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ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > その他の文化資源 > ふさの国 今昔 -過去から未来へ- > 16.伊能忠敬の遺書・遺品と香取市佐原の伝統的建造物群
延享2年(1745)に、現在の九十九里町に生まれた伊能忠敬は、17歳で利根川の舟運で栄えていた香取市佐原の伊能家の当主となりました。以来30余年間、家業の繁栄に努め、49歳に隠居した忠敬は、学業の志を実現するため、幕府の天文学者に弟子入りしました。学業に励んだ結果、名字帯刀を認められ、55歳から71歳まで10回にわたって日本列島測量の旅に出ます。そしてわが国初めての全国地図を作成したのです。その正確さは、当時のヨーロッパ人を驚かせるほどでした。わが国を代表する科学者として、忠敬が記した書簡や日誌、測量道具は、現在国指定の重要文化財として、香取市の伊能忠敬記念館において保存・公開されています。
佐原の町中を走る香取街道と小野川沿いには、伝統的な町並みが残っています。この町並みは、中世末期に六斎市、江戸時代以降の河川交通の発達によって形成され、物資輸送の中継地、醸造業の発展、香取・鹿島神宮の参詣で賑わいを見せました。江戸時代後期の地誌『利根川図(とねがわず)志(し)』では、「誠に水陸往来の群衆、昼夜止むことなし」とうたっています。「北総の小江戸」の呼び名は、こうした繁栄に由来します。近代以降は、大型汽船が利根川を往来し、明治31年には鉄道が開通し、多くの物資と人が運ばれました。また、香取地方は、風光明媚な川・湖と筑波山、鹿島・香取神宮の地として、江戸時代から観光地としても知られ、多くの文人が訪れました。
こうした歴史をもつ佐原の町並みは、平成8年に国の伝統的建造物群に選ばれました。小野川の柳並木や船着き場が町屋とともに残り、今でも往時の面影を色濃く残しています。また、この町並みには、夏と秋の祭礼において、佐原囃子の音色とともに豪華な山車が繰り出されます。山車が登場する祭礼として、県内で最も豪華で厳格な祭司組織を継承しており、国の重要無形民俗文化財として指定されています。
伊能忠敬の肖像
小野川沿いの町並み
佐原の山車行事
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