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更新日:令和4(2022)年8月3日
ページ番号:315075
(まごめいせきしゅつどがとう)
県指定有形文化財(考古資料)
平成20年3月18日
印西市木下1489-1 木下交流の杜・歴史資料センター(印西市)
瓦塔とは、木造の五重塔などを模倣した焼き物製の小型の塔で、8~9世紀、奈良時代から平安時代にかけて作られ、北陸地方、東海地方、関東地方で多く出土している。中心に木製の心柱(しんばしら)を立て、宝珠(ほうじゅ)、竜車(りゅうしゃ)、水煙(すいえん)、相輪(そうりん=塔の先端部分)、伏鉢(ふくばち)、露盤(ろばん=最上層に載せられた半球形と四角形の部分)、屋蓋(おくがい=屋根部分)、軸部(各層の柱と壁の部分)を重ねて通して塔としていたと考えられる。初重(1階)部分には、四方に観音開きの扉が取り付けられていた痕跡があり、その中に小さな仏像や経典を納めて礼拝の対象とされていたと推定される。8世紀中頃までの古い瓦塔には須恵質(窯で焼かれた堅い焼き物)のものが多く、屋根瓦から建物の細部まで忠実に模倣して作られていたが、8世紀末期頃からは数多く作られるようになり、土師質(はじしつ=素焼きの焼き物)が中心となって、建物表現も省略が進む傾向がある。
瓦塔が出土した馬込遺跡は、印西市平岡に所在する集落遺跡で、平成9年から平成10年にかけて発掘調査が行われ、奈良・平安時代の竪穴住居7軒、掘立柱建物6棟などが発見されている。瓦塔は、破片の形で発掘調査範囲の北端部分から集中して出土し、集落内に安置されていたと推定される。馬込遺跡の瓦塔は土師質で、屋根瓦や建物表現の特徴から、平安時代初期、8世紀末期から9世紀初頭に作られたと考えられる。これまでに出土した瓦塔はほとんどが五重塔であるが、馬込遺跡のものは2基の七重塔に復元でき、このような事例は全国的に見ても例がない。
この瓦塔は、古代東国の集落の中まで仏教の教えが広まっていたことを具体的に示す貴重な資料である。
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