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更新日:令和5(2023)年11月30日
ページ番号:404854
高校生区分
千葉県知事優秀賞
筑波大学附属聴覚特別支援学校高等部1年
青木 萌伽(あおき もえか)
私は先天性感音性難聴という障害をもっている。生まれた時から十五年障害と共に生きている。障害者であることを悔やんだことは今まで数えきれないくらいあった。小学生の時に最寄り駅まで一人で歩いているとき周りの人から「補聴器」をじろじろと見られていた。どこに行っても耳に着けている「あれ」を見てくるのだ。母や祖母は「そんなことは気にするな」とよく言っていた。でもその時は完全に納得できなかった。なぜならみんな健常者だから。障害者の気持ちなんてわからない。私はそうやって決めつけて理解しようとしなかった。
物心がつき始めた中学一年生の頃、人生について悩み始めた。よく覚えてはいないが、ある動画を見て考え始めたのだろう。その動画はある中学生が楽しく活動している様子だった。自分の学校生活の紹介やゲームをしている様子がどれも心から楽しんでいるように見えた。それを見て自分自身は楽しいような悔しいような、複雑な感情が心の中にできた。これから障害と共に生きていかないといけない。それなのにずっと壁を乗り越えないでずっと下を向いてばかりでは勿体ないような気がした。これがきっかけで自分の障害や生き方について深く考えるようになった。今までの経験を振り返ったりして頭の中をめぐらしていくうちにこういう考え方を次第にもつようになった。
「周りの目はきにしなくていい」
この考え方を持ったからこそ自分は成長できた。他人を羨ましく思うのも大事。しかし、ずっとそう思っては前に進まない。今できることは何か?常に考えることが私にとってのモットーとなった。
ある日、地域の中学校と交流することになった。そこで頭をよぎったのは健常者と上手くコミュニケーションを取れるのか不安だったこと。しかし自分なりに考えて、もし、話している内容がわからないときははっきりと聞こうと決意し、さらにこの経験は将来のためにもなると肯定的に考えた。そして迎えた当日、理科の授業を一緒に受けることになった。健常者が三人いて障害者は私一人だけだった。不安しかなかった。でも相手は私が障害者だということを理解した上で積極的に話しかけてくれた。ジェスチャーを使ったり筆談でコミュニケーションをとったりしてくれた。健常者も私と同じようにできることは何かを考えてくれたんだと、嬉しい気持ちでいっぱいだった。自分も健常者とコミュニケーションを取る時は積極的に話しかけていくことも重要だと、この体験を通して学ぶことができた。
私の母は私が生まれる前、福祉施設で働いていた。自閉症や知的障害をもった障害者を支援していた。身近に障害者がいたから私が聴覚障害をもっていると判明したときはそこまでショックを受けなかった。そして、自分の娘のためにできることは何かを考えて私にたくさんの「言葉」を教えた。ただ教えるのではなく一つの言葉を繰り返し言った。それも大変なことだがそのおかげで私は今、日本語を普通に話せるようになり、コミュニケーションを上手にとれるようになった。もし、そこで立ちどまっていたら私はまともに言葉も話せず孤立していただろう。
共生社会の実現の為には、健常者の理解を得ることが重要。同じ職場に障害者がいることはなかなかないので少しでも障害者はどういう助けが必要なのかを自分から伝えることが自分なりの実現の方法だと思っている。理解に時間がかかったり、もしかしたら理解してもらえないかもしれない。しかし、できることがあれば最後までやっていきたい。
障害は壁みたいなもの。一度乗り越えられてもまた大きな壁ができるかもしれない。でもそれを次々乗り越えれば耳が聞こえない以外何でもできる。そのためには今、できることは何かを考えて行動していくことが大事だと心掛けたい。
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