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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:6056
像高162.1センチ
両腕を屈腎し、左手は持物を、右手は錫杖をそれぞれ胸前で執り、天衣・偏衫をつけて蓮華座上に右足をわずかに踏み出して立つ、通形の地蔵菩薩立像である。
寄木造で玉眼を嵌入し、肉身部漆箔、着衣部黒漆塗りとする。構造は、頭部を耳後ろを通る前後二材矧とし、体部に差し込む。体幹部は前後左右の四材からなり、これに両体側・背面・両袖部・両手首・両足先等を各別材矧付けとする。像底では前後材のあいだにマチ材を挟み、足柄前半部は前方材より彫出する。像表面・自毫・両手首先・錫杖・光背・台座等を後補とする。また現状、錫杖先端に配される宝珠は、もと左手の持物であったと考えられる。
いくらか頭部を大きめに造るものの、等身に及ぶ大きさの像を破綻無くまとめ、程よく締まった肉付けと適度に整理された衣文の表現をもち、総じて作風は関東の運慶風の伝統によったものであることが明らかである。ことに腹部から足もとに至る衣部や、両袖外側にみられる衣摺の彫技は闊達で、本像の作者の技量が並々ならぬものであることを示している。こうした作風は、13世紀後半の制作と考えられる鎌倉寿福寺像や同覚園寺像に通じ、また右腕を垂下しないで両腕共に屈臂し、左右同じ高さで持物を執る形式もこれらの像と共通する。本像の場合、頭部が体躯に比してやや過大で均衡を失している点を考慮すれば、制作年代は14世紀に入った鎌倉時代末におくのが穏当といえよう。
なお本像の伝来については詳らかではないが、当寺は長尾橋のそばに位置し、近在の下立松原神社から長尾川に出る途中にある。同神社が中世に鎌倉と密接な関わりがあったことから、あるいは本像の伝存についても、何らかの関係があった可能性も考えられよう。
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