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ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化遺産 > 「ちば遺産100選」と「ちば文化的景観」 > 「ちば遺産」100選(8)東京湾を望む上総丘陵のゾーン
更新日:令和5(2023)年1月6日
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毎年1月7日の日の出の時刻に法螺貝(ほらがい)の合図とともに、中島区の6つの集落の若者が、寒中の沖合に梵天を立てる勇壮な行事である。これは出羽三山信仰の表徴であり、元禄年間に始まったと伝えられている。若者は成人になった印として行事を行い、五穀豊穣・大漁を祈願する。
明治20年代に、上総地方で完成した井戸掘り技法。掘削用のノミがついた鉄管に竹ヒゴを継ぎ足しながら、地下数百メートルの深さにある水の層を掘り当て、自噴させる。技術を習得すれば、わずか数人で安全に深井戸を掘ることができるため、近年では、水不足が深刻化する東南アジアやアフリカの諸国でも普及指導が行われている。「木更津市立郷土博物館金のすず」には上総掘りの用具が収蔵されており、国の重要有形民俗文化財に指定されている。
木更津市長須賀の微高地上には、6世紀末から7世紀にかけて金鈴塚古墳、稲荷森(とうかもり)古墳などの前方後円墳、松面(まつめん)古墳などの方墳が密集して築かれた。この古墳群は、優れた出土品が多く出土したことで知られ、とりわけ豪華な飾り大刀、馬具、装身具をそろえた金鈴塚古墳出土品は、大和の王墓に勝るとも劣らない質と量を誇り、東国の古代首長のあり様を今に伝える貴重な文化遺産である
小櫃川中流域には、古墳時代前期(約1600年前)に造られた60mから100mもある大形の前方後円墳が5基以上あつまっている。これまで君津市小櫃地区では白山神社古墳などの前方後円墳が知られていたが、近年、木更津市富来田地区に真里谷13号墳が確認され、河口域に所在した手古塚古墳などとともに、千葉県の古墳時代前期の大形前方後円墳の実態をよく伝えている。
八幡宿地区の中央に鎮座する「国府八幡宮」とも称される由緒ある古社の社殿。本殿は国の重要文化財で室町時代末期に遡り、拝殿は元禄4年(1691)の再建で県指定文化財である。室町時代の神輿4基が県指定文化財で、他に市指定の大太刀や当世具足、絵馬など多くの文化財を保有する。境内には県指定天然記念物の夫婦銀杏もある。
市原市山田橋地区の稲荷台1号墳から出土した日本で作られた最古の有銘鉄剣。表裏にそれぞれ6文字の銀象嵌の銘文が刻まれ、書き出しの文言から「王賜」銘鉄剣と名づけられた。同じ国分寺台の関東地方最古の神門古墳群とともに、古代東国の首長と大和王権との関係を物語る日本古代史上の一級資料である。
古墳時代は、巨大な前方後円墳が作られ始めて幕を開けるが、奈良県などではその直前にも前方後円墳が作られ、古墳成立のなぞを解く鍵として注目されている。東日本でこれに該当するのが、千葉県市原市の神門古墳群である。古墳が保存されている神門5号墳や、神門3号墳から出土した多くの出土品は、全国的にも貴重な、古墳時代初頭(3世紀ごろ)の資料である。
全国で、最も古代の様子が解明されている国分僧寺・尼寺として名高い遺跡である。僧寺には、七重塔と考えられる礎石、八脚門(前後に4本づつの柱を配置した格の高い門)の柱配置を復原した西門跡があり、尼寺には、当時の技法に忠実にならった中門と回廊の一部が復元されている。二つの遺跡から出土した遺物は、尼寺跡展示館で見ることができる。
今富地区から姉崎地区にかけての東西4kmに分布する南関東有数の大型古墳群。養老川下流域を支配した上海上(かみつうなかみ)国造(くにのみやつこ)ゆかりの古墳群とみられ、5世紀前半の前方後円墳・二子塚古墳(全長114m・写真)を始めとして、8基の大型古墳が残る。4世紀の100mを超える前方後円墳・今富塚山古墳から、終末期の前方後方墳・六孫王原(ろくそんのうばら)古墳まで、300年以上にわたるこの地域の支配者の盛衰を偲ぶことができる。
巨大古墳の築造が全盛を迎える古墳時代中期(5世紀)、富津市の平野部にも県内最大(南関東最大)の前方後円墳、内裏塚古墳(古墳全長1484m・国指定史跡)が築かれた。後期(6世紀~7世紀)になると、その周囲に九条塚(くじょうづか)古墳(103m)、稲荷山(いなりやま)古墳(106m)、三条塚(さんじょうつか)古墳(122m)、古塚(こづか)古墳(89m)などの前方後円墳、割見塚(わりみづか)古墳(40m)などの方墳が次々と築かれ、東日本を代表する古墳群の一つとなっている。
三石山は小櫃川の最上流部で、清澄山系の西北の端にあたる。三石山自然林は、山頂にある観音寺の南斜面にある自然林で、三石観音の信仰とともに古くから守られてきた。スダジイ、ウラジロガシ、ヒサカキ、ヤブツバキ、モミ、カヤなどが生え、全国有数のシダの自生地でもある。
高宕山地区は湊川と小糸川の源流で、険しい岩山が多い地域である。アカマツ、スギ、ヒノキなどの針葉樹林とシイ、カシ、ナラなどの広葉樹林が入り混じり、アケビ、ノブドウなどサルが好む木々も生えている。そうした豊かな自然環境の中に約15グループのサルが生息している。サルのグループ行動を観察できる貴重な場所である。
日本で最初にヒカリモが発見された場所で、学史的にも有名。鞭毛藻類ヒカリモ科に属するヒカリモは、長さ10ミクロン程度の単細胞生物で、涼しく暗い場所を好み、洞穴中の水溜りなどに群生する。菜の花の咲く頃、群をなして水面に浮き、葉緑体に光を反射させることで黄金色に輝く。3~4月頃、輝きが最も増す。水戸黄門として知られる徳川光圀も、これを見に来たとの記録が残されている。
石塚地区の大福山自然林は白鳥神社の社叢林として標高285mの大福山頂上付近に保護されてきた森林で、主にスダジイ・アカガシ・モチノキ・タブノキなどが生い茂り典型的な照葉樹林となっている。また林床にはヤブコウジ・ベニシダ・チョウセンゴケなどが生育している。高滝神社の森とともに、房総半島中央の森林の様子を良く示している。
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