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ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > その他の文化資源 > ふさの国 今昔 -過去から未来へ- > 12.浦安の干潟と東京ディズニーランド
東京都と千葉県の境を流れる江戸川は、東京湾に多量の土砂を運び、その河口には遠浅の海と広大な干潟が作られれていました。この海は、江戸川の淡水と海水が混じり合い、江戸時代以来、豊かな漁場となっていました。ボラ、マイワシ、クロダイ、マコガレイ、シロギスの他、今では、絶滅に瀕しているアオギスの漁場としても有名で、この他、ハマグリやアサリの貝漁も盛んでした。この貝を使った「佃煮」は、浦安の名産でした。また、明治時代には、海苔養殖も開始され、大都市の江戸・東京に新鮮な魚介類を提供する、都市近郊の漁港として大いに栄えました。
ところが、戦後、東京近郊の都市化が進み、海の環境が悪化し漁獲高は減少に向かいました。そして、昭和39年(1964)には、舞浜地区を含む第1期の埋め立て工事が開始され、昭和46年(1971)に漁業権を全面放棄し、漁業の街・浦安の歴史は閉じられました。
その後、昭和44年に東西線、昭和63年に京葉線が開通し、浦安は東京に接したベッドタウンとして新たな都市へと生まれ変わりました。そして、昭和58年、第1期の埋め立てで作られた舞浜地区に、東京ディズニーランドが開園、隣接してホテル群が建設され、ベッドタウンに新たな要素が加わりました。平成13年には併設された東京ディズニーシーも開園し、国内はもとよりアジアを中心に海外からも多くの人々が訪れる、日本を代表する一大レジャーランドとなっています。
江戸と東京に隣接する浦安は、江戸時代から明治・大正時代には豊かな海の幸で栄え、昭和から平成にかけては、東京のベットタウン、東京ディズニーランドの所在地として栄えています。浦安の歴史は、江戸川河口の遠浅の海を舞台とした、繁栄の歴史と言えるでしょう。
浦安沖の貝漁風景
投網漁の風景
京葉線舞浜駅と東京ディスニーランド周辺
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