堯により討たれ、以後里見家当主は義堯の系統により嗣がれる。当寺世代像に四代実堯像が伝わらないのは、こうした経緯が背景にあるために、あえて造立されなかった可能性も考えられ.る。やや簡略な構造と類型化した作風から、制作年代は江戸時代後半と考えられる。
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