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ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > その他の文化資源 > ふさの国 今昔 -過去から未来へ- > 24.酪農発祥の地と棚田景観
嶺岡丘陵は、南房総から鴨川市にかけて広がり、その山並みに位置するのが「千葉県酪農のさと」です。現在、ここでは木々に囲まれた放牧地で、山羊とふれ合えるなどのどかな風景がひろがっています。
嶺岡丘陵の上には、戦国時代(16世紀)、安房地方の戦国大名・里見氏により軍馬を育成する「牧」が作られましたが、慶長19年(1614)、里見氏の改易に伴い、その牧は江戸幕府の管轄下に置かれました。8代将軍・徳川吉宗の「享保の改革」では牧の整備が行われ、牛酪(ぎゅうらく)(バターのような乳製品)を作るために、インドから輸入された白牛(はくぎゅう)3頭が放牧されました。これが、我が国の酪農業の発祥となりました。明治時代には、一時、民間に払い下げられましたが、明治44年(1911)に千葉県に移管され、千葉県種畜場嶺岡分場が発足し、現在の「千葉県畜産総合研究センター嶺岡乳牛研究所」や平成7年に併設された「千葉県酪農のさと」につながっています。
しかし、嶺岡丘陵の歴史は、牧だけではありません。丘陵内からは、鈴を付けた銅製の鏡「鈴鏡(れいきょう)」、奈良時代(8世紀)に作られ、緑・黄色と透明な釉薬をぬった陶器「奈良三彩」などが出土しており、古代から特別な場所と考えられていたようです。嶺岡丘陵の北側、鴨川市の大山には、奈良時代に大山寺(おおやまでら)が開かれたと伝えられ、雨乞いの聖地として信仰を集めてきました。現在も、鎌倉時代に作られた不動明王像(県指定有形文化財)が本尊として安置されています。この大山寺近くの丘陵には、斜面にそって大山千枚田(おおやませんまいだ)(県指定名勝)の棚田が開かれ、初夏には緑の稲の苗が広がり、秋には黄金の稲穂が波打つ美しい情景が見られます。千枚田に隣接する大田代(おおたしろ)の集落の名は、貞和2年(1346)に大山寺へと水田を寄進した文書(安田文書・県指定有形文化財)に記されており、大山千枚田も古くから開かれていたのかもしれません。
嶺岡丘陵周辺には深山幽谷の風景が広がり、古代以来、聖地とされた長い歴史があると同時に、中世以来、丘陵の地形を巧みに利用して牧や棚田といった生産の場となっています。現在も、この風景は、開発の影響を受けず伝統的な状態が残されており、南房総の古代以来の長い歴史を物語っています。
白牛と千葉県酪農のさと
大山の千枚田
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