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更新日:令和4(2022)年10月24日

ページ番号:2947

第6回障害者差別をなくすための研究会議事概要

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平成17年5月9日(月曜日)後6時5分から8時11分

2

県庁中庁舎10階会議室

3席者

  • 野沢座長、佐藤副座長、高梨副座長
    赤堀委員、安藤委員、内山委員、浦辺委員、金子委員、小林委員、近藤委員、塩野谷委員、白川委員、高村委員、野老委員、成瀬委員、西村委員、根本委員、堀口委員、宮前委員、森委員、山田委員、横山委員
    (欠席委員:加藤委員、田子委員、舟田委員)
  • 第三次千葉県障害者計画推進作業部会から:
    植野委員、木村委員、竜円委員
  • 西嶋参与
    千葉県政策法務アドバイザー鈴木教授
  • 関係課:
    健康福祉政策課、健康福祉指導課、健康増進課、高齢者福祉課、政策法務課、管財課、消防地震防災課、住宅課、交通計画課
    (教育庁)施設課、特別支援教育課
    (県警本部)警務課、地域課

4事概要

【障害差別に当たると思われる事例の分析及び対応方策について】

(その他分野)

(佐藤副座長)
定刻を過ぎたが、今回は野沢座長が都合により1時間ほど遅れるとのことなので、私が議事を進行する。今回は、加藤委員、田子委員、舟田委員は欠席されるとのことであり、また、障害者計画推進作業部会から植野委員、木村委員、竜円委員にご参加いただいている。

(事務局:小森)
(資料確認及び出席関係課の紹介)

(佐藤副座長)
生活全体に関わるので、県庁全体に関係課がわたっているが、毎回出席してくださっている課もある。
では、その他分野を担当した赤堀委員・根本委員からの発表に移りたい。

(根本委員)
事例が多岐に渡るので、赤堀委員と分担して行った。まず、赤堀委員から発表を。

(赤堀委員)
(資料4の解説)
事例分析に際しては、事例の数も多いので、分析及び改善方法については、障がいを持つ方たちのご家族とともに考えることが必要と考え、浦安市・市川市に住む、身体的障害・知的障害を持つ小学生の親4名の方に協力していただき、主に事例(概要版)をベースに進めていき、体験談を交えながら話しを伺うことができたが、ひとつひとつの事例の改善策にまでは至らず、お話しの中での家族の言葉を少しまとめてみました。

差別的言動というのは受ける方の気持ち(感じ方)が大きくかかわっているのでは。親もすべて被害的に受け止めず、常に前向きであってほしいと思う。

同情的発言については、親族、近所の人、友達、道行く人またその状況などによっても大きく違ってくるが、親切心などで悪気がない場合も多くあるので、差別とは少しちがう気がする。
「お母さん、明るいのね」などと言われる例がそうだが、私が今回お話を伺ったお母さんの中にも「そうよ、私、明るいのよ」と返すようなとても明るいお母さんもいる。

控えめに暮らすべきとされること。というのがあるが、昔に比べレスパイトサービスも増え、障がいがあってもいろいろな場に出て行ける機会が多くなったのも事実ではないか。
「どんな服を着ていた」とか「ファミリーレストランで外食していた」などと、まだまだ親の服装や行動などに口をはさんだりする人たちもいるが、条例にはなじまない部分がむずかしいのでは。

改善策としては、

民間企業、官公庁職員等各施設に研修を義務付けること。

学校の授業の一環で障害者に対する理解を深めていくこと。

条例制定と併せて「差別発言ガイドライン集」(差別用語事例)を作成する。

すべての人に分かりやすくするために、必要に応じ解説文を付けること。
話をしていて目立ったのが、「ふりがなをふってあるのがバカにした感じ」という事例があったこと。私も市職員なので、ふりがなを振るべきか迷うことがあるが、ふりがなを振っていない場合は、読めない人に対する逆差別になるのではないかと思う。改善提案にあるように、必要に応じて解説文をつけたりするとよいと思う。

障害者を主題にしたドキュメンタリー番組を増やし、まずは知ってもらうこと。ただし偏らずにいろいろな方向から報道すること。
以前、施設解体による地域生活が、地域住民にも本人にもいかに負担となっているかというような主旨の報道番組があったが、様々な切り口から報道してほしい。

(佐藤副座長)
では、続けて根本委員どうぞ。

(根本委員)
(資料2の解説)
いろいろ批判もあろうかと思うが、これまであまり障害者に関わっていなかった個人として感じた率直な感想を記入させていただいた。なお、資料2の6頁、下から4行目以降が担当部分である。
「お医者さんは耳の聞こえる人のが安心」という発言の事例。障害者差別に対して頭で理解していても、日常の会話の中で意識せず何気なく軽はずみな言葉を出してしまう。学校教育・社会教育の再構築が必要。春歌を歌うのが嫌だったのに「ドモリだから歌えないんだろう」と言われた事例も同様。
生活保護開始後に引越をした際に暴言を受けた事例について。行政に携わる人の意識改革が必要である。暴言・虐待に対する差別条例が必要。
周辺住民の要求により施設への交通方法を制限され、「通所の際は介助者を付けること」等の条件を付けられた事例。これは、社会教育に加えて差別条例の制定も必要である。
最後の事例も、それぞれ考え方が違う中で、何が差別で何が差別でないのか判断が難しいことを示していると思う。条例とともに教育の場が必要と思う。

今までの各委員の発表を聞く中で感じたことを正直に言えば、世の中への批判が多いという感想を抱いた。障害者の側からも、世の中の人々に対して説明し理解を深めてもらう努力も必要なのではないだろうか。人々一人一人に考えてもらわないといけない。行政の対応なども、各部署で多くの職員は誠意を持って窓口などで対応していると思うが、何人かの不心得者のためにこのような批判を招いているのではないか。
性能の良い自動車に制限速度がなければ、時速何キロでも出してしまうのと同じ。自動車の制限速度のように、抑える法が必要である。特に言葉の虐待は条例で縛るべき。また、条例ができれば県民に周知する機会が増えることにもつながる。
また、障害を持った方の立場に立って考えていかないと、障害を持った人への逆差別になってしまう可能性もある。
私が在籍するヤックス(千葉薬品)では、オーナーが75歳になったことを契機として社会貢献活動に力を注ぐことを決心した。最近の例では、県立施設だった畑通勤寮が民間移譲された際、私財をなげうって運営を始めた。
これまでは、障害児が生まれてから親が健在でいる間はいいが、その後のことなど考えたことがなかったが、考える機会になった。しかし、そのためには一人の人間として暮らしていけるような環境を作らないといけない。以前も言ったように、姪の子が知的障害を持っているが、ちゃんと育ってどんどん成長している。
商工会議所の中に大型店会というものがある。その会議の席上、「小売店の中でも障害のある人を受け入れる努力をしていこう」と発言した。買い物のしやすい店舗作りをするべき。また、障害者雇用も、雇う側、雇われる側ともに不慣れな点もあるかもしれないが、お客様に理解を求めていくようにしていきたい。

(佐藤副座長)
分類困難な事例なので致し方ないが、その他分野ということで非常に雑多な例があり、赤堀委員、根本委員とも大変だったと思う。
気になった点としては、比較的、事例分析に関して×(差別でない)が多かったこと。条例化するのには難しいところがあるが、そのぶん事例ごとの対策が重要となってくるのではと考えさせられる。

(横山委員)
「障害者手帳で料金が割引になる施設を利用したとき、受付で手帳を出すと、受付の人の態度が急に丁寧になり嫌だった。悪気はないと思うが、普通に対応してほしかった。」という事例に関して、逆に、このように優しく応対してくれる事例があって安心した。また、それに対する「普通に接してほしい」という改善提案が新鮮に感じた。
というのも、自分は精神保健福祉手帳を見せても、つっけんどんな対応をされることが多かったため。障害者手帳の大きさ、色、様式が障害種別によって異なる。例えば、身体障害では緑、知的障害では茶色、精神障害では紺色。また、身体障害、知的障害では手帳に写真が添付されているが、精神保健福祉手帳には写真が付いていない。

(竹林課長)
各種手帳に関しては、障害ごとに記載内容は違うが、大きさや色等は平成15年秋以降統一し、期限が来たものから更新時に順次揃えている。

(根本委員)
やはり、障害について知る機会そのものが少ないので、差別問題が拡大することを恐れずに、早期から学校で教えるなりしないといけない。また、企業であれば、人事担当者等を研修するなど具体的な取組みをしなければならない。行政の広報などもあると思うが、家庭、企業、学校など、それぞれが自ら取り組まないといけない。

(障害者計画推進作業部会木村委員)
特に、精神障害は教育・宣伝活動が大変だという話をしたい。精神障害者は日本国内にいる650万人の障害者の約半分を占めているが、ほとんど事例が出てこない。教育・宣伝をする人が出てこない。親戚や家族が精神障害に対する偏見を恐れていて、あるいは彼ら自身が偏見を抱いていて、出てこられない。社会に大きなスティグマがあり難しい。しかし、今、当事者や準当事者である私達が言わなければならない。どう突破するのか、遅まきながらタウンミーティングなどを開きたい。

(佐藤副座長)
赤堀さんの話を聞いて思ったが、重い話を「勉強しよう、研修しよう」というとますます重くなってしまう。軽く、楽しみながら勉強できるような手法があれば、多くの人が参加できると思う。

(山田委員)
私の子も知的障害を持って生まれ、小さいときにはいろいろな壁があり、それこそ差別に当たるような事例も多くあった。けれども、重要なのは、その重さをそのまま理解してくれと言うのではなく、小さいときから障害のあるなしに関わらずつきあえるような場を持ち続けていくことが大切。子どもは遠慮がないから「変な子」などと平気で言ったりするが、友達になるのも早い。子どもたちの輪の中に自分の子を入れ続けることしかないと確信した。
多様な人たちを受け入れ、お互いに体験を積んでいくこと。いろいろな人がいるので、必ずしも、全員普通学級でともに育たなければいけないわけではないが、それを希望したときに、実現できるようになっている必要がある。千葉県で一歩踏み出すことができないか。

(佐藤副座長)
両委員の発表について何か。

(障害者計画推進作業部会竜円委員)
赤堀委員の発言について、感想を。市川で、5人~10人くらいの小集団で集まって話し合ったときのことを思い出した。かなり深刻な事例を明るく話すことができた。やはり、語り合える場所があるとずいぶん違う。障害が重い子は、どんな行動をするときも親が一緒。だから、ひどい虐待事例はないが、「仮に一人だったらひどいだろうね」という話をした。
本人がその場にいるのに、「大変ね」と言われるのが嫌なのは、本人の存在が無視されているから。本人には思うこと、感じることがいっぱいあるのに、本人が存在しなくて、"大変なお母さん"だけが存在している状態。だから、本人の目の前で「施設に入れてよかったね」などという発言が出てくる。

(障害者計画推進作業部会植野委員)
聴覚障害者にかかわらず、全ての障害者にとって、居場所がない。発言する場所が非常に少ない。たまったものを爆発させてしまう。
例えば、セクハラは、女性という当事者はその場で反論できる。どちらが正しいかはともかくとして、どのようなところが問題なのか話し合うことができる。
しかし、障害者、特に聴覚障害者は通訳がいなければその場で反論することもできない。視覚障害者の方もコミュニケーションの困難さは同様だろうと思う。当事者の言う場所がない、というのが現実である。

(障害者計画推進作業部会木村委員)
当事者の言う場所がない、ということに関連して。精神障害の場合、それだけで一人の人格として認めてくれない。主張を聞いてもらえない。手帳に写真も貼られていない。
各障害の特性が違うので、どこで整理していくかも話し合っていかなければならない。

(近藤委員)
国立精神保健研究所の研究で、偏見を除去するための全国規模のプロジェクトを行っているので、見てほしい。中学校などに行くと、やはり障害者とふれあうことが少ない。話し合った前後で、意識に関するアンケートを採るという研究も行っている。去年、イベント会場で市民1000人にアンケートを採るという試みも行った。
やはり、中学校でそのような授業があればだいぶ違うのではないかと思う。教育の中に福祉概論があったり、いろいろな人とふれあう機会があればよい。授業が時限数削減で過密な中、市川市では3校ほどでこの事業を行っていただいている。

(森委員)
前回の長いメモ別紙~から掘り起こさせていただくが、「障害を抱えているという事」をマイナス、悪と考えさせてしまう社会、世の中の仕組みや思い(関係性の断絶の構造・排除の思想)に対して、人間お互いの生き方の中で、障害を抱えているからこそ、より深く人と人との関係性において関わり合う事が出来、「共に」その障害を乗り越えようとする共通感や共有感や連帯感を持って生きていく事(有機的な関係性の創出)が出来る事を広く訴えかけていく事が必須だと考えます。
次世代育成の議論の中で「子どもは社会の宝」というが、障害者差別をなくしていくために、私見ですが「障害者こそ地域の宝」ということで、話し合ったりふれあったりできる場を作っていくことが必要と考える。

(西村委員)
自分は、自分の子どもたちの動き方を見ていて思うことを述べてみる。
子は、私の福祉活動、例えば誕生会や流しそうめんなどに一緒に来ることが多いが、私はその活動がどういう趣旨の活動か特に説明しない。しかし、そこでかわいがられたりして溶け込んでいく。町中であっても、活動で会った人たちと話をしたりする。私が解釈をつけて活動の内容を伝えたりはしていない。特に配慮をしないままで一緒に進んでいる。
解釈をつけたりした、意識した啓発活動でなくとも、子どもの感受性はすばらしいので、自然な形でともにふれあう中で育っていく意識というものがある。教育をしていくことも、時期を合わせて行うことが重要と思う。

(佐藤副座長)
皆さんの基本線は同じということだと思うが、ふれあいは、理解をすすめるということだけではない。差別もまたふれあう中から生まれるもの。
差別であると思ってしまう人の意見をどう受け止めていけるのか、ということについても踏み込んで話し合いたい。

(成瀬委員)
障害者はなってみないと分からない。「世界に入っていけない自分」を見いだしたときに感じることというものは、体験しないとわからない。私は手術をして歩けなくなった。寒いときは足が震えて痛くて仕方なかった。トイレについても、車椅子の幅は、JIS規格では57cm。しかし、多くのトイレの入り口の幅は55cmくらいになっている。わずか1、2cmの差で何もできない。わざわざタクシーを使ってホテルの広いトイレに行ったこともある。
心に感じた、悔しいという差別もあるが、具体的に、物理的に何もできない状況に置かれることも差別。心の差別と、この2つは分けて考えなければいけない。
アジア・太平洋の発展途上国には、偉い先生が「これは障害ではない」と決める国もある。日本の日本も、例えば自閉症が医師に知られていなかった時代などはそうだった。
人が人を格付けをして、決める立場に置く、これは第3の差別だと思う。これは私達が差別を論ずるときに陥ってはならないことだと思う。

(佐藤副座長)
条例化することは難しいと思うが、意識の問題も乗り越えていきたい。教育・宣伝活動についても踏み込んで論じていきたい。

(障害者計画推進作業部会植野委員)
意識ということの定義について伺いたい。自然に起こってくるものと、組織の中でのものは異なる。
この前、結核学会の講演において、職員に聴覚障害者がいたが「主催者側なので通訳はつけません」ということだった。民間企業は経営が成り立たなければならないが、行政では予算項目が決まっていて、余っていても流用できない。組織の中では人の意識は拘束される。

(佐藤副座長)
組織の中での意識の問題は、むしろ制度上の問題。条例で変えていくべき。
竜円さんの発言について、「大変ですね」と言うことも言われることもよくあると思う。受けた方は差別と思うわけなので、それに踏み込んで考えていかないと、コミュニケーションがとれない。

(成瀬委員)
「大変ですね」といわれることは多い。以前住んでいたところで、私が車椅子をこいでいるとよく言われた。そこで反応すると、開き直って「大変なのに何で車椅子で外出するのか」などと言われた。
「ハンディキャップを持っていると、人間はひとりぼっちになってしまう」。という思いがこびりついている。それをなくしていくのが大事。

(森委員)
「大変ですね」と言われたときに、「大変じゃないのに。何でそう思うのか」とか、お互い言葉を投げっぱなし、受け止めっぱなしにならないように、差別と感じることにどう踏み込んでいけるか、投げ返せる関係性をどう作るかが重要だと思う。
私が学生の頃在籍していた大学は、障害者を積極的に受け入れることだったが、実は、大学内にスロープがなかった。車椅子の学生がいたので、私達が、今にして思えば考えが足りなかったのだが、「スロープを造ろう」という要望を大学に出すことにした。すると、その車椅子の学生から、「スロープを造るのはよいが、そうすると、他の人たちに「手を貸して階段を上げてほしい」と頼んだりふれあう関係性が失われてしまう」と言われた。
この例のように、大変だろうからスロープを造るということを目的化した話ではなく、人と人との関係性をどのように築いていくかという話をしていかないと、逆に、関係性がなくなる。「キャッチボールをどうするか」ということだと思う。

(西村委員)
ソ-シャルワーカーとしてクライエント(来談者)と接する際に、自分も陥っているのではないかと思う。
精神保健の専門的課程において、「受容しなさい、傾聴しなさい」と教育され、ねぎらいをすることをたたき込まれるが、逆にこれを差別と感じる人も多いのではないかと感じ、少し怖くなった。

(白川委員)
「なかなか分かってもらえないから」という理由で、精神障害者の方が出てこないという話について。仕事上、意見交換会を持つために、精神障害者の親の会に声をかけると、「精神障害は他の障害と違うからわかってもらえない」と言われることが多かった。どこがどのように違うのか知りたいという気持ちもあり、また、「親が一番の差別者」という応募事例もあったが、親の意見も聞きたいし、当事者の声も聞きたいと思って声を掛けている。しかし、なかなか難しい。「外に知られたら会社を辞めなければいけない」とか、警戒心がある。マスコミの犯罪報道の仕方なども問題があると思う。
近藤委員のように何かのおりに話をして、森委員のように関係性をもつことが、差別という以前の第一歩。

(横山委員)
私もかつてデイケアに通っていたが、そこでは精神障害を隠すようにと言われた。例えば、服薬はトイレでするように、入院歴を偽って就職するようにとソ-シャルワーカーに言われたりもした。私はその病院の方針が合わなかったので、別の病院に変えたが、「障害者は健常者にかわいがられるようにしなければいけない」という認識がその病院にはあったのではないか。アサーティブトレーニングによって話せるようになった。

(障害者計画推進作業部会木村委員)
おそらく支援する側のパターナリズムなのだと思う。「言わない方がよいだろう」という判断だったのだと思うが、レッテルを貼られたとき、病歴があるということで見方ががらっと変わってしまう。

(障害者計画推進作業部会竜円委員)
知的障害者の親は、先天性なので、子が生まれてからは5、6年苦しんでも、最終的には受容できるが、親が50歳くらいで、20歳代の子が精神障害を発病したとき受容が困難ということは分かる。知的障害者の親と精神障害者の親と話をしていて、そのような違いに気づく。

(高梨副座長)
言う方はねぎらうつもりだが、受け止める方はそうは思わない。これはセクハラと同じ構造なのではないか。ある会議で、女性の職員に対して、「○○さんも結婚して退職したら後任が必要だから…」という発言をした人がいたという。言った方は心配したつもりかもしれないが、独身とばれてしまう。セクハラではガイドラインがあって、研修していくことでしか理解は進んでいかない。障害に関してもガイドラインを作る必要がある。
二つめに、先天性か後天性か、障害の種類が何か、障害受容のどういう過程にあるかということでもだいぶ違う。障害者は、周りに変わってほしいということが多いが、障害者も、こうあってほしいというべきではないかと思う。障害者にも自らの思いを語る義務がある。啓発というと、一般の県民に対してのみ行うイメージがあるが、同じ県民なのだから溝を埋める責任があるのでは。

(小林委員)
だいぶ昔に聞いた話を思い出したが、保健婦と看護婦はどう違うか、ということについて、「お変わりないですね」と言って、相手が言いたいことを飲み込んでしまうのが保健婦で、「お変わりありませんか?」と投げかけを尋ねるのが看護婦、という話。
「大変だよね」と言われると二の句が継げない。相手の言いたいことを引き出すところからコミュニケーションが始まるのではないかと思う。

(佐藤副座長)
ここで、両委員の発表については終わりとしたい。

(野沢座長)
大変遅れて申し訳ない。今回、金子委員が初めて出席いただけたので自己紹介をお願いしたい。

(金子委員)
これまでの第1~5回の研究会と職場の会議とがぶつかってしまい、研究会に出席できず申し訳ない。
場違いな発言かもしれないが、「大変ですね」という発言には、「サービスがなくて大変ですね」ということもあるのではないか。当たり前に生きるために最小限必要な、障害の特性に合うサービスがないこと自体も差別ではないかと思う。
これらの事例を見ると、一般の方からの差別よりも、福祉サービスを使う上での差別が多いことに驚く。福祉現場でこのような差別が生まれてしまうことが驚きである。障害のある方を支援する場で差別があるようでは、一般の方に浸透していくのか。自分と同じ人間として、生きるための支援をしているか、特別の扱いをしていないか、障害のある方一人一人の人生を受け止められているのか、議論が進んだらまた発言したい。

(野沢座長)
事務局から追加資料があるので説明願いたい。

(事務局:小森)
資料5に、主な議論について抽出させて頂いたので、ご覧いただきたい。
(以下、資料5)

禁止というと罰するというイメージが強いが、一所懸命、十分な配慮をしている人をみんなで応援していく仕組みになればよい。頑張っているところに恩恵がある仕組みも有効。

制度を変えていけるような条項も組み込んだ方がよい。出てくる現象をたたいているだけでは解決しない。原因と現象を両方とも解消できるようにしなければならない。

福祉サービスの不足について、障害当事者にとって他の人と同じように暮らせないこと自体、差別とも考えられるが、一方で、条例において、選ばれた議員の権限を制約して予算確保を義務付けることは困難ではないか。

障害者とひとくくりにすること自体に無理がある。駐車場の幅は車椅子の人には必要だが、視覚障害者には必要ない。障害者やお年寄りのためだから配慮しろというのではなく、すべての人がその人の状況に応じて、どうやったら暮らしやすくなるかという観点から議論すべき。

企業は収益を確保するため、生産性に見合う労働力を求めざるを得ない。障害者だからといって特別扱いは難しいが、このことは「差別」とは別次元のことだ。

障害者に特有なニーズというものがある。そうした事例を知ったとき、ビジネスチャンスと捉える発想が必要だ。

(野沢座長)
加えて、一般の人に対するアプローチと、専門職に対するアプローチが一緒でいいのか、という論点もあると思う。児童虐待防止法などもそうなっている。
お金をもらって仕事している人とそうでない人とが同じ扱いでよいのかとも思う。

(成瀬委員)
4番目の項目は意味が違う。障害者とひとくくりにすること自体に無理がある、というのは一般論。車椅子使用者用駐車場の幅が350cmとなっているのは、それよりも小さいと自動車に乗降できないという単純に不可欠な寸法の話であって、必要か不要かを論ずるべき性質のものではない。

(事務局:小森)
必要なものについては当然必要という解釈はこちらも同じである。

(山田委員)
今、成瀬委員が言ったことも事務局が言ったことも分かる。ただ、対立的・否定的に書いてあることが気になる。「誰もが必要な時に使える」ということが最初のほうにあるとよい。
私が地域福祉支援計画のタウンミーティングの際に分かったことは、お互いに相手のことが全然分かっていなかったということが分かったこと。これだけは言っておかなければならない、ということを言わなければならないときは当然あると思うが、お互いに分かり合う努力も必要。どうやって共通項を見つけていくかが、ユニバーサルデザインに関わるのではないか。

(障害者計画推進作業部会植野委員)
ユニバーサルデザインという観点から、適当でないので書き方を改めるべき。5番目の項目についても、考え方は賛成だが、企業もサービスを提供するだけではなく、様々な責任があるのだから、もっと幅の広い文言にならないか。

(竹林課長)
本日事例分析の議論のみでは時間が余ると考えたので、実際には時間が余らなかったが、議論の軸を提供するために委員の発言の要旨をまとめて資料を作成したのみであり、議論を拘束するつもりは全くない。

(森委員)
この文章だけでこれだけ意見が出るのだから、条例の文章を練ったらさぞかし大変になるだろう。
この資料を議論するスケジュールを設定してもらって、このことについて話し合う日を設定してもらえるとよい。

(内山委員)
どのようにふれあうか、という議論が興味深い。統合教育の、障害のある子とない子双方に対する教育的有効性の議論と関わることだと思う。
高梨さんの発言として、障害者がもっと発言していくべきということであったが、障害者が発言できる場が必要であり、もっと議論をすべきだと自分も思う。

(野沢座長)
障害者の側から発言する義務、ということについても議論を呼ぶだろう。
6番目の項目のようにビジネスチャンスという発想があれば差別もなくなるのではと思う。

(堀口委員)
具体的に特定の課の施策に関係するような差別事例もあるようなので、各課で言われっぱなしではなく、「こんなこともしています」と言い返すような機会があってもよいのではないかと思う。例えば、特別支援教育のあり方などについて。

(障害者計画推進作業部会木村委員)
当事者が語る場を作ってから以降も、家族団体も含めて既存の団体が参画していない現実が精神障害にはある。各地でタウンミーティングをしなければいけない。全県的に障害者自身がこの流れに乗って、うねりにして運動体にしていかないといけない。各地で場を作っていく。
各団体の特性がある中で、どんな共通項があるのか、各障害種別の特殊性を踏まえて、その上の統合を目指す。半年だけでなく、自己表現、自己点検する場が必要である。ふれあえばリアクションがある。そういうことをやっていれば、意識も変わる。幽霊がいると思えば怖いが、柳と思えば開き直れる。
現在の流れの中で、地滑りのように変わるのではないかと希望を持っている。ちょっと何かあれば変わるのではないかと夢を追ってみたいと思う。今年のパリーグのロッテのようになるのでは。

(佐藤副座長)
今日の議論には勇気づけられた。障害者が自分を語る場の最大の機会は、差別を受けたと思ったとき。苦情処理の窓口のようなものがあるとよいが、大きな組織の窓口だと尻込みしてしまうから、身近なところで相談できるような体制があるとよい。条例になじまないようなことでも議論していきたい。

(小林委員)
かつて、アメリカの高齢者団体が高齢者の権利宣言をしたが、「権利を主張するだけではだめだ」ということで高齢者の義務も盛り込んだ。障害者権利宣言をする必要があるかは別として、権利の主張だけではなく義務について盛る必要もあるのではないかと思う。

(野沢座長)
各課の方々からもご意見をいただく場面を設けることについては。

(竹林課長)
個人として発言しても課の公式見解と受け取られることもあるし、やはり役人の特性としては個人としての発言はしにくい。準備した上で別に場を設けた方がよいのでは。

(森委員)
面はゆいので、せっかく毎回来ていただいている課もあるのだから、意見を聞ける機会は設けてほしい。

(事務局:小森)
次回の研究会は、「条例の法的性格と法律との関係等の検討・整理」「諸外国の立法例や関係団体等による条文案の紹介」が主な議題であり、5月26日開催だが、場所は今回までと異なり、本庁舎5階の大会議室になるので、来庁の際は注意してほしい。

(野沢座長)
先ほど木村さんがロッテの話をしたが、かつてロッテが18連敗したとき、ロッテの応援団はブーイングを浴びせたりせず、「俺たちはいつまでも見放さないぞ」という横断幕を掲げていたという。それが今日につながったのではないかとも思う。少々脱線したが、どうやったら良いところを伸ばしていけるのか、というような議論に関連しての話である。ともあれ、次回もまたよろしくお願いしたい。

お問い合わせ

所属課室:健康福祉部障害者福祉推進課共生社会推進室

電話番号:043-223-2338

ファックス番号:043-221-3977

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