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更新日:令和4(2022)年10月24日
ページ番号:2948
平成17年4月11日(月曜日)午後6時から8時
県庁中庁舎10階大会議室
(竹林課長)
野沢座長がまだ到着していないので、議論に入る前に事務的説明のみ行う。
前回同様、教育・労働分野の障害差別に当たると思われる事例の分析及び対応方策について議論する。(以下、資料確認等)
(野沢座長到着)
(野沢座長)
到着が遅くなり申し訳ない。今日は障害者計画推進作業部会から市川委員がいらしているので、自己紹介をお願いしたい。
(障害者計画推進作業部会市川委員)
約1年半前から、障害者計画策定作業部会で、特に雇用労働問題について参画させて頂いた。中小企業同友会で経営者の立場から障害者雇用を進めてきた。
(野沢座長)
前回いろいろと議論したが、担当した方に発表の形態はお任せすることとなった。なお、今回、労働分野に造詣の深い西嶋参与に時間がない都合により、労働分野を先に議論したいので、山田委員に分析の解説をお願いしたい。
(竹林課長)
連絡が不徹底で申し訳ないが、今手元に前回お配りした教育・労働分野の生の事例集をお持ちでない方は、隣の方の事例集をご覧いただきたい。
(山田委員)
労働分野のキャップをさせていただき、浦辺さん、近藤さんと連絡を取り合って分析してみた。欠格条項については植野さんをはじめ聴覚障害者の話を伺いたい。
(前回配布された)生の事例を見てほしい。
障害を理由とした処遇格差(求職・採用局面)
これは障害のある人が障害者を理由として不利益を受ける差別に当たる。
不利益取扱と合理的配慮欠如の両方が存在する。
また、同じ仕事をしていても待遇が異なるのは意図的な差別。
これは意識の問題と制度の問題の両方があり、どこまでが制度というべきか判らないが、制度にも改善すべき点がある。
事例26(155頁)を見ていただきたいが、求人が(健常者用と障害者用に)分かれていること自体は差別ではないのではないかと思うが、ファックスでの求人受付がないのは合理的な配慮を欠くことだと思う。
類型Iとしては、不利益取扱と合理的配慮欠如の両方。
類型IIとしては、意図的な差別と意図しない差別の両方。
類型IIIとしては、意識と制度の両方の問題がある。
改善方法としては、雇用に置いて障害を理由とする処遇格差をなくさせるため監督庁が権限を行使し、指導・改善させること。障害者雇用・中途障害者等の課題を改善するための方策を当事者・事業者・行政の三者が共同で取り組むこと。雇用者側(事業者・自治体)の意識改善を図る研修を、当事者を含む講師等によって行うこと。この3つの改善方法は他のものにも共通する。
障害を理由とした処遇格差(給与、異動、昇給、昇進、雇用形態等)
類型Iとしては、不利益取扱と合理的配慮欠如に加え、場合によっては虐待にもなりうるものだと思う。
類型IIとしては、意図的な差別と意図しない差別の両方。
類型IIIとしては、意識と制度の両方の問題がある。
改善方法は同上。労働現場における権利擁護の観点から事実をくみ上げるための相談窓口を充実させること。中核地域生活支援センターのように、相談とケースワーク機能を持つこと。不利益や精神的肉体的苦痛を与えた場合の回復責任を明確にすること。
障害を理由とした処遇格差(解雇局面)
事例5(131頁)
:向精神薬の類を飲んでいると言っただけで解雇された事例。
明らかに不利益取扱だが、これだけの理由でそもそも解雇できるのか。このあたりを守る制度はないのか。
事例30(158頁)
:統合失調症の男性に対する退職勧奨の事例。
この事例では、不利益取扱に加えて合理的配慮義務違反もある。
類型Iとしては、不利益取扱と合理的配慮欠如に加え、一つ間違うと虐待にもなる。
類型IIとしては、意図的な差別と意図しない差別の両方。
類型IIIとしては、意識と制度の両方の問題がある。
改善方法は、さきほどの~で同上。
なお、いくつか事例があるが、トライアル雇用終了後の解雇は、これは制度自体がそういうものなので差別ではないと思う。
障害者の就労環境に対する無配慮
事例55(169頁)
:職場で聴覚障害者に対する手話通訳派遣等の配慮がない事例。
類型Iは、合理的配慮欠如である。
類型IIとしては、意図的な差別と意図しない差別の両方。
類型IIIとしては、意識と制度の両方の問題がある。意識改革と、コミュニケーションを保障する制度の両方が必要。
改善方法としては、求人等において多様な障害への配慮をすることを法的に義務づける。違反した場合の指導とチェック体制を含む。雇用主の理解促進のため、当事者・事業者・行政の三者が協力して研修計画をつくり実行する。現場の当事者の声をくみ上げるための相談窓口を利用しやすくし、関係機関が連携して指導改善する。
障害者法定雇用率制度の問題
精神障害やその他の障害が含まれていない、という事例だが、法改正に待つという意味で、差別かどうかは△とした。
類型Iは、合理的配慮欠如である。
類型IIは、意図しない差別。
類型IIIは、制度的な問題と整理した。
改善方法は、法定雇用率制度の改革である。
障害者の就労市場が未整備
類型Iは、不利益取扱と合理的配慮欠如の両方。
類型IIは、意図的な差別と意図しない差別の両方。
類型IIIは、意識と制度の両方の問題がある。
改善方法は、多様な障害について理解を促進し職種・職域を拡大するため、当事者、すでに雇用を勧めている事業主、行政が協働して研修計画を立案し、県内すべての自治体・事業主を対象に(複数年度にわたっても)実施する。ハローワークでの障害者雇用・職域開拓が不十分なので、改善する。
障害に対する無理解・誤解・偏見
事例9(雇用主は理解して雇用していても、ともに働く従業員からいじめを受けたり、罰金と称して金を取られた事例)や事例17(雇用主が採用を決めたのに、パートタイマーたちの反対により取りやめとなった事例)だが、私自身もこういう話を聞いたことがある。
類型Iとしては、不利益取扱と合理的配慮欠如だが、これが高じれば虐待にまで発展する場合もある。
類型IIとしては、意図的なものも意図的でない差別の両方がある。
類型IIIとしては、意識と制度の両方の問題があるが、制度というよりは意識改革の問題。
改善方法は、事業主に障害者雇用のための職場研修を義務づける。(上記と重なる)障害者だけでなく他の従業員の職場環境をよくすることが必要。そのために監督庁が権限を行使し、指導・改善を行う。
欠格条項
これは明確に差別である。
類型Iは、不利益取扱と合理的配慮欠如の両方に当たる。
類型IIとしては、意図しない差別である。
類型IIIとしては、制度の問題。
聴覚障害者連盟から前回資料を頂いているので、そちらも参照していただきたい。
改善方法は、欠格条項の廃止を含む改革。
福祉的就労での職員の質の低さ及び要望解決システムの欠如
事例16
:福祉的就労の場において、その職員の障害者に対する理解不足が問題。さらに、それを訴えるシステムが整っていないため、解決しないままになっている事例。
類型Iは、不利益取扱と合理的配慮欠如の両方に当たる。
類型IIとしては、意図的な差別も意図しない差別もある。
類型IIIとしては、意識改革もいるが制度的にも改善の余地がある。
改善方法は、福祉的就労の場すべてを対象に当事者・行政の協働による研修を実施し、意識改革を促進する。当事者の権利擁護と、福祉的就労の運営のあり方を含めて行う。
障害者雇用に対する官公庁の先導的取組が不十分
差別かどうかは△だが、類型Iとしては合理的配慮欠如である。
類型IIとしては、意図しない間接的差別。
類型IIIとしては、制度改革の問題。
改善方法は県庁、県教委、他関係機関がモデルを示すことが必要である。学校に障害のある先生、障害のある子どもたちがほとんどいない状況を改善する。中途障害であっても仕事がつづけられるように環境整備をする。
福祉作業所等の受発注システム
事例19(147頁)
:小規模作業所がポスティングの仕事を受けようとしたとき、「以前そういうところに頼んだら利用者任せできちんと仕事をしなかったからだめ」と拒まれた事例。
差別かどうかは△。ただ、今後の課題として、受注できないのは不利益だと思う。類型Iとしては不利益取扱と合理的配慮欠如。
類型IIとしては、意図しない間接的差別。配慮が欠如していて、仕事ができるのに受注できない。
類型IIIとしては、意識改革を行い、仕事ができることを理解してもらうとともに、制度も改善すべき。
改善方法は福祉的就労と一般就労の場の連携を作り出すために、福祉作業所等と一般事業所との情報交換の場をつくる。定期的に開催し、業務発注・人的交流を行い、福祉的就労から一般就労への道を開く。
労働全体を見て、改善方法は最初の「障害を理由とした処遇格差(求職・採用局面)」で述べたに尽きる。
労働での差別を考えるとき、2つの事例を聞いたことがある。一つが、10年以上前だったと思うが、大久保製ビン工場事件。劣悪な労働条件に対して、組合を作ろうとしたら雇用主から弾圧を受けた。もう一つは、水戸パッケージ事件。知的障害者への暴言、暴行、暴力などがあった。
極端な例かもしれないが、忘れてはならない事例。こういう例がないようにし、あればなくさなければならない。
(野沢座長)
何かご意見のある方は。
(横山委員)
については差別かどうかが△になっているが、私は精神障害の当事者として差別に該当すると思う。勤労は憲法上の義務であり、また、自分の能力を活かして働きたいと思う。短時間勤務やジョブコーチなどの配慮があれば働くことは可能であり、働かなくてよいということでは非国民といわれているような気がする。
(野沢座長)
現在、国においても精神障害者を障害者法定雇用率に算入する法改正を検討中と聞いている。
(竹林課長)
事務局ではなく一個人の私見としてだが、精神障害者が法定雇用率に算入されていないことは、身体障害者・知的障害者と比べて不公平という話ではあっても、一般の被用者と比べて優遇されていないことが即座に差別と言えるのかという問題もあるのではないかと思う。
(高梨副座長)
理想をいえば、障害者に対して完全な合理的配慮をした上で、自由に競争させるべきである。法定雇用率や公務員試験での障害者特別採用枠は、当面の過渡的な誘導策であって、最終的な目標ではない。
しかし、現実的にはどんなに配慮しても、知的障害や視覚障害の方とそうでない方が完全に対等になるのか。また、競争であれば、不良品が出るような作業所には仕事を発注できない。
自由競争の中で何らかの配慮をしなければ難しい障害者もいる。合理的配慮で働ける方には配慮した上で完全競争、それでもできない方にはなんらかの誘導策が必要ではないかと思う。
(野沢座長)
これらはあくまで差別を受けたと本人が感じている事例を題材にしている。私も新入社員の採用試験の採点をすることがあるが、受験者に障害があるかどうかは私には分からないし、むしろ障害があると分かれば、努力している方を個人的には採用したいほどだが、障害があると分かった上でも不採用にせざるを得ない人もいる。それを「障害者を差別している」と言われるかもしれない。
雇用する側がその人を労働力としてどう見るかいうことと、本人の認識の間に行き違いがある。しかし、「障害があるから不採用・解雇したわけではない」と考えていても、雇う側に配慮が足りないのかもしれないし、また、精一杯の配慮をしているのにどうしても採用するのが厳しい場合でも、世間では雇う側をどう見るのか、差別となってしまうのか、難しい問題だ。
(西嶋参与)
高梨副座長の意見に関連して、企業側としては、「賃金に見合った労働」をしてもらわないといけない。企業で雇用されるということがどういうことか、これは福祉的就労と異なることなので、それは理解していただく必要がある。
しかし、障害を持つ方の労働に対して、雇用主の配慮が足りないことも多いことは事実である。
ただ、これらの事例は差別されていると感じている側から出ている事例なので、企業側が「不当な解雇ではない」というケースもあるだろう。両面から見ていかないと難しい。重要なことは、「必要な合理的配慮」を行うことだが、どこまでが必要な配慮なのかという判断が難しい。
(障害者計画推進作業部会植野委員)
山田さんからの発表に関して、意識的差別、無意識の差別、という話があったが、表現が不適切かもしれないが、採用後の差別というものが多いということを強く感じる。
例えば、社内の会議で手話通訳を呼ぼうとしても、病院、学校などは公益事業なので補助金が出るが、会社では出ないし、企業も金を出したくない。また、会社の中での機密保持のため、手話通訳を社内に受け入れることへの抵抗という問題もある。社内では公平に文書決裁が回るが、研修に参加しようとすると「手話通訳は難しいので、いないのを承知の上で参加してくれ」と言われる。事実上研修に参加することができない。意識的差別とも無意識の差別とも言い難い所だが、どう考えるべきか。
(成瀬委員)
今の事例は典型例である。「建前はこうだが本当はこうしてほしい」ということが日本社会には多い。
欠格条項の例として運転免許があるが、肢体不自由者がサニーで免許を取ったら1,000cc以下という条件を付けられた。聴覚障害者が免許を取れるようになったとき、全国での取組は一律ではなかった。警察署の判断で変わっていた。国立リハビリテーションセンターで記録を調べて、中央法規から出版されたものがある。改善されてきてはいるが、ケースバイケースで、「建前はこうだが本当はこうしてほしい」という非常に日本的な、和風な方法でやられているのではないか。
(障害者計画推進作業部会市川委員)
私も34歳の知的障害者の父親である。皆さんには嫌われるかもしれないが、障害者の親ではあるが、「障害者は甘えるな」と言わねばならない。
経営者は利益を上げなければやっていけない。障害者が働いているのを見て「こんなところにこんな人を使って」という客もいる。「元気でいいね」と言ってくれる客ばかりではない。企業だけに差別の責任を押しつけてはいけない。
また、そもそも、中小零細企業はそこの経営者のおやじさん、おふくろさんの度量で障害者雇用をしている。障害者法定雇用率というが、中小企業に雇われている障害者は全てカウントされていない。では中小企業の障害者はどうなっているのか。少なくとも現状を把握せねばならないと私は言ってきた。元来、中小企業では労働環境は劣悪なもの。着替えの場所もないが、上ばかり見ないで自分たちで我慢できるところは我慢すべき。
管理職登用の話があったが、約40,000社が加盟する中小企業同友会の加盟企業で、北海道のある会社が足の不自由な人を課長にしようとした。その際に条件として、「遅刻しない、早退しない、残業もする、他の人と一緒の条件で課長にする。」という条件を付けた。その人は耐えて課長になった。
障害者だからという甘えで企業に就職しないでほしい。差別をしないでほしいと言うなら、差別されないように努力してほしい。
「作業所に仕事がないから仕事がほしい」とも言うが、クレームが出るような仕事をするところには仕事は出せない。新潟に大きな印刷工場があるが、営業も障害者がしている企業もある。
だから私は、既得権に甘えないで努力しようよと、失礼を承知で言いたい。
(障害者計画推進作業部会植野委員)
千葉県内で、携帯電話の営業をしている聴覚障害者の女性がいる。電子メールなどで自ら営業をして、約4,000人いる営業社員の中で成績が3位になった。しかし、いまだに契約社員のままである。
また、ろう者で木工の仕事をしている方がいるが、コミュニケーションができないために、完成した木工品を取られてしまい、成果を評価してもらえないという。このような方々もいることを十分承知してほしい。
(佐藤副座長)
市川さんの意見も出るべき意見だと思う。しかし、私も逆の立場から言わねばならない。これらの事例の中には、差別と言うよりも、連続徹夜労働など虐待と言うべき例もある。「甘えるな」と言うのとは逆の立場で、「こき使うな」と言いたい。権利擁護のための機関が、企業側を止めるために必要である。
とはいえ、もう一方で経営が成り立たなければならない。経済原理は必要だが、経営が成り立つようなしくみも必要。補助金や法定雇用率の制度があるが、補助金のピンハネ等がないわけではない。せっかくの制度を乱用する企業を監督して正す機関が行政の他にも必要。
一番重要なのは、障害者を雇っている企業が、ピンハネなどしなくても儲かるようにすること。みんなでその後押しをしていく方策があれば、もっと世の中が良くなるのではないか。
(山田委員)
せっかく同じ職場にいるのに、力を引き出せなくて「共に生きる」ことができずマイナスになっていってしまう。今まで、教育の段階で分離されていて、働く年齢まで分かれていて、「共に生きる」ということができていないからではないか。教育と労働はつながる分野だと思う。
(野沢座長)
必要な配慮があれば十分にあれば働けるのに、働くことができない人は多い。門前払いはいけないし、虐待も当然ながらいけない。しかし「必要な配慮」がどのようなものになるかは難しい。
佐藤さんがおっしゃったように、禁止というと罰するというイメージが強いが、一生懸命十分な配慮をしている人をみんなで応援していく仕組みになればよい。頑張っているところに恩恵がある仕組みが有効だと思う。
(白川委員)
教育の事例のからまでの類型の中で、事例が多いというだけではなく、深刻な問題は体罰や虐待。しかし、暴言が差別に当たるのかが難しい。教師個人の資質によるのか、たまたま機嫌が悪いのか、これをどう差別という中にくみこんでくのか。暴言の中で、個人的な問題でないところで共通している問題があるのではないかと思う。
(以下、資料4:「最も多かった「教職員の暴言、体罰等」の事例から差別の実態をみる」参照)
事例の類型のなかで、「教職員の暴言、体罰等」の事例が54事例にも及んでいる。教育の全事例数168事例の約3分の1の事例の中に「暴言、体罰」の記述があったということになる。類型「他の生徒と異なる扱い」に分類した24事例の中にも、受けた側にとっては教職員の体罰と感じるであろうと思われ、その線引きが難しい事例も入れるとその比率はもっと高くなる。
54事例の内訳は、特殊学級が7事例、養護学校が7事例、幼稚園・小中学の普通学級が36事例、高校・大学・専門学校が4事例と、普通学級が7割弱になっている。
養護学校では体罰が7事例のうち4事例、高校・大学・専門学校では手話通訳を希望したことに対する暴言が4事例中2事例である特徴があるが、最も多い普通学級の事例を通してその実態を検討したい。
普通学級(36事例)では体罰が4事例にたいして言葉による暴力や嫌がらせが圧倒的に多い。そのなかでも最も共通しているものをあげると、事例16、20、23、40、52、58、85、99、100、101、102、103、106、122、123の15の事例で、「ここではみれない」「皆と一緒にいるのはむり」「本人のためになっていない」など、普通学級から障害児を排除し、特殊学級や養護学校に移ることを示唆する差別的言動である。その結果、教室に入れなくなったり、登校できなくなった(事例20、99、106)。特殊学級に転籍したり(事例100)、引越しをした(事例85)など深刻な例がみられる。
これをみるかぎり、教員の個人的資質の問題であるより制度・施策にその根本的要因があると思う。世界的にみても障害児教育は統合を原則とする方向にある。しかし、文部科学省の姿勢は一貫して分離教育を維持しているので、地域の普通学級に当たりまえに就学できるようになっていない。教職員本人が意識している、いないにかかわらず分離教育を明言している学校教育法が暴言のバックボーンにあり、本人・親は追い出されるのではというプレッシャーにさいなまれている構図である。
しかし、校長がかわったのをきっかけに改善されたり(事例20)、校長に要望書を出して改善された例(事例99、106)にもみられるように、教育現場はかわることができるのである。ただ、それは担任や校長がかわるとまた後退する危険性をはらんでいる。
体罰や暴言などを担任や校長個人の問題に摩り替えないために差別禁止条例が必要になる。差別禁止条例が現実的に機能するために、視聴覚障害児や養護学校・特殊教育の選択権を保障したうえで原則統合教育を受ける権利、個々人に応じた個別支援を受ける権利、本人あるいは親がその策定に参加する権利を明記する。さらに、個別支援の内容に従って学校全体で支援する体制づくりや、療育・心理・OT・PTなどの専門機関や専門家と連携などの配慮義務を明文化し、権利確保のための救済制度を設ける。
しかし、そのような差別禁止条例をつくっても暴言や体罰などがなくなるとは限らない。なぜなら暴言・体罰はそれをする人の心の問題でもあるからである。また、当事者からみれば差別や権利侵害が自明なことであっても、相手側の無知・無理解・偏見による意図しない言動は差別や人権侵害とみなされないことも非常に多い。救済機関に訴えても事例1にあるように「人権侵害事件としての暴力の事実及び人権侵害は確認できなかった」という結論になりがちである。それゆえに、差別の定義に意図しない差別も差別であることを明文化する必要がある。また、具体的な禁止規定として暴言、暴力、無視、侮辱的対応を条例に盛り込むとか、ガイドラインを策定して教職員の研修を義務付けることも必要だと思う。
(野沢座長)
では引き続いて高村さん。その後改めて議論をしたい。
(高村委員)
自分なりにまとめてみた。個々の事例に戻れるよう索引を付けた。
(以下、資料3「教育分野(幼稚園・義務教育)(PDF:266KB)参照)
(森委員)
人権啓発センターが出しているスティグマという雑誌がある。その2001年7月号の記事で、「千葉「障害児・者」の高校進学を実現させる会」が2001年に要望書を教育委員会に出していて、継続活動中だと思うが、要望書が経過としてどうなっているのかも検証する必要がある。それが改善策として現実的にどうなっているのかということを把握しておくことも研究会として重要なのではないか。様々に現実的な活動をしていることに対する検証をすることも大切。
4月9日の千葉日報に、「教員にもマニフェスト」という記事がある。個人的な資質ではなく、システムの改善に前向きに教育委員会が取り組もうとするのであれば、差別についても提言活動が必要なのでは。
積極的な企業を支援していく仕組み作りも必要。4月7日の朝日新聞に「次世代育成支援対策推進法」に関して、女性の働きやすさなどの企業の社会的責任を基準にした投資信託商品の発売を始めた金融機関関連の記事がある。自由競争の経済社会で、企業の応援について私達にできることを考える必要がある。
(成瀬委員)
陳腐なことだが、エレベーター設置状況で給食用とあり驚きだが、これは乗れるのか。以前、ある学校で衛生上の問題から車椅子では乗れないと言われた。
また、高村さんの資料はすばらしいと思う。33頁の規則(障害者の機会均等化に関する基準規則採択1993年(平5)12月20日国際連合総会)、これが、これから先を考えていく基準になるのではないか。「国連障害者の十年」の終わる年に、リンクイストさんの講演で「この世の中は誰のためにあるか」というという話があったが、これが基準となる。
(障害者計画推進作業部会市川委員)
「障害者の教育とは何か」を考える必要がある。障害を障害と見るか、個性と見るか。個性を伸ばすのが教育で、普通学級でも特殊学級でも養護学校でも行きたいところに行ければよい。みんなが見守ることが大切。「あれができない、これができない」とマイナスする減点主義ではなく、良い面も伸ばしてプラスにできれば良いと思う。
ある時、ホームセンターに視覚障害者の方が来ていたが、誰も通路の障害物を指摘もしなければどかしもしない。いい格好をするわけではないが、自分がどかした。
周りの人が子どもに注意して、親が子どもを注意することが社会に貢献していく教育と思う。
(西村委員)
差別に関するある研究の話で、世代の異なる方々に対して、差別に関するシンポジウムなどのプログラムに参加した前と後では、若い世代のほうが意識が大きく変わる結果になった。やはり教育の場が差別・偏見をなくしていくために重要である。
(内山委員)
私の周りにも、「障害児のいる学校に子を通わせたい」という親もいる。いろいろな子に交わる機会を設けたいという親も増えているのだから、それを「売り」にできる学校教育もあってよい。
ADHDの子がいる親。仕事をしながら子どもの世話をすることは、私には真似できない。仕事を辞めるという選択も私にはできない。
母親が介助を強要されやすい状況にあるとき、障害を持つ子の自己実現とともに、家族の自己実現をどうするのか。「この子のせいで自分のやりたいことができなかった」という犠牲感を生まない、自分の子供のせいにしないような仕組みが必要。
(野沢座長)
僕も、普通の子にとっても、障害児が教室にいるほうが絶対に良いと思う。子が障害を持っており、名前はタケシというのだが、他の子をつねるくせがある。あるとき、先生がクラスメイトの作文を送ってきた。「タケシ君がつねった」と。抗議かな、と最初どきどきしたが、読むと、「つねられて赤くなったのが友達のしるしだ」とあった。そんな感じ方もあるのか、と。こういう子どもの感性に期待したい。
障害児が差別・排除される要因としては、一般の保護者の視線というものが背景にある。そういう親たちがいて、教師も排除したくなる。他の子たちもいじめるようになる。他の子の親をどう変えるかも大きなテーマではないかと思う。
では、障害を持った子そのものはどうなのか。親が完全に代弁できているのか。親の達成感とかプライドというものも、排除しようとしても残るもの。学ぶ権利は本人にある。しかし自分ではなかなか選べない。選べるようになるために、親は学ばせるからいたちごっこなのだが、見過ごせない問題だ。
(高梨副座長)
結果論としては喜んでいることなのだが、平成6年に私どもの法人と施設が現在地に移転したとき、近隣住民から厳しい反対運動があった。これに対して、市が敷地続きに中学校を作って福祉教育をして、それで状況が変わった。
当初は、時には、当施設利用者の方が一糸もまとわずにプールから出てきたりして驚かれたが、徐々に変わった。中学校の生徒でも、兄弟の障害を隠す傾向があったが、自ら作文で発表したりするようになり、恥ずかしいことと思わなくなってきた。逆に、親が子に注意されたりするようになって地域が変わってきた。
大きな夢と可能性がある次世代の子供たちがどう変わるかが重要。
(山田委員)
保護者や地域の意識の要素もあるが、やはり制度の要素も大きいのが実感である。また、学校の役割も非常に大きい。
「障害児と一緒に学ばせたい」という親もいれば、「なんでうちの子が障害児と一緒に」と思う親もいる。しかしどちらにも傾くグレーゾーンの親が一番多い。どちらに傾くか、そこに学校の意識が大きく影響する。教師や校長に「一緒にやりましょう」というやる気があると、グレーゾーンの親もプラスに傾いていい雰囲気になる。教育制度とそこで働く人たちを中心に考えなければいけない。
(障害者計画推進作業部会市川委員)
「障害者がいる学校に子を行かせたい」と言う親が増えているというのは本当に明るい傾向だと思う。マイナスの(差別的な)例を挙げるだけではなく、プラスの「こんないい話もあった、あんないい話もあった」という話も挙げてプラス思考で行かないと、小さな話になってしまう。
たいした話ではないが、トイレの注意書きで「汚すな」というネガティブなものではなく、「きれいに使ってくれてありがとう」というものがあった。こういう伝え方もあるんだと思った。
「こんないい事例もあるんだ」ということも広められればと思う。
(成瀬委員)
座長に提案がある。今日は時間がないが、せっかく県庁の方がいらしているので、次回から感想・ご意見などを是非仲間として聞ければよいと思う。
(野沢座長)
自分も県庁の方々の意見も聞きたいと思う。
教育、労働はこれで一段落だが、これからが本番だと思う。夏から秋にかけては各界からも意見を伺いたいと思う。
前回、事例分析のチームを決めたが、全員入ることになったので、野老委員は「不動産の取得・利用」、赤堀委員、根本委員は「その他」分野でお願いしたい。
では今回はこれにて終了する。
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