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更新日:令和6(2024)年10月16日
ページ番号:21855
1609年(慶長14年)9月、スペイン領フィリピンの臨時総督の任務を終えたドン・ロドリゴら373名を乗せた帆船サン・フランシスコ号がメキシコ(当時スペイン領)へ向かう途中、嵐に遭遇し、御宿沖で座礁しました。これを見た御宿の人たちは、初めて見る異国の遭難者たちを救出し、献身的に介抱を行ったことから日本とメキシコとの交流が始まっています。
1978年8月には大多喜町がクエルナバカ市(モレロス州)、御宿町がアカプルコ市(ゲレロ州)と姉妹都市締結し、同年11月にはホセ・ロペス・ポルティー二ョ大統領が来県されています。
2009年の400周年を機に、メキシコ大使館、外務省、千葉県、御宿町、大多喜町などの連携により、様々な記念事業が実施されました。
また、2013年10月には、ドン・ロドリゴ氏と縁の深いメキシコのテカマチャルコ市と御宿町との間で、姉妹都市協定が締結されました。
ドン・ロドリゴ上陸地(御宿町岩和田海岸)
サン・フランシスコ号(1月50日模型御宿歴史資料館蔵)
1609年9月、一隻のガレオン船が嵐に遭遇し千葉県御宿の沖で座礁して、多数の乗組員が御宿町岩和田海岸に漂着した。船はフィリピンの臨時総督の任務を終えたドン・ロドリゴたち373名を乗せ、ノビスパン(スペイン領メキシコ)へ向かうところであった。
56名が死亡し、残りの317名も寒さと恐怖に震えていたところ、御宿の村人はこれに大いに同情し、献身的に救助にあたり、暖かい衣服を与えたり、食料を惜しみなく与えた。(ドン・ロドリゴ日本見聞録)また、海女たちは自分の体温で遭難者を暖め救助したと伝えられる。数日後多数の家来を引き連れて会いに来た大多喜城主本多忠朝は、ヨーロッパ式にロドリゴの手にキスをし、彼等を城に招いて歓迎の宴を開くなど大いに歓待した。
忠朝の紹介で二代将軍秀忠や駿府にいた大御所家康とも会見し、ここでも、破格の歓迎を受ける。その際、ロドリゴは家康にスペイン人宣教師の保護、フェリペ国王との親善、オランダ人の追放を要望する。オランダ人の国外追放を除き家康は同意するとともに、銀の精錬の技術者を派遣してほしいとロドリゴに伝え、その旨を記した朱印状までロドリゴに託す。ロドリゴは江戸、京都、大坂(当時の表記)などを見物し、大いに日本人と日本文化に感心し、見聞録に詳細に記録している。そして、約一年後の1610年8月、一行は家康が、幕府に雇われていた三浦按針(ウイリアム・アダムス)に造らせた船によってノビスパンに帰国した。サン・ブエナべントゥーラ(幸運)号と名付けられたこの船には、商人である田中勝助を初めとする23名の日本人も乗船していた。
翌年、スペイン国王の命を受けて、ドン・ロドリゴの遭難救助、破格の厚遇への答礼と、日本の近海にあると欧州の航海士の間に伝えられていた金銀島の探検を目的に、ビスカイーノを代表とする答礼船がやってくる。家康にも謁見し、日本沿岸の測量なども行うが、めぼしい成果も無くやがて困窮する。このころ、オランダ人から幕府に対し、スペインは日本侵略のための測量と金銀島探索が目的だとの中傷が行われ、家康の態度は冷ややかなものに変わっていた。困窮していたビスカイーノ一行に伊達政宗から救いの手が差し延べられ、彼等と支倉常長を初めとする伊達政宗の家臣、商人を乗せた日本船、いわゆる「慶長遣欧使節団」が派遣される。しかし、徳川幕府からキリスト教禁教令が全国に出され、この後、ドン・ロドリゴ遭難の史実も語られることなく、やがて歴史の表面から忘れ去られていった。
「我国貿易史上忘るべからざる地」
長くこの御宿での出来事は日本人にも知られることがなかったが、明治の初め、条約改正交渉の打診のために欧米を巡歴した岩倉具視等は訪問先でこの一件を知らされ、明らかになっていった。
ドン・ロドリゴの「日本見聞録」を初めて翻訳した村上直次郎は、「岩和田は我国の貿易史上忘るべからざる地である。」と述べている。1928年10月、ドン・ロドリゴ等が漂着した海岸近くの高台に地上17.5メートルのコンクリート製の塔が完成した。表面には徳川家にちなむ徳川侯爵の題字、側面にはスペイン国王の親筆、メキシコ大統領のメッセージがはめ込まれている。
1978年11月ホセ・ロペス・ポルティーリョ大統領が御宿町に来町された。大統領は「エルマーノ!(兄弟)」と声をかけながら若者が担ぐ御輿上から、日の丸の扇子を開いて音頭を取った。その後も、御宿、大多喜とメキシコ、アカプルコ市との交流は盛んになっている。メキシコ政府においては「日本におけるメキシコの夏2009」として、日墨交流400年を記念したさまざまな事業を計画されているが、千葉県でもメキシコ在住のバイオリニスト黒沼ユリ子企画による「オペラ夕鶴」公演などの事業が計画されている。
2005年4月、日本メキシコ経済連携協定(EPA)が発効した。振り返れば400年前千葉県御宿町岩和田の浜に、メキシコのガレオン船が漂着し、遭難したドン・ロドリゴ達を御宿の住民が献身的に救助したことから始まる、日本とメキシコとの交流の歴史、家康が望んでついに果たせなかった、日墨交易の夢がここに実を結んだとも言えよう。このことはひとり我が国の思いではなく、メキシコにとっても、一度は歴史の闇の中に埋もれたが、その輝きによって再び明らかになったこの出来事が、今に大きな感動を与えていることは、大使館の発行した「条約から条約へ」にも明らかである。
ドン・ロドリゴ日本見聞録(村上 直次郎 訳註 雄松堂出版)
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