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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:353922
掲載している内容は、市町村から提供のあったものです。
内容の詳細については、お手数ですが、各市町村へお問い合わせください。
種別 | 名称 | 所在地 | 概要 |
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加曾利貝塚 | 千葉市 | 世界一大きな貝塚。 | |
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お茶の水 | 千葉市 | 千葉常胤はこの水で源頼朝に茶を献じたという。 |
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千葉城(猪鼻城)土塁跡 | 千葉市 | 大治元年(1126)千葉常重が築城。 |
上総国分寺跡 | 市原市 | 全国で3番目の規模。 | |
上総国分尼寺跡 | 市原市 | 中門と回廊を復元。資料館あり。 | |
二子塚古墳 | 市原市 | 古墳時代中期前半(5世紀前葉)を代表する古墳。 | |
姉崎天神山古墳 | 市原市 | 全長130メートルの前方後円墳。 | |
神門5号墳 | 市原市 | 東日本最古の古墳。 | |
菊間天神山古墳 | 市原市 | 6世紀前後の円筒埴輪が出土。 | |
姫宮古墳 | 市原市 | 古墳時代後期の前方後円墳と推定される。 | |
吉野1号墳 | 市原市 | 古墳時代後期の前方後円墳と推定される。 | |
鶴窪古墳 | 市原市 | 古墳時代後期の前方後円墳と推定される。 | |
六孫王原古墳 | 市原市 | 古墳時代終末期の大規模な前方後円墳。 | |
奈良の大仏 | 市原市 | 将門伝説の残る地で、等身大の釈迦如来立像を中心に参道の桜並木を含む名勝。 | |
旧陸軍演習場内圍壁 | 習志野市 | 日本陸軍演習地の名残。 | |
鷺沼古墳 | 習志野市 | 保存された石室を見ることができる古墳。 | |
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騎兵旅団発祥の地 | 習志野市 | 騎兵第一・第二旅団司令部跡地の記念碑。 |
七百餘所神社古墳(市指定文化財9) | 八千代市 | 直径20メートル、高さ3メートルの円墳。 | |
根上神社古墳(市指定文化財10) | 八千代市 | 全長50メートルの前方後円墳。八千代市内最大。 | |
伝・村上綱清の墓石 | 八千代市 | 米本城主・村上綱清の墓という。 | |
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吉橋城跡 | 八千代市 | 地元で香取山と呼ばれている中世・戦国時代の城跡 |
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米本城跡 | 八千代市 | 村上国清・綱清が城主といわれる中世・戦国時代の城跡 |
明治天皇船橋行在所 | 船橋市 | 明治6年(1879)の明治天皇来県を記念した石碑。 | |
観信の墓附木造地蔵菩薩坐像 | 船橋市 | 江戸時代の木喰僧の墓。 | |
俳人齋藤その女の墓 | 船橋市 | 天明元年(1781)頃、大穴村に生まれた女流俳人。 | |
船橋御殿跡 附東照宮 | 船橋市 | 鷹狩りに出掛ける徳川家康・秀忠が宿泊した御殿跡。 | |
葛羅の井 | 船橋市 | 平忠常の父、忠頼の産湯を汲んだという伝説あり。 | |
鐘楼堂跡 附和時計 蜀山人筆 | 船橋市 | 江戸幕府から認められた「時の鐘」。 | |
習志野地名発祥の地 附明治天皇駐蹕之処の碑 | 船橋市 | 明治6年、明治天皇から「習志ノ原」の名を賜る。 | |
成瀬氏の墓 附墓誌 | 船橋市 | 徳川家康から栗原郷など4千石を与えられた。 | |
飛ノ台貝塚 | 船橋市 | 縄文時代早期の集落跡。博物館あり。 | |
堀之内貝塚 | 市川市 | 縄文時代の堀之内式土器の標式遺跡。 | |
姥山貝塚 | 市川市 | 考古学研究の歴史に残る数々の発掘成果。 | |
下総国分寺跡 | 市川市 | 天平13年(741)聖武天皇の命令で建立。 | |
下総国分尼寺跡 | 市川市 | 国分尼寺を表す遺物として「西寺」、「尼寺」と書かれた墨書土器がある。 | |
曽谷貝塚 | 市川市 | 縄文時代の馬蹄形貝塚としては日本最大級。 | |
狩野浄天夫妻墓石・供養塔 | 市川市 | 谷地川から浦安に流れる灌漑用水路建設の功労者。 | |
本阿弥家分骨墓 | 市川市 | 法華経寺にある刀剣鑑定の名家、本阿弥家の墓。 | |
小笠原政信夫妻供養塔 | 市川市 | 総寧寺にある関宿城主・小笠原政信夫妻の五輪塔。 | |
本阿弥光悦分骨墓 | 市川市 | 江戸時代初期の大芸術家、本阿弥光悦の分骨墓。 | |
美濃輪台遺跡B地点 | 市川市 | 縄文時代早期の炉穴を検出。 | |
須和田遺跡 | 市川市 | 弥生文化をいちはやく受け入れた遺跡の一つ。 | |
下総総社跡 | 市川市 | 下総のご神体を合祀した神社跡。 | |
鬼高遺跡 | 市川市 | 古墳時代の海辺の生活の様子がわかる貴重な遺跡。 | |
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市川関所跡 | 市川市 | 明治2年(1869)に廃止。 |
旧徳川昭武松戸別邸(戸定邸)庭園 | 松戸市 | 水戸徳川家第11代当主徳川昭武の別邸として、明治16~17年にかけて建築された。 | |
二十世紀梨誕生の地 | 松戸市 | 「二十世紀梨」が誕生した記念の地。 | |
秋山夫人の墓所 | 松戸市 | 甲斐武田家の家臣秋山虎康(とらやす)の娘で、後に小金3万石の領主となる徳川信吉(のぶよし)の母。 | |
高城氏の墓所 | 松戸市 | 松戸市域を中心とした東葛地方の大部分を支配していた、戦国時代の豪族の墓所。 | |
桂林尼の墓所 | 松戸市 | 高城氏当主の妻「桂林尼」を弔うために子息が建立。 | |
経世塚 | 松戸市 | 天文7年(1538)の第一次「国府台の戦い」での戦死者を供養した塚。 | |
河原塚1号古墳 | 松戸市 | 古墳時代中期(500年ころ)に造られた、直径約26mの円墳。 | |
河原塚4号古墳 | 松戸市 | 古墳時代中期(500年ころ)に造られた、直径約22mの円墳。 | |
幸田貝塚 | 松戸市 | 6,000年前の縄文時代前期に形成された貝塚。 | |
藤ヶ谷十三塚 | 柏市 | 13基の塚全てが完全な形で残っているものは、県下ではこれだけで、全国的にも稀少です。 | |
北ノ作1・2号墳 | 柏市 | 小型の前方後方墳ですが、その内容から県内の代表的な前期古墳群の一つ。 | |
今谷刑場跡 | 柏市 | 江戸時代末期から明治時代初期の刑場跡。 | |
宮根遺跡 | 柏市 | 縄文時代後期から弥生時代後期にかけての住居跡発見。 | |
松ヶ崎城跡 | 柏市 | 戦国時代(15世紀後半~16世紀前半)の中世城跡。 | |
金毘羅宮と大沼枕山碑 | 柏市 | 幕末の嘉永5年に造立された金比羅宮とその由来などが刻まれている碑。 | |
- | 酒井根の合戦場跡 | 柏市 | 太田道灌と千葉孝胤が北総の利権をめぐって戦ったと言われる。 |
- | 増尾城址 | 柏市 | 鎌倉時代から戦国時代にかけて築かれた城山の跡地 |
- | 戸張一番割遺跡 | 柏市 | 手賀沼周辺で最も早い古墳として注目 |
- | 弁天古墳 | 柏市 | 川を強く意識して造られたと推定。 |
- | 花野井大塚古墳群 | 柏市 | 出土した単甲は県内でも9例で珍しい。 |
- | 原1号墳 | 柏市 | 珍しい魚形埴輪が出土。 |
- | 船戸37号墳 | 柏市 | 古墳集中度では手賀沼周辺で最も高い場所。 |
山崎貝塚 | 野田市 | 縄文時代中期後半から晩期中頃の貝塚。史跡公園。 | |
高梨氏庭園 | 野田市 | 江戸時代から醤油醸造業を営んでき高梨氏の庭園。 | |
野田貝塚 | 野田市 | 縄文時代後期の馬蹄形貝塚。 | |
中根八幡前遺跡 | 野田市 | 古墳時代初頭の集落跡。 | |
野田の醤油発祥地 | 野田市 | 永禄年間(1558~70)に始まったという。 | |
岩名古墳 | 野田市 | 古墳時代後期の円墳。 | |
関宿城跡 | 野田市 | 長禄元年(1457)、簗田氏に築城が始まりとされる。 | |
利根運河 | 野田市 | オランダ人技師ムルデルが設計した利根運河。 | |
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近藤勇陣屋跡 | 流山市 | 近藤勇が最後に陣を敷いた場所。近藤勇陣屋跡の碑。 |
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小林一茶寄寓の地(一茶双樹記念館) | 流山市 | 俳人小林一茶の下総地方における拠点の一つ。 |
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杜のアトリエ黎明 | 流山市 | 洋画家笹岡了一と秋元松子のアトリエ。 |
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東深井古墳群 | 流山市 | 前方後円墳1基と円墳の13基が残る。 |
水神山古墳 | 我孫子市 | 5世紀頃の前方後円墳。市内最大・最古の古墳。 | |
日秀西遺跡(相馬郡衙正倉跡) | 我孫子市 | 8~9世紀の相馬郡の役所の倉庫。 | |
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旧武者小路実篤邸 | 我孫子市 | 「新しき村」の発会式を行った家。 |
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嘉納治五郎農場跡 | 我孫子市 | 講道館を開いた嘉納治五郎の農園跡。 |
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中 勘助仮寓跡 | 我孫子市 | 夏目漱石門下の一人が寄寓。 |
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嘉納治五郎・柳 宗悦別荘跡 | 我孫子市 | 嘉納は宗悦の叔父。 |
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瀧井孝作仮寓跡 | 我孫子市 | 大正11年から12まで居住。 |
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旧村川別荘 | 我孫子市 | 西洋古代史の大家、村川堅固の別荘。 |
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志賀直哉邸跡 | 我孫子市 | 大正4年から12年まで居住。 |
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中野治房邸 | 我孫子市 | 手賀沼の水藻研究で理学博士となった治房の邸宅。 |
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松岡(柳田)邸 | 我孫子市 | 柳田國男らが青少年時代の一時期を過ごした家。 |
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岡田武松邸跡 | 我孫子市 | 日本気象事業のパイオニアの邸宅跡。 |
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八幡の井戸 | 我孫子市 | 「湖北七つ井戸」の一つ。 |
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順道塚 | 我孫子市 | 芝原城の城代・林伊賀守が自刃した場所という。 |
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将門の井戸 | 我孫子市 | 将門が開いたと伝承される。「湖北七つ井戸」の一つ。 |
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山一林組生糸工場跡 | 我孫子市 | 明治時代市内唯一の近代的工場の跡。 |
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千間堤 | 我孫子市 | 享保12(1727)に完成した手賀沼干拓のための堤。 |
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網代場・なま街道跡 | 我孫子市 | 江戸時代の漁場と、それを運ぶ街道。 |
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根戸城跡 | 我孫子市 | 手賀沼西端、台地突端にある中世城郭。 |
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我孫子中学校校庭遺跡 | 我孫子市 | 4世紀代を中心にさかえたムラの跡。 |
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金塚古墳 | 我孫子市 | 市内で水神山古墳に次ぐ古い円墳。 |
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高野山古墳群 | 我孫子市 | もとは9基だったが、現在は1基のみ。 |
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中峠北2号墳 | 我孫子市 | 利根川から入り込んだ深い谷津(亀田谷)の最奥部台地縁辺に位置。 |
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日立精機2号墳 | 我孫子市 | 旧日立精機工場内にあった古墳。 |
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根戸船戸古墳群 | 我孫子市 | 古墳が作られてから50年ほどの間、墓前祭祀が続けられていたものと推定。 |
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台畑遺跡 | 我孫子市 | 3基の古墳が確認された。 |
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久寺家城跡 | 我孫子市 | 戦国時代末期の築造と考えられている。 |
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芝原城跡 | 我孫子市 | 戦国時代の終わりごろに後北条氏家来の河村氏が居住。 |
下総小金中野牧跡(捕込)(文化財15) | 鎌ケ谷市 | 小金牧の捕込の中で唯一現存しているもの。 | |
下総小金中野牧跡(野馬土手)(文化財13) | 鎌ケ谷市 | 小金五牧のうちの中野牧に属するもの。 | |
牧士三橋家の墓地(文化財23) | 鎌ケ谷市 | 江戸時代に小金中野・下野牧の牧士役をつとめた三橋家10代にわたる墓。 | |
官軍兵士の墓(文化財29) | 鎌ケ谷市 | 慶応4年(1868)に旧幕府軍との戦いで戦死した兵士の墓。 | |
牧士清田家の墓地(文化財34) | 鎌ケ谷市 | 江戸時代に小金中野・下野牧の牧士役を13代にわたって世襲した清田家の墓。 | |
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佐津間城跡(文化財1) | 鎌ケ谷市 | 戦国時代と推定される平山城。 |
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東林跡遺跡(文化財12) | 鎌ケ谷市 | 約2万8千年以上前に形成された旧石器時代の遺跡。 |
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中沢貝塚(文化財17) | 鎌ケ谷市 | 縄文時代後期を中心とした馬蹄形貝塚。 |
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大堀込遺跡(文化財19) | 鎌ケ谷市 | 縄文時代・古墳時代・歴史時代の集落跡。 |
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根郷遺跡(文化財20) | 鎌ケ谷市 | 縄文時代・古墳時代・歴史時代・室町時代の集落跡や墓跡などの複合遺跡。 |
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万福寺境内遺跡(文化財21) | 鎌ケ谷市 | 152基以上の板碑などが出土した中世遺跡。 |
本佐倉城跡 | 佐倉市 | 千葉氏の本拠地の城跡。大部分は酒々井町。 | |
井野長割遺跡 | 佐倉市 | 盛土が古墳のように1つずつ独立して連なっているところが特徴。 | |
長熊廃寺跡 | 佐倉市 | 「高岡寺」の銘のある墨書土器が出土。 | |
旧佐倉順天堂 | 佐倉市 | 佐藤泰然が開いた蘭方医学の病院と塾。 | |
堀田正俊・正睦・正倫墓 | 佐倉市 | 佐倉藩主達の墓。 | |
飯郷作遺跡 | 佐倉市 | 墓制の変遷を知る上で重要な遺跡。 | |
上座貝塚 | 佐倉市 | 縄文時代早期の小貝塚群。 | |
旧堀田正倫別邸庭園 | 佐倉市 | 最後の佐倉藩主・堀田正倫の別邸。 | |
佐倉城址 | 佐倉市 | 千葉一族の鹿島幹胤が築城したという。 | |
- | 江原台遺跡 | 佐倉市 | 縄文時代中期から奈良・平安時代の集落跡。 |
- | 岩名天神前遺跡 | 佐倉市 | 関東地方最古の弥生時代の墓跡。 |
- | 吉見台遺跡 | 佐倉市 | 縄文時代中期~晩期の集落跡。 |
- | 寺崎向原遺跡 | 佐倉市 | 弥生時代後期~奈良・平安時代の集落跡。 |
- | 六崎大崎台遺跡 | 佐倉市 | 縄文時代~奈良・平安時代の集落跡。 |
- | 八木山ノ田遺跡 | 佐倉市 | 仏の顔を墨で描いた土器を発掘。 |
上人塚古墳 | 佐倉市 | 古墳時代終末期の方墳。 | |
山崎ひょうたん塚古墳 | 佐倉市 | 40メートルを超す前方後円墳であったと推定される。 | |
臼井城跡 | 佐倉市 | 臼井氏、原氏の居城跡。慶長9年(1604)廃城。 | |
- | 岩富城跡 | 佐倉市 | 慶長18年(1613)の北条氏転封により廃城。 |
- | 城城跡 | 佐倉市 | 「城」の地名は円城寺、もしくは円城寺氏に因むという。 |
- | 小竹城跡 | 佐倉市 | 12~16世紀の遺物が採取されている。 |
- | 小篠塚城跡 | 佐倉市 | 古河公方・足利成氏が一時期、居を構えたという。 |
- | 江原刑場跡 | 佐倉市 | 佐倉藩の罪人処刑場跡。供養塔あり。 |
- | 佐倉養成所跡 | 佐倉市 | 佐倉藩が開いた西洋式病院の跡。 |
修静居跡 | 佐倉市 | 旧佐倉藩士で明治の道徳家・西村茂樹の寄留跡。 | |
- | 太田図書の墓 | 佐倉市 | 太田道灌の弟(甥という説もある)の墓。 |
- | 川口宗重の墓 | 佐倉市 | 二代将軍秀忠の御家人であった川口宗勝の三男の墓。 |
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伝承桔梗塚 | 佐倉市 | 確認調査により古墳であることが判明。 |
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土井利勝父母夫人供養塔 | 佐倉市 | 土井利勝が養父、養母、正室の菩提を弔うために造立した供養塔。 |
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道誉上人の墓 | 佐倉市 | 増上寺9世の貫主となった道誉上人の墓。 |
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雷電の墓 | 佐倉市 | 側面に妻や娘の名も刻まれている。 |
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青菅の大塚・小塚 | 佐倉市 | 大塚は青菅領主の旗本川口家4代にわたる墓所。小塚は夫人のもの。 |
勝間田の池 | 佐倉市 | 古くからの名勝地として知られ、嘉永3年に編纂された「下総名所図絵」にも記されている。 | |
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加賀清水 | 佐倉市 | その名は、かつて佐倉藩主であった大久保加賀守忠朝に由来する。 |
小野派一刀流流祖小野治郎右衛門忠明・二代小野治郎右衛門忠常の墓 | 成田市 | 小野派一刀流流祖・2代目の墓。 | |
八代玉作遺跡 | 成田市 | 東日本で最初に発掘調査された玉作遺跡。 | |
公津原古墳群 | 成田市 | 総数120基を超える古墳群。 | |
国学者鈴木雅之の墓(市指定文化財45) | 成田市 | 鈴木家累代の墓地内にある。 | |
式内社麻賀多神社(市指定文化財46) | 成田市 | 台方、船形の2社にある。市指定文化財45 | |
利生塔礎石群(市指定文化財47) | 成田市 | 元禄16年(1703)の再建利生塔礎石群。市指定文化財46 |
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経文塚(市指定文化財48) | 成田市 | 享保20年(1735)の碑文あり。市指定文化財47 |
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寺台河岸跡(市指定文化財49) | 成田市 | 江戸時代の成田水運の要地。市指定文化財48 | |
奈土貝塚(市指定文化財50) | 成田市 | 縄文時代晩期の地点貝塚。市指定文化財49 | |
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高岡陣屋跡(「研究紀要28」P22) | 成田市 | 延宝4年(1676)に置かれた高岡藩の陣屋跡。 |
御成街道跡 | 八街市 | 徳川家康が鷹狩のために造らせた直線道路 | |
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陸軍飛行場跡(市勢要覧内) | 八街市 | 昭和16年から終戦まで使用。 |
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軽便鉄道跡(市勢要覧内) | 八街市 | 大正2年(1913)の陸軍大演習をきっかけに。 |
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経塚(市勢要覧内) | 八街市 | 改宗した寺が以前の宗派の経文などを埋めたという。 |
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十文字街道(市勢要覧内) | 八街市 | 天保9年の記録に,幅9尺(約3メートル)の大道とあり。 |
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一里塚(市勢要覧内) | 八街市 | 御成街道に約4.7キロメートル間隔で作られる。 |
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明治天皇御野立所(市勢要覧内) | 八街市 | 明治15年(1882)、近衛兵の大演習を視察。 |
富里牧羊場跡 | 富里市 | 日本最初の「牧羊場」。明治8年(1875)開設。 | |
南大溜袋遺跡 | 富里市 | 縄文時代草創期の遺跡。 | |
中沢城址 | 富里市 | 室町時代後半、千葉氏勢力下の城として築城される。 | |
東内野遺跡 | 富里市 | 旧石器時代の石器1万3千点が出土。 | |
木下貝層 | 印西市 | 基本的には暖流系の浅海性の貝類が多種みられる。 | |
押付の水塚 | 印西市 | 洪水から住宅や生活用品を守るために平地より高く土を盛り上げたもの | |
月影の井 | 印西市 | 「日本三井」の一つ。城主が産湯や行水に使用したともいわれる。 | |
上宿古墳 | 印西市 | 7世紀後半に造られた方墳と推定される。 | |
泉新田大木戸野馬堀遺跡 | 印西市 | 平成17年8月16日指定。 |
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道作1号墳、道作4号墳、道作5号墳 | 印西市 | 印旛沼西岸域で最大の規模。 | |
清戸の泉(附版木) | 白井市 | 竜神伝説をもつ泉。 | |
中野牧野馬除土手 | 白井市 | 保存良好な野馬除土手。 | |
みたらしの池 | 白井市 | 五穀豊穣・無病息災・眼病治療に効果があるという。 | |
今井の水塚 | 白井市 | 河川や湖沼の氾濫から生活を守るために築かれた土盛りや建物。 | |
本佐倉城跡 | 酒々井町 | 文明年間(1469~86)に千葉輔胤が築城。 | |
龍角寺境内の塔跡 | 栄町 | 三重塔と推定される。 | |
岩屋古墳 | 栄町 | 東日本最大級の方墳。 | |
伊能忠敬旧宅 | 香取市 | 伊能忠敬(1745~1818)が17歳から50歳まで30年余りを過ごした家。 | |
阿玉台貝塚 | 香取市 | 縄文時代中期前半の標式遺跡。 | |
良文貝塚 | 香取市 | 千葉県の貝塚としては、初の国指定史跡。 | |
佐藤尚中誕生地 | 香取市 | 佐倉順天堂の佐藤泰然の養子となり業績を残す。 | |
天真正伝神道流始祖飯篠長威斎墓 | 香取市 | 多くの流派に影響を与えたわが国最古の権威ある流儀である天真正伝神道流の流祖、飯篠長威斎家直のもの。 | |
香取市 | 伊能忠敬と親交が深く、儒教、国学、暦学、天文学などに精通し、特に民衆教育に熱心であった久保木竹窓のもの。 | ||
香取市 | 縄文時代中期初頭の下小野式土器の標識遺跡。 | ||
香取市 | 八街・富里・成田・佐原にまたがる佐倉牧の最も北東に位置。 | ||
初代松本幸四郎墓 | 香取市 | 歌舞伎界の名優。延宝2年(1674)生まれ。 | |
神道山古墳群 | 香取市 | 総数30基からなる古墳群。4号墳は町指定。 | |
森山城主東胤頼夫妻の墓 | 香取市 | 五輪塔2基。 | |
橘堰 | 香取市 | 小見川藩主土井利勝が築いた堰。 | |
土井利勝植林指導地 | 香取市 | 慶長年間に小見川藩主土井利勝が植林指導。 | |
山倉の念仏塚 | 香取市 | 農民強訴で村人に代わって遠島に処せられた名主の供養塚という。 | |
稲屋敷 | 香取市 | 朝廷直轄地である屯倉を監督する役所跡と伝承されている。 | |
向油田貝塚 | 香取市 | 縄文時代中期の貝塚。 | |
土井の新堤 | 香取市 | 藩主の土井利勝が築かせた水害防止の堤防。 | |
虚無僧墓 | 香取市 | 仇討ちの途中、返り討ちになった虚無僧を葬った墓。 | |
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上宿台遺跡・大荒久遺跡 | 香取市 | 古墳時代から平安時代にかけての集落跡。 |
- | 津宮遺跡群 | 香取市 | 縄文時代から中近世までの遺構や遺物が発掘された。 |
- | 鴇崎貝塚 | 香取市 | 市内最古の貝塚。 |
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香取街道 | 香取市 | 中世から重要な生活道路。 |
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大崎城址 | 香取市 | 国分氏の居城と伝えられ、古くは「矢作城」と呼ばれていた。 |
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森山城址 | 香取市 | 建保6年(1218)の築城と伝える。 |
西ノ城貝塚 | 神崎町 | 縄文時代早期初頭の貝塚。 | |
鉄牛和尚墓 | 東庄町 | 高さ2メートルの石造無縫塔。 | |
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笹川繁蔵の碑(延命寺内) | 東庄町 | 昭和7年に銚子で発見された遺骨を葬る。 |
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平手造酒の墓(延命寺内) | 東庄町 | 紀州の浪人で、笹川繁蔵の客人。 |
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笹川繁蔵最期の跡 | 東庄町 | 飯岡助五郎一味の闇討ちにより最期を遂げた場所。 |
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勢力富五郎の墓(金毘羅山) | 東庄町 | 笹川繁蔵の一の子分。金毘羅山で自刃。 |
松崎神社と北条塚古墳 | 多古町 | 1,300年前の豪族の墓。 | |
千葉胤直・胤宣・けん族の墓 | 多古町 | 千葉宗家の7基の五輪塔。 | |
木食上人入定塚 | 多古町 | 断食行の後、静かに入定。 | |
中島城跡 | 銚子市 | 千葉一族・海上宗家の居城と考えられる。 | |
余山貝塚 |
銚子市 | 縄文時代後期~晩期の貝塚。多量の貝輪が出土。 | |
野尻古墳群(1号墳) | 銚子市 | 全長35メートルの前方後円墳。市内最大。 | |
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千人塚 | 銚子市 | 難した乗組員の御霊を祀った場所。 |
大原幽学遺跡 | 旭市 | 村の改革に半生を捧げた大原幽学の旧宅。 | |
御前鬼塚古墳 | 旭市 | 海匝地域における最大の前方後円墳。 | |
宗休塚 | 旭市 | 東福寺に阿弥陀如来像、自像を納めた宗休の入定塚 | |
花香安静の墓 | 旭市 | 和算の奥義を究めた花香安静の墓。東福寺境内にあり。 | |
剣持章行の墓 | 旭市 | 和算の大家として関東一円に門人のいた剣持章行の墓。 | |
櫻井の高札及び高札場跡 | 旭市 | 明治初年の建築といわれ、当時の遺構として貴重。 | |
鏑木の古墳群(1)滝台古墳 | 旭市 | 3つの支群に分かれる。築造時期は5世紀末から7世紀。 | |
鏑木の古墳群(2)鏑木大神古墳 | |||
鏑木の古墳群(3)法王塚 | |||
鏑木の古墳群(4)村山法華塚 | |||
鏑木の古墳群(5)泥内古墳 | |||
鏑木の古墳群(6)御塚古墳 | |||
鏑木の古墳群(7)原畑古墳 | |||
鏑木の古墳群(8)干場古墳 | |||
鏑木の古墳群(9)長津念仏塚 | |||
鏑木の古墳群(10)長熊古墳 | |||
木曽義昌公供養塔 | 旭市 | 義昌は木曽義仲から19代目の子孫。 | |
大塚原古墳 | 旭市 | 大友皇子の妃・耳面刀自媛の墓との伝承あり。 | |
三元締の墓(歴史コース4) | 旭市 | 椿の海の干拓事業に尽力した3人の墓。 | |
大阪夏の陣 戦死者墓石(市指定文化財5) | 旭市 | 出佐右衛門の墓。夫人の宝篋印塔と並列。 | |
見広城址(市指定文化財75) | 旭市 | 嶋田三河守の居城。町内唯一の城址。 | |
見広上人塚(市指定文化財76) | 旭市 | 町内唯一の供養塚。 | |
中島城(海上城)主一族の墓石(市指定文化財21) | 旭市 | 千葉氏の支族、海上氏累代の墓。 | |
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桜井城 | 旭市 | 東胤頼の居城と伝えられる。 |
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諸徳持城 | 旭市 | 諸徳持弥四郎左衛門胤直の居城。 |
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長部城(砦跡) | 旭市 | 府馬一族の松沢氏の居城と伝えられる。城内に国指定史跡の大原幽学の旧宅等がある。 |
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鏑木城 | 旭市 | 鏑木氏の居城。東総地方で最も大規模な城。 |
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椎木台城 | 旭市 | 鏑木城の控城。 |
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高根城(丈山砦) | 旭市 | 鏑木城の支城で、高根氏の居城。 |
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飯岡助五郎の墓 | 旭市 | 網元として海岸に護岸を築くなどの功績もあった。 |
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笹川繁蔵の首塚 | 旭市 | 飯岡助五郎の子分に討たれる。 |
飯高寺 | 匝瑳市 | 天正7年(1579)に開かれた法華宗の学問所。 | |
脱走塚 | 匝瑳市 | 水戸藩の諸生派(佐幕派)の戦死者を葬る。 | |
作新精舎跡(市指定文化財6) | 匝瑳市 | 昭和32(1957)年9月1日指定。 | |
知善堂塾跡(市指定文化財7) | 匝瑳市 | 昭和32(1957)年9月1日指定。 | |
前方後円墳(神崎古墳群)(市指定文化財10) | 匝瑳市 | 昭和35(1960)年3月30日指定。 | |
前方後円墳(塚原古墳群)(市指定文化財11) | 匝瑳市 | 昭和35(1960)年3月30日指定。 | |
加納おせんの墓(市指定文化財13) | 匝瑳市 | 昭和41(1966)年12月27日指定。 | |
日祐百座説法塚(市指定文化財40) | 匝瑳市 | 昭和60(1985)年5月23日指定。 | |
日円上人塚(市指定文化財41) | 匝瑳市 | 昭和60(1985)年5月23日指定。 | |
丸山遺跡 | 東金市 | 古墳時代~平安時代の集落跡。 | |
作田東睡の墓碑 | 東金市 | 江戸時代中期、蕉風復興に活躍。 | |
大関城址 | 東金市 | 元久元年(1204)畠山重康が築城したという。 | |
田間城址 | 東金市 | 16世紀頃東金酒井氏領域における東端の「境目の城」として機能か。 | |
櫻木誾斎の墓碑 | 東金市 | 朱子学を納め、東上総地域の庶民を教導。 | |
日殷上人の墓 | 東金市 | 天正11年(1583)、大僧正に任ぜられる。 | |
久我政右衛門の筆塚の碑 | 東金市 | 文化8年(1811)に弟子たちが建立。 | |
大沼田檀林跡 | 東金市 | 法華宗勝劣派の根本道場として全国から学徒が参集。 | |
東金城址 | 東金市 | 東金酒井氏の本城として、天正18年(1590)まで機能していた。 | |
大木忠篤の墓 | 東金市 | 上総道学の大家・稲葉黙斎の門人。 | |
黒田しし穴列 | 東金市 | 江戸時代にイノシシ狩りに使用した陥し穴。 | |
俳人三化と可都良の墓碑 | 東金市 | 江戸時代の著名な俳人。 | |
宮谷県庁跡 | 大網白里市 | 明治元年~4年に置かれた安房上総県の県庁跡。 | |
南玉不動尊の滝 | 大網白里市 | 弘仁3年(812)滝の付近から怪しい放光があったという伝承。 | |
原胤継の墓 | 大網白里市 | 小西城主・原能登守胤継の供養塔。 | |
お塚山 | 大網白里市 | 慶長2年(1597)建立された宝立山方墳寺の跡。 | |
経塚 | 大網白里市 | 改宗に際し、以前の宗派の経典などを埋めたという。 | |
元禄津波の碑 | 大網白里市 | 元禄16年(1703)の大津波の犠牲者の供養塔。 | |
稲葉黙斉の弧松庵跡 | 大網白里市 | 天明元年(1781)に開かれた学舎跡。 | |
伊能忠敬出生地 | 九十九里町 | 延享2年(1745)、小関家に生まれる。 | |
目黒自琢の墓碑 | 九十九里町 | 幕末の優れた儒学者。この地で多くの門人を教育。 | |
歌人伊藤左千夫の生家 | 山武市 | 元治元年(1864)伊藤重佐衛門の末子として誕生。 | |
稲葉黙齋の墓 | 山武市 | 上総道学の中核となった人物。 | |
大堤権現塚古墳 | 山武市 | 標高41mの台地上に所在する古墳。 | |
山室姫塚古墳 | 山武市 | 直径65メートル前後の円墳。 | |
不動塚古墳 | 山武市 | 全長63メートルの前方後円墳。 | |
安井理民出生地・墓 | 山武市 | 明治22年、総武鉄道株式会社を設立。 | |
牧野萬右衛門出生地・落花生栽培発祥地 | 山武市 | 落花生栽培の先駆者。 | |
上総道学発祥の地 | 山武市 | 山武郡一帯の農民に普及した上総道学を記念して。 | |
鈴木荘内(養察)の墓 | 山武市 | 上総道学の塾「姫島学舎」を開く。 | |
和田守道(儀丹)の墓 | 山武市 | 道学を講ずる。 | |
覚眼法印の墓 | 山武市 | 荻生徂徠を援助。 | |
矢原墓地 | 山武市 | 戦国時代の成東城主・成東千葉氏の子孫の墓地。 | |
伊藤家の墓 | 山武市 | 歌人・伊藤左千夫生家、伊藤家の墓。 | |
大高善兵衛の墓 | 山武市 | 凶作・貧困による「間引き」撲滅に奔走。 | |
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朝日ノ岡古墳 | 山武市 | 多数の人物埴輪が出土。 |
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蕪木5号墳 | 山武市 | 全国にも珍しい副葬品が出土。 |
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千人塚 | 山武市 | 元禄の大津波の犠牲者を供養する石碑。 |
殿塚・姫塚(芝山古墳群) | 横芝光町 | 多量の埴輪や副葬品が発見。 | |
海保漁村先生誕生の処 | 横芝光町 | 佐倉藩主・堀田正睦に孔子・孟子を講義した人物の記念碑。 | |
入定塚 | 横芝光町 | 宝蔵寺の住職宥照が入定したとされる塚 | |
小錦八十吉の墓 | 横芝光町 | 異例の若さで横綱に昇進。 | |
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寒風城跡 | 横芝光町 | 千葉氏の一族椎名氏の居城。 |
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小川台古墳群 | 横芝光町 | 前方後円墳を含む総数16基の古墳群。 |
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岩室砦跡 | 横芝光町 | 土塁・空堀・古井戸などが残る。 |
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坂田城址 | 横芝光町 | 15世紀末、千葉氏系の武士団の根拠地。 |
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姥山貝塚 | 横芝光町 | 縄文時代晩期の貝塚。 |
荻生徂徠勉学の地 | 茂原市 | 若き日の徂徠が逆境にあって勉学にいそしんだ地。 | |
宮ノ台遺跡 | 茂原市 | 関東地方における弥生時代中期後半の標式遺跡。 | |
白鳥庫吉生誕の地 | 茂原市 | 東洋史の世界的権威生誕の地。 | |
石神貝塚 | 茂原市 | 考古学史上、著名な遺跡。 | |
常泉桃村三畏塾跡 | 茂原市 | 国学を修めた常泉桃村が開いた塾の跡。 | |
下太田貝塚 | 茂原市 | 縄文時代後期~晩期の低地の貝塚。 | |
東條一堂生誕の地 | 茂原市 | 江戸時代の大儒学者・東條一堂生誕の地。 | |
お馨さん(本名石倉よし)の墓 | 茂原市 | 徳富蘆花「梅一輪」の主人公(本名・石倉よし)の墓。 | |
荻生徂徠母の墓 | 茂原市 | 大儒学者・荻生徂徠の母親の墓。 | |
上人塚 | 茂原市 | 改宗に応じなかった僧とも学徳高い名僧の墓ともいう。 | |
本納城跡 | 茂原市 | 享禄2年(1529)の築城と伝えられる山城。 | |
宮ノ下遺跡 | 茂原市 | 縄文時代の土器が出土。 | |
芥川荘 | 一宮町 | 大正5年(1916)、作家・芥川龍之介が滞在。 | |
貝殻塚貝塚 | 一宮町 | 縄文時代晩期の貝塚。 | |
高藤山城址と古蹟の碑 | 一宮町 | 鎌倉時代の武将、平広常の居城と伝えられる。 | |
加納藩台場跡 | 一宮町 | 幕末に藩主・加納久徴が造らせた砲台跡。 | |
一宮城址 | 一宮町 | 標高30メートルの台地上にある山城。 | |
前田普羅の墓碑及び句碑 | 白子町 | 高浜虚子門下の四天王の一人。 | |
浜宿新田遺跡 | 白子町 | 弥生式土器などが出土。 | |
長柄横穴群 | 長柄町 | 玄室部(墓室)床面は羨道部(入り口)よりも高い位置に築かれている「高檀式」構造。 | |
三山供養塚・供養碑(町指定文化財19) | 長柄町 | 房総半島でも広く信仰された出羽三山の信仰。 | |
安然塚(町指定文化財42) | 長柄町 | 高僧の墓と推定される。 | |
油殿古墳群 | 長南町 | 前方後円墳2基、円墳2基からなる古墳群。 | |
能満寺古墳 | 長南町 | 古墳時代前期の重要な大型古墳。 | |
白井鳥酔の墓 | 長南町 | 元禄14(1701)年地引村の代官の家に生まれ、天明の俳諧復興に大きな功績を挙げた。 | |
安房上総知県事役所跡 | 長南町 | 明治新政府から安房上総知県事に任命された柴山文平は、慶応4(1868)年8月に長南宿の淨徳寺を知県事役所に定めた。 | |
大森金五郎生誕 | 長南町 | 歴史学者・大森金五郎は慶応3(1967)年、又富に生まれた。 | |
旧大多喜街道 | 長南町 | 明治時代の新道開通により旧街道として往時の姿のまま残された。 | |
私立上埴生学館跡井泉 | 長南町 | 明治22(1889)年地元有志の尽力により地方の中等教育機関として今泉に開設された。 | |
私立清和女学院跡 | 長南町 | 明治35(1902)年、地元出身の白井勇次郎によって設立された。 | |
庁南城跡太鼓森 | 長南町 | 長南武田氏の居城。 | |
長南武田氏の墓 | 長南町 | 真里谷城(木更津市)の真里谷武田氏とともに「上総の両武田」と称された戦国大名の墓。 | |
渡辺辰五郎出生地 | 長南町 | 弘化元年(1844)年、矢貫村仲宿(現・長南町長南)に生まれ、日本の裁縫教育に大きな功績を残した。 | |
官軍塚 | 勝浦市 | 明治2年、川津沖で遭難した官軍兵士を埋葬。 | |
勝浦城址 | 勝浦市 | 城郭の形態をなしたのは正木時忠の頃からと推定。 | |
大多喜城本丸跡 | 大多喜町 | 本多平八郎忠勝を初代城主とする近世城郭。 | |
夢窓国師座禅窟(金毛窟) | いすみ市 | 2年半座禅修行。金毛窟の文字は国師自筆という。 | |
発坂峠(指定文化財34) | いすみ市 | 「房総治乱記」などの軍記に伝えられる古戦場。 | |
万喜城跡 | いすみ市 | 土岐氏の居城跡。中世城郭の遺構がよく残る。 | |
半場里丸誕生地 | いすみ市 | 宝暦6年(1756)当地で誕生した俳人。 | |
田丸健良の墓 | いすみ市 | 安永3年(1774)生まれの文化人。著書多数。 | |
東一貫斉の墓及び筆塚 | いすみ市 | 安永元年生まれ文化人。学徳を偲び門人が筆塚建立。 | |
国府台城址 | いすみ市 | 三階氏の居城跡。 | |
旧法興寺浄土型伽藍址(市指定文化財24) | いすみ市 | 奈良時代前期の瓦などが出土。 | |
遠山多嘉の墓(市指定文化財91) | いすみ市 | 多嘉は江戸町奉行・遠山金四郎の後の室。 | |
ドン・ロドリゴ上陸地 | 御宿町 | 慶長14年(1609)、遭難者を村人総出で救助。 | |
里見氏城跡稲村城跡 | 館山市 | 4代義豊(よしとよ)が5代義堯(よしたか)に攻め滅ぼされたいわゆる「天文の内訌」の舞台となったと伝えられている。 | |
神余の弘法井戸 | 館山市 | 弘法大師伝説をもつ井戸。 | |
安房神社洞窟遺跡 | 館山市 | 全長11メートルの海蝕洞窟。古墳時代の人骨22体など出土。 | |
鉈切洞穴 | 館山市 | 縄文時代後期から使われていた海食洞穴。 | |
安房国分寺跡 | 館山市 | 全国的にも珍しい三彩の獣脚が出土。 | |
館山城跡 | 館山市 | 近世大名・里見氏の居城。 | |
雄誉上人墓 | 館山市 | 知恩院第32世となった上人の分骨墓。 | |
大寺山岩窟墓及び出土品等 | 館山市 | 古墳時代中期には墓として使われた海食洞穴。 | |
三義民刑場跡及び墓 | 館山市 | 万石騒動(農民一揆)で3人の名主が処刑される。 | |
大神宮義民七人様の供養碑 | 館山市 | 農民一揆で処刑された7人の供養碑。 | |
やぐら | 館山市 | 鎌倉時代中期~南北朝時代の武士階級の墓。 | |
孝子塚 | 館山市 | 平安時代の親孝行にまつわる塚。 | |
古泉千樫誕生地 | 鴨川市 | 千葉県三大歌人の一人に数えられる小泉千樫の生家があった場所。当時の面影を残している椿の井戸がある。 | |
仁右衛門島 | 鴨川市 | 周囲4kmからなる島で、源の頼朝の伝説で知られ、島主の平野仁右衛門が、代々仁右衛門の名を受け継いでいる。 | |
鴨川大山千枚田 | 鴨川市 | 日本の原風景をとどめる市内最大の棚田。 | |
ロシア人来航の地(「鴨川市天津地区史跡めぐり西コース」内) | 鴨川市 | 元文4年(1739)5月、ロシアの探検隊が上陸。 | |
日本酪農発祥地 | 南房総市 | 享保13年(1728)八代将軍吉宗が白牛3頭を放牧。 | |
加茂遺跡 | 南房総市 | 縄文時代中期の遺跡。出土した丸木舟は日本最古。 | |
古戦場跡、里見氏の墓 | 南房総市 | 里見一族の争いの古戦場と里見義豊、父義通の墓。 | |
加藤霞石翁の宅地跡(市指定文化財2) | 南房総市 | 内容についての詳細は市教育委員会へ | |
頼朝の旗竿藪(市指定文化財3) | 南房総市 | 内容についての詳細は市教育委員会へ | |
郷倉・高札場跡(市指定文化財4) | 南房総市 | 内容についての詳細は市教育委員会へ | |
忍足佐内殉職の地 | 南房総市 | 重税から村民を救うため藩主に訴え、処刑される。 | |
岡本城址・里見公園 | 南房総市 | 北条氏との海戦に備えて作られた里見氏8代里見義頼の居城跡。 | |
里見義頼の墓 | 南房総市 | 45歳で亡くなった里見8代・義頼の墓。 | |
青岳尼供養塔 | 南房総市 | 里見7代・義弘が尼寺から連れ帰って正妻とする。 | |
宮本城址 | 南房総市 | 里見2代・成義が稲村城(館山市)の支城として築く。 | |
幕末砲台跡 | 南房総市 | 弘化4年(1847)江戸湾防衛のため幕府が建設。 | |
弘法大師の芋井戸 | 南房総市 | 弘法伝説が残る井戸。 | |
西春法師の入定塚 | 南房総市 | 高野山で修行した西春が入定したという。 | |
実浄入定塚 | 南房総市 | 疫病から人々を救うため入定したと伝える。 | |
初代里見義實の墓 | 南房総市 | 嘉吉元年(1441)野島に上陸し、白浜を居城とする。 | |
白浜城跡 | 南房総市 | 初期里見氏の本城で、房総における最大級の規模をもつ中世城郭跡。 | |
永野台古墳 | 南房総市 | 安房では珍しく埴輪が出土。 | |
向西坊入定岩窟 | 南房総市 | 赤穂浪士の霊を弔おうと入定。 | |
谷向貝塚 | 南房総市 | 安房郡内には少ない縄文時代の貝塚として貴重。 | |
滝田城址 | 南房総市 | 「南総里見八犬伝」では、八犬伝発祥の地としている。 | |
平松城址 | 南房総市 | 安西三郎影益の居館跡という。 | |
増間廃寺址 | 南房総市 | 開墾中に多量の布目瓦が出土。 | |
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南総里見八犬伝ゆかりの地 | 南房総市 | 「水滸伝」や里見氏の史実を参考にした伝奇小説。 |
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花嫁街道 | 南房総市 | 昔、山間の村から海辺へと嫁ぐ花嫁が歩いた道。 |
源頼朝上陸地 | 鋸南町 | 石橋山の合戦に敗れた源頼朝が上陸した地という。 | |
田子台遺跡 | 鋸南町 | 弥生時代後期の集落跡が出土。 | |
金鈴塚古墳 | 木更津市 | 出土した遺物は国指定。 | |
鳥海酔車の墓(市指定文化財2) | 木更津市 | 江戸時代後期、本格的な地誌を著す。 | |
真武根陣屋遺址(市指定文化財9) | 木更津市 | 徳川幕府の譜代大名・請西藩の陣屋。 | |
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光明寺(与三郎の墓) | 木更津市 | 歌舞伎でおなじみの「切られの与三郎」の墓。 |
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選擇寺(こうもり安の墓) | 木更津市 | 与三郎の相棒。 |
九十九坊廃寺阯 | 君津市 | 7世紀末に郡司(郡の支配者)が創建したと推定。 | |
近江屋甚兵衛墓 | 君津市 | 海苔養殖に大きな功績のあった甚兵衛の墓。 | |
鐘ヶ淵 | 君津市 | 里見・北条の戦いの兵火で九十九坊廃寺の鐘が沈んだという。 | |
八幡神社古墳 | 君津市 | 低地にある墳丘全長77メートルの古墳時代後期の前方後円墳。 | |
道祖神裏古墳 | 君津市 | 4世紀代の築造と推定される全長56メートルの前方後円墳。 | |
白山神社古墳 | 君津市 | 全長約100メートルの前方後円墳。大友皇子の伝説あり。 | |
飯籠塚古墳 | 君津市 | 全長約100メートルの前方後円墳。4世紀後半の築造。 | |
貞元親王墓(君津市の文化財・記念物51) | 君津市 | 清和天皇第三皇子、貞元親王の墓と伝える。 | |
小山野横穴群(君津市の文化財・記念物52) | 君津市 | 7世紀以降の築造と推定される墓。 | |
浅間神社古墳(君津市の文化財・記念物54) | 君津市 | 全長約100メートルの前方後円墳。 | |
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久留里の大井戸・自噴井戸 | 君津市 | 久留里藩は井戸の敷地を免租地とした。 |
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久留里城 | 君津市 | 平将門の三男、東頼胤が砦を築いたのが始まり。 |
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三舟山陣跡 | 君津市 | 北条氏の陣跡という。 |
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秋元城跡 | 君津市 | 永正年間(1504~20)秋元義正が築いたという。 |
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房総往還 | 君津市 | 木更津市桜井~佐貫に至る街道。 |
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久留里道(参勤交代道) | 君津市 | 久留里藩が参勤交代に利用。「殿様街道」ともいう。 |
内裏塚古墳 | 富津市 | 南関東最大の前方後円墳。墳丘全長144m。 | |
弁天山古墳 | 富津市 | 墳丘全長87.5メートルの前方後円墳。5世紀後葉の築造。 | |
織本花嬌の墓 | 富津市 | 小林一茶とも親交があった女流俳人の墓。 | |
絹横穴群 | 富津市 | 岩瀬川流域の丘陵南斜面に開口する横穴墓群。 |
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飯野陣屋濠跡 | 富津市 | 長州徳山・越前敦賀とともに日本三陣屋の一つに数えられる。 | |
大満横穴群 | 富津市 | 昭和55年2月22日指定。番号13 | |
恩田やぐら | 富津市 | 鎌倉時代に丘陵の岩盤を掘りくぼめて造られた上流階級の墳墓。 | |
岩見堂やぐら | 富津市 | 富津市内のやぐらの中でもひときわ荘厳で規模の大きいもの。 | |
三条塚古墳 | 富津市 | 6世紀後半の古墳としては東日本最大。 | |
九条塚古墳 | 富津市 | 6世紀中頃の築造と推定される前方後円墳。 | |
稲荷山古墳 | 富津市 | 周溝を含めた規模では、富津市内の古墳群中最大。 | |
内藤家長の墓 | 富津市 | 徳川家康に仕え長篠の戦い、小田原の合戦で活躍した内藤家長の墓。 |
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松平勝隆の墓 | 富津市 | 高野山の宗教論争を鎮定するなどの功績がある松平勝隆の墓。 | |
小笠原氏の墓所 | 富津市 | 7代221年にわたって富津・新井・西川・本郷村の領主であったおが | |
保科正景の墓 | 富津市 | 歴代飯野藩主の墓は東京都内にあり、市内にあるのは正景の墓のみ。 | |
井上宗端の墓 | 富津市 | 当地方の西洋医学の先駆者としての功績がある井上宗端の墓。 | |
織本東岳の墓 | 富津市 | 俳人織本花嬌の曾孫。 | |
北村角兵衛の墓 | 富津市 | 北村角兵衛は別名栖原(すはら)角兵衛ともいい、代々襲名された。 | |
諸岡太左衛門の墓 | 富津市 | 村民の生活のため一農民の身で直訴した諸岡太左衛門の墓。 | |
岩野平左衛門の墓 | 富津市 | 重罪の取り立てに対し敢然とこれに抗議したため処刑された名主の墓。 | |
原口照輪生誕地 | 富津市 | 成田山中興の祖といわれる原口照輪の生誕地。 | |
阿部正身・正恒の墓 | 富津市 | 廃藩置県まで佐貫藩を支配していた阿部氏の8代・9代目の墓。 | |
上野塚古墳 | 富津市 | 内裏塚古墳群の中では最も北側に位置する前方後円墳。 | |
真福寺筆子塚 | 富津市 | 筆子塚は亡くなった寺子屋の師匠へ感謝の気持ちを込めてその弟子が建立した墓石で、真福寺にあるものは最も古い段階のもの。 | |
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富津公園内の砲台跡 | 富津市 | 明治期に作られた堡塁砲台。現在は県立富津公園に指定されている。 |
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内裏塚古墳群 | 富津市 | 東国の古代史研究上、非常に重要な古墳群。 |
山野貝塚(市指定文化財8) | 袖ケ浦市 | 縄文時代後期~晩期の貝塚。 | |
お紬塚古墳(市指定文化財29) | 袖ケ浦市 | 直径約28メートルの埴輪をもつ円墳。6世紀中頃の築造。 | |
打越北上原古墳群第3号墳(市指定文化財30) | 袖ケ浦市 | 全長44.5メートルの前方後円墳。古墳時代後期の築造。 | |
率土神社南古墳(市指定文化財31) | 袖ケ浦市 | 数少ない帆立貝式前方後円墳。6世紀初頭の築造。 | |
上之山古墳(市指定文化財32) | 袖ケ浦市 | 全長約50メートルの帆立貝式前方後円墳。 | |
松見寺虚無僧墓碑(市指定文化財33) | 袖ケ浦市 | 江戸時代中期の建立。 | |
松見寺神谷転石碑(市指定文化財34) | 袖ケ浦市 | 江戸時代のお家騒動・仙石騒動に関わった神谷転が吾妻神社の社頭へ精忠の志を表した。 |
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