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ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化遺産 > 「ちば遺産100選」と「ちば文化的景観」 > 「ちば遺産」100選(7)黒潮と山の恵みのゾーン
更新日:令和5(2023)年4月17日
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毎年、敬老の日の前の土曜日・日曜日に館山市鶴ケ谷(つるがや)八幡宮で行われる祭礼。安房神社を始めとする、10カ所の神社の神輿が館山市鶴ケ谷八幡宮に一堂に会する寄り合い祭り。古代・中世の国府の神社・総社(安房国内の神々を集めた神社)の祭りをしのばせる大規模な祭礼で、「安房国司祭」とも呼ばれている。
鴨川市仲の吉保(きっぽ)八幡神社で、毎年9月の最終日曜日に行われる神事である。疾走する馬上から、的を射る「やぶさめ(流鏑馬)」の結果で稲の作柄を占う。的を射る神職は、厳重に身を清め、この行事に臨む。馬上から的を射る、勇壮な流鏑馬神事は、鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬を彷彿とさせる。本格的な流鏑馬神事を村の神社で行う例は、千葉県内では非常に珍しい。
南房総市白間津(しらまず)地区で、4年に一度、日枝神社の祭礼にともない、7月下旬の3日間で行われる。神社の神輿が海岸へと降る「お浜降り」、大きな幟を曳く「オオナワタシ」の他、「とひいらい」「えんやぼう」「ササラ踊り」「酒樽萬燈」の民俗芸能が演じられる。太陽と月を祭りの対象とする古い形を留めており、日本の祭礼を知る上で貴重な行事である。
那古寺(なごじ)は、奈良時代、行基(ぎょうき)が海からあがった霊木で千手観音を彫り安置したことに始まると伝えられ、坂東三十三番札所の結願(けちがん)(最後)の寺である。館山湾上から江戸時代に建築された観音堂の大きな屋根と多宝塔を望むことができる。重要文化財の銅造千手観音立像には、千葉八郎胤時(ちばはちろうたねとき)と思われる「平胤時」の刻銘があり、鎌倉時代初期の製作と推定される。海上や航海の安全を守る仏として、古来より信仰を集めている。
館山市内には、海の侵食で削られてできた海食洞穴を居住場所や墓として利用した洞穴遺跡が数多く残されている。大寺山洞穴遺跡では、古墳時代の遺骸や副葬品を乗せた丸木舟が累々と重ねられ置かれていた。この海食洞穴を利用した洞穴葬は、古墳を墓としない有力者が沿岸各地に存在していたことを示している。鉈切洞穴は縄文時代から古墳時代にかけての洞穴遺跡。縄文時代後期(約4000年前)には海岸の漁撈基地として使われ、古墳時代には船を棺とした埋葬の場となったと考えられている。縄文時代以来の大地震で、20m以上隆起しており、過去の地震活動の様子を具体的に知る上でも重要な遺跡である。安房神社洞窟遺跡は、井戸の掘削の際に偶然発見された遺跡で、縄文時代の終わり頃(約2500年前)の人骨が22体発見され、当時の墓地として使われていたことが判明した。
館山湾の洞穴遺跡群は、墓制の多様性をあらわすばかりでなく、この地域が大地震のたびに隆起していることも示す歴史遺産である。
なお、洞穴内は通常一般に公開されていません。
東京湾の入口にある館山は、幕末(江戸時代の終りの頃)から、太平洋戦争が終った昭和20(1945)年まで、首都東京(江戸)を守るための重要な場所であった。そのため東京湾要塞の砲台跡や、館山海軍航空隊跡などの戦争遺跡が、今でも数多く残っている。旧陸軍・海軍の軍事施設のほか、海軍の教育機関が2つ置かれ、これほど様々な種類の軍事施設があった場所は、わが国でも例が少ない。
里見氏は、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』でも知られる、南房総を代表する戦国大名。房総里見氏の初期の居城・南房総市白浜城跡、里見氏前期の居城・館山市稲村城跡、最盛期の居城・南房総市岡本城跡、最後の居城・館山城跡が残されており、戦国大名・里見氏のかつての勢力を伝えている。
江戸幕府直轄の牧として、山地を利用した唯一の例である嶺岡牧は、周辺の長狭・平群・朝夷郡の66か村の人々の労役によって、維持・管理されていた。関連する遺構は豊かな自然環境の中で比較的良好な状態で保持されている。特に、鴨川市の一戦場公園内では、良好な状態で残された牧の土手を見ることができる。
江戸時代、「波の伊八」の通称で呼ばれる、名工・武志伊八郎(たけしいはちろう)の彫刻が南房総各地の寺院や神社に残されている。初代伊八(1751~1824)は、長狭郡打墨(うっつみ)村(現在の鴨川市打墨)の生まれで、波の表現に優れていたため、「波の伊八」と呼ばれ、鴨川市の大山寺など、安房や上総地域の寺院や神社に多くの作品を残した。この他、江戸時代の安房出身の彫刻家には、寺社彫刻の後藤義光(ごとうよしみつ)、石彫の武田石翁(たけだせきおう)が知られている。
房総半島の南端では、過去約6000年の間に、4回の巨大な地震があり、その度に数メートルずつ地盤隆起していたと考えられている。6000年前に海底であった部分は、現在、標高20m以上の高さとなっており、当時のサンゴが残されている。サンゴの種類にはキクメイシ、マルキクメイシがあり、サンゴ礁の古い生態を研究する上で貴重なものだけでなく、縄文時代の古環境や地震の地殻変動を考える上でも欠かせない資料である。
清澄(きよすみ)山清澄寺(さいちょうじ)の仁王門の前に聳える大杉で、樹高約48m、幹回り14.5m。杉に限れば、幹回りの大きさは、全国で9位にランクされるものである。古代以来の歴史を伝える山寺・清澄寺にふさわしい巨木である。
鴨川市太海の海岸で観察できる溶岩で、枕の形のようにしぼり出された形が特徴。太平洋を超えてきたハワイの溶岩であり、地球内部のマントルの対流で房総半島にたどり着いたもの。プレートテクトニクス理論を具体的に示す資料である。
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