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更新日:令和6(2024)年8月5日
ページ番号:7951
更新内容
江戸時代8代将軍徳川吉宗公がインド産と言われる白牛(セブー種)を嶺岡牧(現千葉県南房総市・鴨川市)で飼育し、白牛の乳から「白牛酪」という乳製品を作ったことが、日本酪農の発祥の地と言われています。
千葉県酪農のさとは、県民が酪農に親しみ、その歴史について学ぶ機会を提供することにより、県民の酪農その他の畜産に対する理解を深めることを目的に日本酪農発祥の地に建設したものです。
酪農のさとでは、ヤギ達とのふれあいが楽しめ、緑いっぱいの大自然に囲まれ、太陽の光をたっぷりと浴びて、地元の酪農家さんが作ったアイスクリーム等を味わいながら、ゆったりとした時間を過ごせます。
徳川吉宗公が導入したとされる白牛。ラクダのようなコブ、長く垂れた耳、白い毛色のかわいい牛は、現在日本ではここでしか見られない珍しい牛で、酪農のさとの人気者です。
珀嶺(はくれい)平成30年11月4日生
嶺花(れいか)平成30年12月25日生
酪農のさとでは、令和6年5月3日に生まれた双子のメスの子牛の名前を募集しています。
※詳細は、「千葉県酪農のさと」のホームページをご覧ください。
酪農資料館では、酪農の歴史、牛と農家共存の姿、乳牛の生態などを楽しみながら学べます。
山の斜面を利用した放牧場ではヤギがのんびりと過ごしています。季節によっては、子ヤギも一緒に、すぐ近くでふれあえます。
エリア内を流れる丸山川の川岸には、遊歩道が整備され、川には飛び石もあり、暖かい季節にはお子様でも川遊びが楽しめます。着替えを用意して遊びにきてくださいね。
酪農のさと周辺に広がる嶺岡山は、その昔「嶺岡牧」という馬の牧場(江戸時代後期からは牛も)でした。江戸幕府の八代将軍・徳川吉宗は、嶺岡山を幕府が直接管理する「牧」のひとつに決めました。江戸幕府の直轄牧は4つあり、千葉県には、嶺岡牧の他に、小金牧(現東葛地域)と佐倉牧(現印旛地域)がありました。
嶺岡牧は、当初、馬を中心に放牧しており、最盛期(1797年頃)には約700頭もの馬が放牧されていました。この同時期に、少数の輸入牛も放牧し、牛の乳を加工したものを製造し、江戸幕府に納めていたことから、「日本酪農発祥の地」として、日本酪農の基盤を作ったと言われています。
明治時代以降は、牛の飼育が盛んになり、種畜を積極的に輸入しての乳牛改良が行われ、日本でも有数の牛乳の産地となりました。牛が生活に密着していくと余剰乳が出るようになり、それを活用するために、練乳や近代的なバターの製造が本格的に始まりました。
さらに、大正時代には、明治乳業や森永乳業が大規模な練乳工場を設置するなど大手乳業メーカーの誕生の地となりました。
現在では明治以降に植林された杉が生い茂っていますが、発掘調査により、水飲み場、馬捕り場、野馬土手(牛や馬が逃げ出さないために石を積み上げる等で壁を作った)、木戸跡(入り口)など数多くの遺構が発見されています。
酪農のさとの周辺地域は、日本酪農の礎を築いた歴史的な財産がたくさんあります。酪農のさとでは、様々な学術的資料や調査結果を展示し、嶺岡牧をはじめとする歴史的遺産を紹介しています。
「チッコカタメターノ」は、出荷することができない初乳を固めたもので、味付けや調理方法で様々な料理に利用されています。「乳っこ固めたもの」と呼ばれていたものを、発音どおりでカタカナ表記にし、「チッコカタメターノ」とされました。
「チッコカタメターノ」は、安房地域を中心とした呼び名ですが、千葉県の北総地域では、「牛乳豆腐」と呼ばれる似ている料理があるなど、昔から酪農が盛んであった地域で生まれた食文化です。
「おいしい牛乳をありがとう」の気持ちをテーマにした絵手紙の制作を通じ、牛乳や酪農家等に対する理解や関心を深めることを目的に、日頃から学校給食や自宅で牛乳を飲んでいる小学生に作品を募集します。また、酪農家が小学生からの絵手紙により元気をもらい、生産意欲向上の一助とするとともに、酪農業への理解醸成、学校給食用牛乳の飲み残しの削減、牛乳の消費拡大につながる取組とします。
千葉県(千葉県酪農のさと)
酪農のさとでは、春の桜、こいのぼりが泳ぐ放牧地など、四季折々の風景が楽しめます。また、季節ごとのイベント、子供向けの食育講座、大人向けの歴史講座、各種体験イベント等も行っております。
※詳細は、「千葉県酪農のさと」のホームページをご覧ください。
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