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更新日:令和5(2023)年4月14日
ページ番号:314932
(そやかいづか)
国指定史跡
昭和54年12月22日
市川市曽谷2-438-1
曽谷貝塚は、国分川下流域左岸の支谷に面した標高20~25mの台地上に位置している。貝層の分布は断続的ではあるが、東西210m、南北240mの馬蹄形を呈しており、単体としては日本一規模の大きい貝塚といわれている。現地に立つと、中央に向かってやや窪んだ地形を今も見ることができる。
現在は周辺を住宅地に囲まれているが、畑と保存区域には大量の貝が散在している。貝の種類は、ハマグリを主体とし、ハイガイ・サルボウ・イボキサゴ・オキシジミなどを伴うことから、海棲の貝を大量に捕獲し消費したものと考えられる。
この貝塚の存在は古くから知られており、発掘調査の記録は明治時代に遡る。昭和11年(1936)には、縄文時代研究の大家、山内清男の分層的発掘により、縄文時代後期後葉の「曽谷式土器」が設定されたが、その実体がしばらく不明であったことから、曽谷式土器は長い間「幻の土器」といわれていた。現在は、周辺地域の調査成果から、縄文時代後期の土器型式の一つとして認められている。
また、一つの土坑からイタボガキの貝殻80枚と貝輪破損品・未製品20枚が発見されたほか、胎児の甕棺葬、抜歯のみられる人骨、異形台付土器・男根状土製品などいわゆる「珍品」とされる遺物の発見なども注目される。
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