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慶長年間 |
木更津船という五大力船が、徳川家康から、大坂の陣(慶長19年)での木更津の水夫への報奨として、江戸・木更津間での渡船営業権などの特権が与えられた。 これにより江戸との往来が頻繁となり、木更津が上総・安房の海上輸送の玄関口として繁栄していった。 |
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明治12年 |
塩谷組により汽船えびす丸を東京・横浜間に就航させ、後に地元有志が君津丸・福沢丸を木更津・東京間に就航させたが、事業不振におちいり君津丸を廃した。 |
明治20年 |
東京汽船株式会社が木更津と東京・横浜間の定期航路を引継いだが遠浅のため大型船の出入できず、小型船による「みお」筋を利用して航行した。 |
明治41年 |
木更津町は工費70,000円をもって航路のしゅんせつと防波堤を築造し、明治45年に完成した。 |
大正元年 |
蘇我・木更津間に鉄道が開通し、海運は次第に衰微した。 |
大正6年 |
関東一帯をおそった台風により港はかい滅し、定期船も廃止した。 |
大正15年5月27日 |
内務省告示第131号により公有水面埋立法に基づく指定港となった。 |
昭和7年 |
県は工費419,000円をもって5か年継続工事として修築に着工した。 |
昭和12年 |
昭和9年港の北側に木更津海軍航空隊の飛行場が建設され、これに伴い工事も大規模になり、航路、泊地、防波堤、護岸がしゅん工した。 |
昭和19年 |
港内防波堤、さん橋を築造し、航路、泊地をしゅんせつし港の整備をはかった。 |
昭和23年7月16日 |
港則法による港域が定められた。 |
昭和28年3月25日 |
港湾法に基づく地方港湾に指定され、港湾区域を決定し千葉県が港湾管理者となった。 |
昭和31年6月8日 |
公有水面埋立法に基づく乙号港に指定された。 |
昭和36年8月 |
君津町地先に新日本製鉄株式会社が進出した。 |
昭和38年8月14日 |
港湾法に基づく港湾区域が変更された。 |
昭和40年4月6日 |
東京湾フェリー株式会社、日本カーフェリー株式会社が、横浜間、川崎間に就航した。 |
昭和43年4月1日 |
政令第56号により関税法上の開港に指定された。 |
昭和43年4月1日 |
千葉県開発局君津開発事務所が設置された。 |
昭和43年4月1日 |
港湾法に基づく港湾区域が変更された。 |
昭和43年4月17日 |
港湾法に基づく重要港湾に指定された。 |
昭和43年4月17日 |
大蔵省横浜税関千葉税関支署木更津出張所が設置された。 |
昭和43年6月1日 |
港則法に基づく港域が拡張された。 |
昭和43年6月24日 |
法務省令第33号により出入国管理令上の出入国港に指定された。 |
昭和43年10月1日 |
政令第287号により検疫港の指定をうけて検疫びょう地が指定された。 |
昭和44年1月1日 |
運輸省令第61号により港湾調査規則上の甲種港湾に指定された。 |
昭和44年4月1日 |
海上保安庁第3管区海上保安本部木更津海上保安署が設置された。 |
昭和44年4月1日 |
法務省東京入国管理事務所木更津入国審査室が設置された。 |
昭和44年4月1日 |
港湾管理運営業務が千葉県開発庁に委任され、港湾工業用水局・君津港湾工業用水道事務所がその任に当たった。 |
昭和44年6月1日 |
農林省令第31号により植物防疫港(木材に特定)に指定された。 |
昭和44年6月10日 |
港則法に基づく特定港に指定された。 |
昭和45年4月1日 |
君津港湾工業用水道事務所が廃止され、君津港湾事務所が設置された。 |
昭和45年12月24日 |
法務省設置法の改正により、東京入国管理事務所木更津出張所に昇格した。 |
昭和47年4月1日 |
港湾管理運営業務が千葉県土木部に移り、木更津港湾事務所が設置された。 |
昭和47年9月30日 |
東京湾フェリー株式会社が木更津―横浜間の定期航路を廃止した。 |
昭和48年5月 |
木更津ふ頭物揚場及びベルトコンベアが完成し供用を開始した。 |
昭和48年5月18日 |
港湾法に基づく港湾区域が変更された。 |
昭和50年8月10日 |
港湾運送事業法に基づく2種港に指定された。 |
昭和50年9月 |
木材港ドルフィンが完成し、木更津木材港協同組合が創業した。 |
昭和50年9月 |
木更津ふ頭A、B岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和51年1月 |
木更津ふ頭C、D岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和52年4月1日 |
木更津ふ頭E岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和52年4月11日 |
木更津ふ頭E岸壁に1号船が入港した。 |
昭和52年11月30日 |
港湾法に基づく港湾区域が変更された。 |
昭和53年3月31日 |
木更津港内富津地区公有水面の埋立が免許された。 |
昭和53年4月7日 |
木更津港内富津地区公有水面の埋立工事に着手した。 |
昭和55年3月22日 |
監督船「かずさ」(19.03t)を建造した。 |
昭和55年4月1日 |
木更津新港休憩所(港湾労働者休憩所)を開設した。 |
昭和55年10月1日 |
木更津新港公園(30,536平方メートル)を開設した。 |
昭和57年4月1日 |
木更津ふ頭F岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和57年9月20日 |
木更津港湾労働者福祉センターを開設した。 |
昭和59年4月1日 |
関税法自主管理適用保税地域(8,475平方メートル)の指定を受けた。 |
昭和60年7月15日 |
港則法に基づく港域の拡張および富津航路の指定を受けた。 |
昭和60年12月 |
東京電力株式会社富津火力発電所が操業を開始した。 |
昭和61年3月 |
富津船だまり物揚場が供用を開始した。 |
昭和61年4月 |
富士見大橋(227.8m)が完成し供用が開始した。 |
昭和61年4月 |
潮浜公園の一部(2.9ha)の供用を開始した。 |
昭和62年6月 |
潮浜A、B、C、D岸壁が完成し供用を開始した。 |
平成元年5月 |
富津A、B、C岸壁が完成し供用を開始した。 |
平成元年5月 |
潮浜公園の一部(4ha)の供用を開始した。 |
平成2年1月 |
富津D岸壁が完成し供用を開始した。 |
平成2年3月 |
地蔵川の排水機場が完成した。 |
平成2年3月 |
港湾審議会第130回計画部会において木更津港港湾計画(改訂)が承認された。 |
平成2年4月 |
江川船だまりの供用を開始した。 |
平成7年2月 |
清掃船「きよみ」(16総トン)を建造した。 |
平成7年3月 |
富津みなと公園の一部(5.23ha)が完成し供用を開始した。 |
平成7年4月 |
富津ふ頭E及びF岸壁(-7.5m)が完成し供用を開始した。 |
平成8年4月 |
木更津ふ頭G岸壁が完成し供用を開始した。 |
平成9年12月18日 |
東京湾アクアラインが開通し、木更津-川崎間のカーフェリーが廃止された。 |
平成10年7月 |
港湾審議会第166回計画部会において木更津港港湾計画(改訂)が承認された。 |
平成12年4月 |
富津みなと公園の一部(3.39ha)が完成し供用を開始した。 |
平成15年4月 |
総合静脈物流拠点港(リサイクルポート)の指定を受けた。 |
平成16年7月 |
改正SOLAS条約に対応した埠頭保安対策を開始(木更津埠頭、富津埠頭)した。 |
平成17年8月 |
富津みなと公園の一部(4.04ha)が完成し供用を開始した。 |
平成18年3月31日 |
木更津港湾物流効率化特区が認定された。 |
平成20年4月1日 |
木更津ふ頭H岸壁が完成し供用を開始した。 |
平成21年3月17日 |
富津みなと公園の一部(3.09ha)が完成し供用を開始した。 |
平成20年12月 | 吾妻地区及び木更津南部地区の一部が、木更津市により「みなとオアシス木更津」に登録された。 |
平成22年4月30日 | 木更津港港湾計画改定(県報告示) |
平成22年5月21日 | 富津みなと公園の一部(0.43ha)が完成し供用を開始した。 |
平成22年6月15日 | 内港公園の一部(1.59ha)が完成し供用を開始した。 |
平成23年5月31日 | 国際バルク戦略港湾に選定された。 |
平成26年1月15日 | 港湾法に基づく港湾区域が変更された。 |
平成29年9月18日 | 客船「ぱしふぃっくびいなす」が木更津港南部地区に初寄港し、木更津市により熱海花火大会実証運航が実施された。 |
平成29年10月3日 | 内港北公園(0.54ha)が完成し、供用を開始した。 |
平成30年3月 | 江川地区、吾妻地区及び南部地区の一部の区域が、木更津市都市計画臨港地区として決定した。 |
平成30年11月9日 | 客船「ぱしふぃっくびいなす」が木更津港南部地区に寄港した。 |
令和元年9月20日 | 客船「ぱしふぃっくびいなす」が木更津港南部地区に寄港した。 |
令和4年12月4日 | 客船「にっぽん丸」が木更津港南部地区に寄港(発着港)した。 |
令和6年1月17日 | 客船「にっぽん丸」が木更津港南部地区に寄港した。 |
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