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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:6148
江戸時代初期に佐倉城主となった土井利勝が江戸から佐倉までの道を開き、「佐倉道」と呼ばれました。
街道筋は宿場として発達し、特に中期以降は成田山への信仰が流行し、俗に「成田道」と呼ばれるようになりました。
この道標は文政3年(1820)9月に品川宿(現・東京都品川区)の和国屋という宿屋が建てたもので、正面に手の矢印と「なりたミち」左側に「左 米もとミち」と刻まれ、左手の道を行くと米本へ通じます。
(現在、郷土博物館の前庭に展示しています)
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