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嘉永6年7月 |
阿部因幡守の領地であったとき防波堤を築造したが,現在その痕跡は認められない。古くから京浜地方に航行する帆船の避難場所として木更津港に次ぐ港湾を形成していた。 |
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昭和26年8月 |
運輸省告示第208号をもって公有水面埋立法施行令に基づく港湾指定を受ける。 |
昭和30年4月 |
港管第1054号をもって港湾区域の認可を受ける。 |
昭和30年8月 |
県告示第383号をもって港湾区域を指定する。 |
昭和31年から37年 |
物揚場・船溜り・船曳場を築造した。 |
昭和50年1月 |
千葉県指令第275号の2により本港北部地区の埋立(公園・緑地の目的)が免許された。 |
昭和56年6月 |
23,997平方メートルを埋立竣工した。 |
昭和54年から57年 |
階段式護岸1,100m・突堤130m・潜堤690mなどの海岸保全施設を整備した。 |
昭和58年から |
港湾局部改良事業として導流堤の整備に着手した。 |
昭和58年から62年 |
海岸環境整備事業として緑地2.4haの整備をした。 |
平成元年7月から8月 |
豪雨により護岸その他が被災,その復旧に着手した。 |
平成2年2月 |
冬期風浪により護岸が増破被災した。 |
平成3年3月 |
中導流堤130mが完成した。 |
平成4年3月 |
災害復旧護岸がぼほ完成した。 |
平成5年3月 |
防砂堤130mが完成した。 |
平成11年12月 |
河口防波堤2が200m完成した。 |
慶応年間 |
平田港(現南港)と称し,南房総の交通基地として産物・旅客の輸送,漁港の避難港として発展した。 |
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大正年間 |
軍の要塞地帯に指定されたため,一般港としての機能を喪失した。 |
昭和20年 |
一般港に開放された。 |
昭和24年2月 |
浦賀港との問に定期旅客船,東京・横浜との間に不定期旅客船がそれぞれ就航した。 |
昭和28年8月 |
運輸省告示第334号をもって,公有水面埋立法の指定港となる。 |
昭和29年4月 |
運輸省令第21号をもって港湾調査規則適用港湾となる。 |
昭和31年3月 |
1,741平方メートルを埋立竣功した。 |
昭和34年から35年 |
港湾修築工事により船揚場・物揚場が整備された。 |
昭和35年5月 |
久里浜との間にフェリーボートが就航した。 |
昭和37年6月 |
14,945平方メートルを埋立竣功した。 |
昭和44年1月 |
1,281平方メートルを埋立竣功した。 |
昭和53年7月 |
港湾管理者が富津市から千葉県になった。 |
昭和56年から58年 |
南港物揚場(-4.0m)135mの整備をした。 |
昭和60年12月 |
北港道路用地560平方メートルを埋立竣功した。 |
昭和61年12月 |
千葉県指令第4号の3をもって北港ふ頭用地造成の埋立が免許された。 |
昭和62年1月 |
岸壁(-5.0m)の整備に着手した。 |
昭和63年12月 |
港湾緑地(2,400平方メートル)の整備に着手した。 |
平成2年9月 |
岸壁(-5.0m)が1バース完成した。 |
平成3年3月 |
港湾緑地2,850平方メートルが完成した。 |
平成4年3月 |
岸壁(-5.0m)が2バース完成した。 |
平成6年3月 |
海岸環境整備事業の緑地が完成した。 |
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