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更新日:令和6(2024)年6月28日

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県政情報・統計

千葉県誕生150周年記念事業 百年後芸術祭カンファレンス

令和6年6月28日掲載

再生時間:1時間39分

千葉県誕生150周年事業の一環として開催されている「百年後芸術祭」は県内6地域で開催されました。そのうち市川市で開催された「いちかわ芸術祭」のイベントとして、令和6年1月21日(日曜日)に現代産業科学館内で「百年後芸術祭カンファレンス」が開催されました。ここでは二部に分けて実施されたトークセッションの様子を配信します。

【第1部】集落というミクロ/宇宙というマクロ-異なる世界からみた未知とは
概要
アートとサイエンス、異なる視点でみた未知について考える、いちかわ芸術祭のトークセッション
登壇者

  • 国立天文台准教授 縣 秀彦 氏
  • 千葉県誕生150周年記念事業総合ディレクター 北川 フラム 氏
  • 柏の葉アーバンデザインセンターアート・コミュニケーション担当ディレクター 小山田 裕彦 氏

【第2部】万博への一歩、その先の未来へ
概要
百年後芸術祭と2025年大阪・関西万博が思い描く未来を題材としたトークセッション
登壇者

  • 千葉県知事 熊谷 俊人
  • 大阪府知事 吉村 洋文 氏
  • 千葉県誕生150周年記念事業総合プロデューサー 小林 武史 氏
  • キッコーマン株式会社 代表取締役会長 堀切 功章 氏

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動画の内容

【第一部】集落というミクロ/宇宙というマクロ-異なる視点から見た未知とは

司会)皆様大変お待たせいたしました。本日はお寒い中、御来場くださいまして誠にありがとうございます。それでは、只今から千葉県誕生150周年記念事業百年後芸術祭カンファレンスを開催いたします。私は司会を担当します秋元美加と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

それではさっそくトークセッションに移らせていただきます。第一部では「集落というミクロ/宇宙というマクロ 異なる世界からみた未知とは」と題し、アートとサイエンス、異なる視点でみた未知についてお話しいただきます。
登壇者を御紹介させていただきます。
大学共同利用期間法人 自然科学研究機構 国立天文台准教授 縣 秀彦様
千葉県誕生150周年記念事業総合ディレクター 北川 フラム様
柏の葉アーバンデザインセンター アート・コミュニケーション担当ディレクター 小山田 裕彦様
以降の進行については、小山田様にお願いいたします。

小山田)皆様こんにちは。お疲れ様でございます。今日は雨の中、足元の悪い中ありがとうございます。今日は千葉県150周年ということで、進行させていただきます。私自身は柏の葉というところでスマートシティの開発を16年くらいやっております。一方で種子島では宇宙芸術祭という芸術祭の事務局をやらせていただいておりますが、本日はフラムさんと縣さんとお二人に、宇宙もそうですけども未知なるものの魅力について、少しお話を伺えればと思っております。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

それではまずお二人のご紹介をしつつ、自己紹介をしていただこうかなと思っております。本日はさん付けでお願いしますということだったので、フラムさん、縣さん、小山田さんでやり取りすることになりますのでよろしくお願いします。最初にフラムさんの方からですけども、フラムさんは今回の150周年の総合ディレクターということでいろんな任務をされています。それから日本中、世界も含めましていろんな芸術祭を地域というミクロの中から非常に大きな視点でもって芸術祭を、ディレクターをやってらっしゃるということで、そういう形で少しいろんな広い視点、ミクロの視点をちょっとお話しいただければと思います。じゃあまずフラムさんから自己紹介を含めてご紹介お願いします。

北川)今小山田さんが説明してくださったとおりなんですが、この千葉県に関しては今日もう懐かしかったんですが、高校終わってすぐ予備校に入りましてですね、すぐ3カ月で寮を出されたんだけれども、予備校から通っているところが本八幡で、すごい懐かしかったですね。本八幡もいろいろ面白くて、だから自分がいる場所、いる場所、縁ができたところを回るのが大好きで、今回
も熊谷知事からお話があって、千葉県本当にいろんなところを周らせていただいて本当に楽しかったんですね。で、非常に豊かだなあということと、アクアラインに行くと、房総半島と三崎半島が重なって見えるわけで、すごい近いんだな、と思ったら、そういう道路もできそうだ、とかいうのをみて、あ、と思って。ちょうど鎌倉殿が終わったばかりの頃なので、千葉県は豊かだという
ことと、鎌倉かと近いことを感じた。今の御紹介があったのでいうと、足元はそれぞれの場所でいろんな人が住んできた家とか公民館とかも含めてですが、そういうのが重なっていて生きてきたんだということをちゃんと見たいなと思っています。

今日の話に無理にくっつけるとすると、僕がかかわってきた芸術祭は宇宙っていうか、そういう星を見るとか、そういったのと関係のある方は非常に多かったです。例えば、動物とかのことをやっていても宇宙、っていう意識でやっている人がいるとか、だから実際にサポーターとかいろんな場所でやったアーティストとかもそうですが、種子島に縁のある人がものすごく多かったとか、もともと大地の芸術祭も池内了さんが最初から加わっておられて、ある指針を出してくださるとか、そういうことも含めて、だからいつも足元は本当すごい足元なんだけど、あと一気に宇宙へ行っちゃうその感覚の中でやってるということが多かったと思います。

もう1つ述べるならば、いまやっぱり文明がいろんな意味で、今日もさっき渡辺さんという人の生命の所に行ったけれど、今地球環境が相当おかしくなってきてて、その生命っていうのもぐんぐん種が減っていくとかそういうことを含めている中でいろんなことを考えるときに美術っていうのはそういう意味で混沌の中で考えるっていうことはありますね。縣さんの本を読んでいくと、す
ごく勉強になったのは、わけのわからない未知な世界を含めたところがユニバースであると、だからユニバースっていうのがあるんだ、と最初に出てきて、私たちの手が届くところはスペースなんだと、私たちが普段いう宇宙空間はスペースだという風なことがあって、なるほどなあいう風に思って。そういうので言うと、普段私が関わっているのは個人とか人間の五感とかそういうのを含めた意味での、あるいは家族のスペースをやっているんだけども、遠くの方にユニバースって見ながらやっていないとどっち行っていいかわからないとか、そんな風になるのかなあと、今日の話の前の勉強の結果、こじつけではそういうことを考えてマクロとミクロについて言おうと思ってきました。

小山田)ありがとうございます。ユニバースとスペースと、なんかもう結論じみたお話がちょっと出てきてしまいましたけれども、今日はこのスライドの後にいくつか写真も用意していたんですけれども、その話をする暇もなく次のテーマに行ってしまいましたので、また後程お見せできることがあったらと思います。

この流れで今度は縣さんの方から自己紹介をお願いしてもいいですか。
スライドの方は送っていただいて、縣先生のところから行きましょうか。

縣)ユニバース、宇宙ですよね。ユニバースは実は森羅万象。すべてなんですよね。僕らが住むこの世界全体が宇宙、ユニバースなわけなんですよね。私、紹介されました、国立天文台の縣と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
すばる望遠鏡ってみなさんご存じですか。御存じの方ちょっと手を挙げてもらっても。はい、ありがとうございます。1999年にハワイ島マウナケア山という4200mもある山の頂に、日本の科学技術の粋を集めてですね、9年ぐらいかけて望遠鏡を作ったんですけど、巨大な、今も世界最大級の望遠鏡として活躍しているすばる望遠鏡がみなさんのお力を借りて出来たんですね。それが私の国立天文台で働くきっかけになりました。25年も前のお話です。国のお金350億円も投入して、まあ基礎科学の分野ではそんなにお金を使うことは画期的なことでしたから、その成果を国民のみなさん、または世界中の人に伝えようっていうので、私は雇われました。

特に自己紹介をしますと、特に化学とか宇宙や星に普段全く興味がないよっていう人にその魅力をどう気づいてもらうか、知ってもらうかっていうことを主にやってきたんですね。すばる望遠鏡せっかくですからちょっとご説明させていただくと、皆さんから見て右の方に丸く光っているあれが鏡なんですね。あの鏡が8.2mもあります。このステージと変わらないぐらい大きな大きな一
枚の鏡で宇宙からの光を集めますと僕らが目で見るよりも一万倍も暗い、一万分の一の明るさのものまで見えてくるんですね。これによって、宇宙の果てに向かって様々な謎解きが進んできたんです。さらに日本では、2013年にアメリカやヨーロッパと様々な国々と協力して、このアルマ。アルマっていうのはチリにあるんです。チリのアタカマ砂漠、5,000mのところに砂漠地帯、高原が広がっている。日本では全く信じられない光景ですね。それでここに、66台もの電波望遠鏡を並べて、もう10年観測をして、みなさんご存じですかね、ブラックホールの周りにミスタードーナッツのような、ドーナツの形をした、ブラックホールが見えないけどあるんですよってそういう証拠写真をわれわれが撮って発表したんですけど、そういう次々成果を上げている望遠鏡もあります。

このパートの最後のスライドとして国立天文台ではですね、様々な望遠鏡を使う。でも望遠鏡を使うだけでなく望遠鏡も作るんですね。自分たちで工場(こうば)があって観測装置を作り、それからスーパーコンピュータを使って。ぜひアーティストの皆さんに使っていただきたい。もう使っていただいているアーティストの皆さんもいらっしゃいますけれど、様々なシミュレーション結果や宇宙の姿を使っていただこうということの取り組みをしています。それで昨日、おととい、まあ昨日の深夜ですね。朝早くスリム、スリムって皆さんもスリムですけど、非常にスリムなコンパクトな小型自動車ぐらいのサイズの日本初の月面着陸機スリムが無事成功しました。着陸に成功したのは確実なんですね。こうゆうソ連、アメリカ、中国、インドに続いて日本も5番目の国になりますけど、人工物を月に降ろせる、無事着陸できる国になりました。これからもどんどん宇宙への謎解きが広がっていくと思いますので、今日お集りの皆さんも百年後を考えるっていう意味合いがこの芸術祭にあると思うので、未来に向かって今日楽しいお話をフラムさんにお聞かせいただければと思います。

北川)そうそう、今出たので、黙っていようしたことを言うと、その昨日の午後からのニュースで、僕が見てると、本当に着いたか分からないような言い方をしていますね。それで本当に着いたんだろうかって僕はかなり疑問に思ってる。

縣)ありがとうございます。このあと次々と証拠が出てまいりますので、楽しみに皆さんしていただきたいですね。ただ、おいしいところを待っててもらっていますけど、月面の画像やですね、小型のロボット、小さなおもちゃのようなロボットの子機が活躍しますから是非皆さん期待して下さい。楽しみにしてください。60%の成功とか言ってますから不安になりますよね。楽しんでいただければと思います。

小山田)はい、ありがとうございます。確かに、私も注目してずっと見てましたけど、最後いったいどうなったのか、ってちょっと不安になりましたけど、着いたんだろうなってところまでは、記者会見を見てほっとしたところです。ちょっと楽しみにしたいと思います。

はい、それではですね、ちょっと自己紹介をしていただきましたけど、ちょっと本題に入りたいと思いますが、今日はちょっと3つ用意しているんですけど、3つ終わるかどうかわかりません。なので、まず一つ目にいきましょう。
今回ミクロとマクロっていうことなんですけど、未知なるものへの興味の尽きないお二方なので、まず、「未知」との遭遇っていうことで、タイトルのとおり、どういう最初の未知との遭遇があって今の分野の仕事をしたり、発想に至ったのかというお話をちょっとしていただきたいなと思っておりまして、最初どっちが先だったかなと、縣先生かな。では、縣さんの方からお願いします。

縣)ありがとうございます。ではスライドを送ってください。実はですね、フラムさんが様々なところを地域おこし、芸術祭を立ち上げられていて、僕はですね、23年ぐらい前、越後で始められていたときにですね、お伺いさせていただいた、逢坂卓郎先生と一緒にですね、棚田の月を作るっていうのをやられていて、それがアーティストの皆さんと最初のコラボレーションだったんですけど、私実は長野県の大町市というところの出身なんですよ。皆さんご存じない人多いかと思いますけど、長野県の北アルプスの山の麓ですね。で、ここでは、フラムさんがやっぱり大変お世話になっているんですけど、北アルプス国際芸術祭というとても素敵なアートフェスティバルを手掛けてくださって、あとで少しせっかくですからちょっとこれについて、ご説明いただいて。

北川)北アルプス国際芸術祭って言ってますが、信濃町の駅が中心なんですが、まあ長野県ってそれぞれの場所が盆地に囲まれていて、何しろすごいのは皆空を憧れるんです。

それで、建築家が、皆空を意識している建築家が多い。っていう場所だっていうのがあってそういうすごい場所なので、それで縣さんが出身の八坂村はその中でもまたちょっと面白い所なんです。

縣)本当に山奥なんですよね。

北川)そうなんですね。今はその中で、一軒しかない家に世界的な紙のアーティストがおられたり、そういう面白い場所でやっているんですが、そう意味では、非常に面倒というか、面白いんだけど、いろんな意味で政治的な重なりがあって厳しい、っていうところがありますね。大体、縣っていう苗字はまさに集落っていうかミクロを内包してて、おそらく国司とか国分寺だけど、ある階層ですよね、縣っていうのは、そこの末裔だろうと僕は勝手に想像していて、それで八坂村ってそこから宇宙ってなかなか相当面白いなっていうこと。すいません。

縣)いえいえ、ありがとうございます。今日は尊敬する、小林さんがいらっしゃるからいうんじゃないですが、アーティスト、シンセサイザーのきたろうさんも僕の田舎に永く住んでくれましてですね、とっても自然豊かないい場所なんで是非遊びに来ていただければと。それでですね、ここ(スライドを指さし)僕の家から見るとこうなんですよ。ねえ。家のちょっと前。そうすると毎日これ西の方なんですよ。北アルプスね。西の方向見ると、高い屏風、北アルプス、後ろ立山連峰っていうすごい高い屏風がそびえてるんですよ。僕の子供の頃思ったのは、この屏風のような山の向こうに行ったら何があるのかな。って思ったんですね。それで夜になるとそこに満点の星が見えるんですね、この山々に。それはいったい何だろうっていうのがそもそも未知との遭遇でした。

因みにその向こうには、実は黒部があり、その先には今回被災された能登、珠洲市がありましてね、本当にこういう状況を、日本、我々みんながね励ましていかなきゃ。

北川)ちょっと、横で入れると、すいません。ここの裏の方に日本で唯一古くからの氷河があるっていうのがこの数年前から発見されて

縣)古くからの?

北川)いやあ昔からの氷河が。

縣)ああ氷河、氷河が残ってます、そうなんです。

北川)そういう場所ですね

縣)そうですね、3つくらい氷河が見つかったっていうすごいところです。でも僕だけじゃないんですよ。さっきの話があったように、皆さん空を見上げると、夜ですね、特に明かりのない人工の明かりのない場所、時代はそうだったと思うんですけども、満点の星空になぜかみんな心が揺さぶられるんですよ。僕等この天からやってくるこのメッセージですから、「天からの文」で天文っていう言葉ができたわけですけども、この星々、宇宙からのメッセージを読み解こうという未知への挑戦は、我々人類の歴史5000 年も前から、記録に確実に残っているだけでも5000年も前から始まってるっていう、まあ我々みんなそういうDNAを持ってる我々がずっと取り組んできたことでもあると思うんですよね。

今じゃあ現在どんな謎があるかっていうと、もちろんいっぱい謎はあるんですけどね、謎を解けば解くほどさらに謎が深まる感じで。文字になって恐縮ですけどこのぐらい沢山、これも一部ですけど、わからないことがあります。この21世紀天文学、この二大課題といわれているのはですね、まずは、一番目は何を言ってるかっていうと、この世の中、先ほどユニバースっていったい何
だろうって。どういう物質やこの空間の世界なんだろうってことがよくわからないんですね、我々未だに。

二つ目は、こちら皆さんとても興味ある方多いと思うんですけれども、宇宙人の話がよく出てきますよね。宇宙人いると皆さん思われますか?宇宙人いない、いないっていう方はどれくらい、手を挙げてください、いない派は?あれ、千葉県は割と若干…。じゃあ宇宙人はいる派の皆さんは?千葉県は圧倒的ですね。なぜかな。やっぱり宇宙への関心が高いというかシンパシーを感じられているのかもしれませんが。まあ結論だけ言うと、もちろんいますよ。

だって皆さん宇宙人ですよ。僕も、フラムさんも、小山田さんも、僕も、皆さんも、知事も宇宙人なんですよ。だって、千葉県人であり、日本人であり、地球人であり、そして地球はこの宇宙にあるんですから。宇宙人ですよね。でも地球以外の星にも生き物がいるかっていうのが2つ目の大きなテーマです。

で、そのためにいろんななぞ解きをしていましてね、特に最初のここは一体どうなってるかっていう話、ユニバースは何か、ダークマター、ダークエネルギー、インフレーション、マルチバース。さっぱりわからないでしょ?言ってる本人も、ってか科学者がこれわからないので適当に名前を付けてるだけです。わかんないものはブラックとかダークってつけると楽だから名付けてるだけ
ですよ。だからこれからなぞ解きがですね、この百年の楽しみ。そうするとこのパートの最後のスライドで言いますとね、横は昔、昔昔の人古代ギリシャの人が書いた絵ですよ。尾を飲み込んでいる蛇がいますでしょ、つまり我々が自分とはいったい何かっていう、知ろうっていう試みは、正にこちらの左の非常に、非常にミクロなもの、もう電子顕微鏡で見ても見えないような、高エネルギーでものをぶつけあわないとわからないような素粒子レベルから始まってずーっといって。一方こっち側は先程の街とか人とか山があって地球があって太陽、太陽系、銀河の世界、宇宙、巨大な宇宙の世界や細かい物質、素粒子の世界っていうのが実はつながってる。これをまだ、未完成の理論、いくつもの大統一理論とかいろんな理論がありますね、超ひも理論とか、こういったものをどう観測や実験から導いていくか、その結論っていうのは正に今後の百年の未知なるものへの挑戦だと思っています。

小山田)なるほど、壮大ですね。

縣)宇宙の話なので、大きな話です。

小山田)すいません、ありがとうございました。
みなさん、縣さんのお話って面白いでしょ。ぜひラジオ番組、「ようこそ宇宙へ」NHKの深夜便というラジオもやっていますので是非お聞きください。眠れなくなります。
それではですね、縣先生の、タイトルでいうと、未知との遭遇、フラムさんの未知との遭遇は何かありますか。

北川)まああの、今はだいぶ違ってて例えば珠洲で大変なことになっている。いろいろな人たちはその日その日で大変なことで生きていますね。で、それを色々な人たちがそこに心を寄せている。それはそれで大変なことなんですけれども、ちょっとこういういい方は不謹慎かもしれないけど、でもおそらく数百年ぐらいたって、どういう人が何を考えたか、っていうのは文学とかそういうのとか今僕らは想像してちょっと思うことができる、わずかに。だけども数百年はともかく数千年とか、数千年前の人たちは今地球がどうなっているとか僕らみたいな人がこういうことをやってるか全く思いもしない話がありますね。
だけれども、でもまあ繋がっていて、何かやっている。この断絶、みたいな、本当断絶だと思っているんだけれども、でも人類は繋がっているし歴史は繋がっているみたいな、そういうような私たちは繋がってると思ってるけれども、でも想像もできないくらい繋がってもいない。っていう感じみたいなものとして小さいころから僕は割と宇宙っていうものを考えていますね。そういう感じがあります。

それで一番未知との遭遇って言うと、縣さんが言われている3つの質問が一番多いっていうのはブラックホールと、地球外生命と果てがどこにあるのかっていうことだと思いますが、その辺に関しては僕も本当に、特にどうやって宇宙が出てきたかがいまだに誰も全く言ってくれないし、これ知りたいなっていうのは一番僕が持ってる謎の一番大きいものですが、どうやって、だって0の-23乗かなんかみたいなものの中からこれだけ宇宙が広がってきたっていうのを言われると。それで縣さんの本にはですね、また矛盾してることがあって、私たちの日常にあることは全部ニュートン力学だと、って説明できるんだって言いながら、でもそこはできない、っていうみたいなところがあって。そうなんです、そうなんですね。それが、僕が今生きてる中で、何が一番やっぱり知
りたいことかっていうと、わからないだろうけれど知りたいことがそれだっていうのがあります。具体的なのでいうと、スプートニクが上がった年が、僕が小学校の5年か6年かなんですよね。それでその時に大学の分校まで行って屋上で、みんながこう縦横斜めに規則的に並んで、望遠鏡じゃない、普通の顕微鏡見てるんです。これは軌道にスプートニクが通るかどうかって、今考えると不思議なローテクなんですが、だからみんな並んでて自分の顕微鏡を見てて、ここをヒュっと通ると「ハイ!」とか言って。

縣)すごいアナログ

北川)中央天文台か何かに送っているんですね。

縣)軌道を、通り道を決めるのにそこだけ見てて「ハイ!」っていうと人が正確に…

北川)そう、短波のチックチックチックというのに合わせて何秒?とったっていう、極めて初歩的なところに私たちは、田舎の小学生がスプートニクとつながったっていう例が、すごい体現していて。でもそれ僕行きたいって言って小学校一人で僕だけ応募して行ってるんですね。それやりたいって言って。

縣)すごいですね。

北川)そんなような経験が、未知とじゃないけども宇宙との最初の具体的なきっかけだったっていうのがあります。

小山田)ありがとうございます。スプートニクっていうのはまた懐かしい言葉ですね。びっくりですね。はい、ありがとうございます。それではもう三時半になってしまいましたので、次のテーマに行きましょう。

お二人と話していて、百年後芸術祭ってどなたがつけたんでしょうかってくらい素晴らしいワードで、これ百年後芸術祭って何だろうってまず思うことと、百年後を何か目指すっていうのは、とても何か意味あることに感じます。それで私たちも今回「未知」という魅力について話そうってことになった時に、まずとりあえず百年後、ということを何か目標としたときに何ができるんだろうか、ということも発想できるし、百年後芸術祭っていうよくわからないワードがとても魅力的に感じてます。これは総合ディレクターであるフラムさんに何か特に意味を込めたことがございますでしょうか。

北川)これは小林武史さんに聞かないとわかんないです。僕はもうせいぜい明日までしか考えられないで生きてるので、今。百年後は僕にはないんです。だからそれは伺った方がいいと。

小山田)わかりました。えっと、これは伺ってもいいんですかね。回していいですか、マイク。事務局の方。

(小林)あとで話します。

小山田)あとで、はい、わかりました。じゃあまた後程。
このことについて、縣さんもその百年後芸術祭ってことで、何かインスピレーションがわいたことがあるということなんですが、どういうことがありますでしょうか。

縣)あの~百年っていう中のこの時間の話ですよね。百年っていう時間、だけどさっきフラムさんがお話してたようにいろんな人の営み、ローカルなミクロな営みや、人だけじゃなく自然のこの環境、地震が来るとか火山とか台風が来るとか、気候変動とか、ある意味言葉ひとことでいうと、多分小山田さんこれ密度っていうのをキーワードにされてて、で、時、時間、密度っていうものをどう考えるかっていうのを事前に聞かれたんですね。その時思い浮かんだ画像が2枚ありまして、最初の画像がこれですね。

ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡、これは右端にイラストがありますけど、これはですね、一昨年から大きな成果を、その前の年の12月に打ち上げられましてね、おととしの7月にホワイトハウスでバイデン大統領が「これです!」って示したものです。

小山田)めちゃくちゃ高精細な画像ですね。

縣)これ何が写ってるかっていうと、宇宙ってのは138億年前に生まれたことが理論上やいくつかの観測の結果からほぼ導かれています。138億プラマイ、多少誤差はあるでしょうけども大体それぐらいに収まっている。でその見えてるものがですね、134億から135億光年先の銀河、これ全部銀河なんですね、この十字架のは星ですけどそれ以外なんかぼーっとしてるもの、全部天の川銀河のような、我々が住んでいる銀河系のような星の大集団、銀河です。だから宇宙を見ていると銀河がいっぱい写っていますけど、これを見てあっ、遠くを見てんだなあ、すごいなあってバイデンさんも思ったかと思うんですけど。もっと大事なことを実は言っていて、これね、時間軸を見ているんですよ。あとで少し詳しく説明しますけど、宇宙ってのは時空、時間と空間を一緒に考えないといけないですから4次元の世界なんですね。つまり遠くを見れば見るほど昔しか、残念ながら見えないんですよ。だから実は時間軸でいうとここには実に134億年間とか135億年間っていう時間軸がここに描かれているということになります。百年ってあっという間ですよ、っていう話ですね。宇宙が誕生して138億年ですしね。僕らの住んでるこの地球ができても46億年たっています。人間にとっては明日のことが心配な日々ではありますが、百年はあっという間ですね。

次、ちょっと密度の話を。宇宙の中でもちろん最初はとても密度が高くて、だんだんだんだんこう広がっていって、密度が全体としてはほぼ真空ですから、ところどころにポツンポツンと銀河があって、そこにはものがあるっていう、いわゆる密度がどんどん薄くなっていくんですけど、とはいえ銀河の中を見ると、これもジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が撮影したファースト画像の1枚
で、何か綺麗だと思いませんか。下は星が生まれる元、ガスです。星のゆりかごみたいなもの。で、そこからお母さんの体の中でいうと子宮の中みたい。で、だんだんだんと星が成長していってポツンポツンと星が動くわけじゃなくてガス自体が減ってきて下がってくんですけども、星が上からどんどん生まれてこんなにたくさん星が生まれた。星って面白いですよ、たくさんの星が順番にほぼ一緒に生まれてくるんですね。こういう形でこの密度っていう大きな密の変換があるんですね、何かがぐっとみんなで力を合わせて集まって、重力で星が生まれていくと空間が、隙間ができていくっていうんで密度の差が上と下で違うんです。こんなに違う世界なんですけどこれは、実はそのいわゆる面というか時間っていうのはある意味すごい短い時間、宇宙の今の138億年と一瞬の間に、だから密度が大きく変わる、ドラスティックに変わる時代がある、それは僕らの日々の生活の中でも、まあいろいろ苦しいことがあったりとか、災害があったりとか、辛いことがあったり景気がよくないとか、いろいろあってもどっかでグッと変わる瞬間があるかもしれないっていう期待を持てるかもしれないですね。

次の、今の話をもうちょっと整理して、わかりやすく話そうとすると、この今回の芸術祭でも作品を提供されている小阪淳さん、ちょっと立っていただくと。小阪さんの作品がですね、この建物の一番奥ですね、奥のところにあります。
とっても面白い作品がありますけれど。小阪さんとは2006年ぐらいに出会って、一緒にこの宇宙図ってのを作ってきました。作ってきたって、アーティストが作ってくれて僕は言いたいことを言ってるだけっていう関係ですけど、ありがとうございます。これ何かっていうと、宇宙が誕生したのが一番下です。縦軸が時間軸です。上の、こういうお椀の部分が三次元の今の空間を表してい
ます。ただ宇宙がどんどん時間がたってどうなってるかって、大きくなったり、広がってるってことですよね。時間がないんで細かい見方は今日は説明しませんが、次を御覧ください。

これって宇宙図。2007年に最初の、その時わかっている宇宙の姿を描いて、宇宙ってどんどんわかってることが増えているから、5年おきにほぼ作っていっていて、この3月には第四版、新しいバージョンが科学技術広報財団とかあとはAmazonでも手に入ると思いますけど、宇宙図で、一家に1枚宇宙図。これは見るととても読めないくらい情報が入ってるでしょ。

小山田)すごい量ですよね。

縣)これってアートに見えません?アートだと思うんですよね。

小山田)宇宙芸術祭ではアートとして展示してあります。

縣)はい、はい。種子島の小山田さんがディレクションされてる種子島宇宙芸術祭では、種子島の空港に巨大な、とても巨大な壁一面に宇宙図と太陽系図と光、3部作が飾ってあります。アートは本当にすごいなと思いますし、アートを使わないと、科学はどんどん難しくなってますから、言葉と画像と映像と音楽と、アートがね、協力してもらえるととてもありがたいなと思いますね。是非アーティストの皆さんよろしくお願いします。

小山田)ありがとうございます。えーとですね、あと2分しかなくなってしまいましたので、3番目の「アートと未知」っていうテーマがあったんですが、ちょっとお話の中でいくつか出てきたので割愛させていただきまして、最後にお二人に今回「未知」ということと、「百年後芸術祭」っていうワードに対してですね、何か思いがあれば一言ずついただいてと思ってます。フラムさんお願いします。

北川)先ほどの縣さんが話されたことで、僕はだから宇宙図っていうのを僕は理解できないし、苦手なんですね。ただ135万年前の画像がここにあるわけじゃない、見れる。僕はだから今日、今縣さんなり小山田さんと目の前で同時に。
同時にだけどここに135万年もあるんだと、つまり存在してるわけですね。そういうふうに僕は時間と空間と今の日常をとらえてる。僕はそういうとらえ方の方がなんか実感があるんですね、僕としては、っていうことです。

小山田)はい、ありがとうございます。じゃあ縣さん、どんな感じにうけとってらっしゃいますか?

縣)1枚だけじゃあスライドを。(飛ばしてどんどんいただいてですね。ここにしましょう。)これ皆さんみえますか?見えないですねー。どっかに地球があるんですけど。あの青い丸いの、僕が見えないから丸く青く書いたんですよ、ペイントで。真ん中に点がわずかにあるんです青っぽい、これペールブルードットっていう地球です。これは人類がですね、一番遠くから自分を撮ったセルフィ、自撮り、ピッてやって、それですね。これはボイジャー1号、1977年でしたっけ。ボイジャー1号が打ち上げられてボイジャーが木星や土星を、旅をしてボイジャー1号が冥王星の距離まで60億キロ彼方まで行ったとき、もうそろそろ使える電池が終わるので、その最後のリクエストが振り返って太陽系の天体たちを撮ってくれっていう、これがカール・セーガン博士がプロポーザルをだして、ようやく採用になって、最後の最後、撮った1枚がこれ。地球が写ってるんです。60億キロ彼方から撮った画像。1990年です。だからその当時は46億人ぐらいだったと思いますね、人口。今は80億人いってますね。この画像を撮った、命令したカール・セーガン博士は(次のスライドお願いします。)こう言っていますね。
「天文学を学ぶことで謙虚で高い人間性が育つといわれている。我々の小さな世界を遠くから見たこの画像以上に、人間のうぬぼれた自尊心の愚かさを示すものはおそらくないであろう。この画像は、他者をより親切に扱い、我々が知る唯一の故郷である淡く青い点を保護し、慈しむ責任が我々にあることを強く訴えているように私には思われる。」
ちょっと映りが悪かったから皆さんそこまでは思われなかったかもしれないけど、今後皆さんが宇宙に出る時代になって宇宙旅行が当たり前の時代になります。月に日本人宇宙飛行士も降りる時代がもうすぐですね。もう月へ、前澤さんとか観光旅行に行く時代ですよ。だから、宇宙から地球を見ると、国境なんかどこにもないし、そういうある意味我々がいまだに残っているつまらない
ことが解放される時代がきたらいいなということを、この際思っております。

北川)またすいません。カール・セーガンが出たからやっぱり言いたくなるのは、アメリカの砂漠でパオロ・ソレリっていう人が太陽の街っていうエコロジジカルでやりだしている。もう50年とか、もう亡くなりましたけど。僕もそこのメンバーなんですが、カール・セーガンもそうで、でもカール・セーガンはアメリカの宇宙開発を大批判したの。それで、パオロ・ソレリの太陽の街もダメに。アメリカはシャットアウトする。だから今ある宇宙っていうのに対しての思いとかね、いろいろな科学っていうのがあるんで、今から20年前、僕宇宙開発事業団の講演会で、僕はやっぱり宇宙清掃事業団をやってもいいって言ったの。やっぱり開発っていうのはどうも気持ちが悪いと。

縣)開発の時代じゃなくて、両面が必要ですよね。絶対そうだとは僕も思いますよね。それも伝えてますね。

小山田)ありがとうございます。この「百年後芸術祭」、それから「未知」というものに対して、多分このプロジェクトもどんどん進んでいくと思いますが、今日はお二人に思いの丈をしゃべってくださいってことで、時間が足りなくてごめんなさいって感じなんですけども、またの機会にまたお話をいただくことと、百年後芸術祭の意味をちょっとお聞きする時間も無くなってしまいまして大変失礼いたしました。ではもうちょっともうやめろということなので、この辺で失礼させていただきます。お二人にまた拍手をお願いいたします。ありがとうございました。

司会)皆様ありがとうございました。御登壇の皆様は御退席ください。北川さん、縣さん、そして小山田さんありがとうございました。
ここで若干休憩を挟ませていただきます。第2部は、16時からのスタートです。しばらくお待ちください。

【第2部】 万博への一歩、その先の未来へ

司会)それでは、定刻となりましたので、トークセッションの第2部を始めさせていただきます。第2部は「万博への一歩、その先の未来へ」がテーマです。
この第2部では、百年後芸術祭と大阪・関西万博を題材に未来についてお話しいただくことにいたします。では、出席の皆様を御紹介させていただきます。
千葉県 熊谷 俊人 知事
千葉県誕生150周年記念事業総合プロデューサー 小林 武史 様
キッコーマン株式会社 代表取締役会長 堀切 功章 様
大阪府 吉村 洋文 知事
でございます。
では、進行は熊谷知事、お願いします。

熊谷)改めて皆さんこんにちは 今日はすごいメンバーでですね、本来お一人お一人とだけでも1時間くらいテーマ1つでできるんじゃないかっていう方に3人来ていただいてるんですけども、改めて小林さん、そして堀切会長そして吉村知事、お越しいただきましてありがとうございます。

テーマ1つ1つやっていきたいと思うんですけども、例えば今僕ら千葉県150周年ということで、改めてこの150年を振り返って、続いていく未来に思いをはせる、そうした中で100年後芸術祭というのを千葉県の各地域でやっておりまして、小林武史さんにそのプロデュースをしていただいています。

そうした中で来年、2025年大阪・関西万博が開催されて「命輝く未来社会のデザイン、いわゆる未来を考えていく、我々も正に100 年後を考えていく非常に大きな今節目にある中で、改めて未来社会、未来を考えていくその中で今回こういう形でセッションをさせていただくということになりました。

テーマ広いんですけども、ちょっと身近なところで千葉の話から始めていきたいと思います。ちなみにこの中で千葉に住んでるよ!ていう方どれくらいいらっしゃいますか。
ほぼほぼ千葉ですね。じゃあそのうち市川市を含めた東葛地域に住んでますよ!っていう方はどれくらいいらっしゃるんですかね。これも大体7割、8割くらいですかね。じゃそういうことを前提にそれぞれの方に千葉の思い出や関わり、どちらかというと市川から東葛をちょっと多めにお話をしていただきたいなと思うんですが、まずちょっと小林武史さんの方からお願いできますでし
ょうか。

小林)僕は東北、まあだから震災の時もREBORNアートフェスティバルとかもそうなんですけども、力を入れさせてもらって、東北の山形の出身なんですね、僕。なんですけども実家はもうその山形にはなくて、知事にお話ししたことなかったかもしれませんが、兄が柏に住んでまして、ちょっと病院とかをやってましてそれが県境、利根川を挟んだ守谷の、茨城の方にはなっちゃうんですけど、僕、柏の方から都心に通ってた時期もあり、我孫子とか。

熊谷)東葛民だったんですね。

小林)そうなんですね、そういう意味でのなじみっていうのがあるうえで、ご存じの方もいらっしゃるとは思いますけども、木更津にクルックフィールズという、4年ちょっと前からオープンしてますし、実際農場自体は12年前くらいですかね、やっていて、住民票こそ移してませんが完全に第2の故郷ですね、体に染みついてますね。特にアクアラインができてからはどれだけあそこを僕
渡っているかって。あとでこの話も触れられたらと思いますけど、アクアラインができたっていうのは千年に1度くらいの画期的なことだったんじゃないかと思っていますけども。

熊谷)ありがとうございます。因みにこの中でクルックフィールズ知ってるよっていう方どれくらいいらっしゃいますか?結構な方知ってらっしゃいますよね、あのご存じない方是非、クルックフィールズって本当に千葉県の自然豊かな環境の良さを全部ぎゅっと詰めたような、そうした小林さんが正に作られた拠点、アートもそこに含まれていますので、今日は会場にクルックフィールズの普段食べられない、買えないようなものがここに特別に売店出していただいてますので、是非ちょっと見ていただけたらなと思います。それでは堀切会長もなんといっても千葉を代表する企業でありますけど、是非ちょっと千葉のかかわりですとか千葉に対するイメージ、思い等をいただけますでしょうか。

堀切)ありがとうございます。皆さんこんにちは、堀切です。私はまあキッコーマンですんで、ご承知の通り野田が本社でございます。私も生まれ育ちが流山でございまして、正に東葛人であります。ただまあ小学校から学校が東京だったもんですから、東京の方に住まいがありましたけれども、週末には流山に帰ると。6歳までは流山で生まれ育ち、今つくばエクスプレスができてですね、流山市が全く大きく変わって、もう今21 万都市、すごいことになってますね。

熊谷)人口増加率1位ですからね。

堀切)はい、おおたかの森ってありますよね、つくばエクスプレスの、あそこは本当に大鷹の森だったんですよ、私が子供のころは。大鷹が住んでおりまして、鬱蒼とした、山林って言いますか、もう今全く見る影もないんですが、非常に発展したわけです。私は生まれ育ったのは本当に旧本町といわれているところで、江戸川沿いにですね、江戸川に張り付いたようないわゆる宿場町が発展して醸造業が盛んだった土地ですんで、まさに私にとってはもうホームタウン、流山東葛地区っていうのは私にとってはホームタウンで、そこで生まれ育ったということであります。

熊谷)堀切会長ありがとうございます。本当にキッコーマンであり、しょうゆの歴史を紐解いていくと本当に野田、流山味醂もそうですし、江戸川と利根川に囲まれたある種千葉県の東葛の特徴をまざまざと感じていくわけでありますけれども、今度は吉村知事にお伺いしたいと思います。吉村さん、もう当然ながら大阪、関西のイメージが強いんですけども、少し控室で伺うとですね、結構千葉とも行き来していただいていたってことが嬉しかったんですけども、ちょっと千葉の思い出やイメージなども含めてお話しいただければと思います。

吉村)お二人のお話を聞いていると私はみご(仲間外れ)になったんちゃうんかなと。

熊谷)いやいや私も半分ちょっと関西人なんで。

吉村)えらいアウェーやなあと思いながらですね、お話聞いてたんですけども、あの私実は大学卒業して最初はこの東京首都圏で仕事をしてたんですね。今の奥さんと知り合ったのがこの関東で、奥さんが千葉に住んでたんですよ。

熊谷)ありがとうございます。

吉村)なので30になって大阪に戻って法律事務所やったんですけども、なのでちょうどそのころこの千葉に来て、そうですね、この近辺だったら、葛西臨海公園もこの近所ですかね?

熊谷)そうですね、ぎりぎり東京。

吉村)葛西臨海公園もそうだし、スノーボードのザウスみたいなんありましたよね。

熊谷)ザウス、来ていただいてありがとうございます。

吉村)あそこよく行ったり。これ僕千葉の印象なんですけども、そういったこっちの東京湾っていうこっちの顔と、九十九里もよく行ってたんですけども、なんかすごくたくさんいろんな顔があるなあっていう、千葉の歴史も深いし、エリアによって全然違うなあっていうのが僕の千葉の持ってる印象ですね。それぞれ特徴があって、個性があって歴史があって、非常に広い。今まで素晴らしい歴史もありますし、いいなあと僕は思ってます。何度も来させてもらいました。

まあ大阪の知事やったもんですけども、知事目線で見ると似てるところもあるなあと思うのが例えば成田、日本一の国際空港ですけど、大阪にも関空もありますし、それからディズニーランドありますが、そこはUSJもありますし、なんか都市構造も似てるなあと。大阪も水運で栄えた町なので、まあそういった意味では千葉県といろいろ共通点あるなあと思って今日は来させていただき
ました。

熊谷)やあ吉村さん今日はありがとうございます。本当ザウスまで関わっていただいて本当ありがとうございます。あの本当に水運つながりでいえばかなり近いという風に思っています。そういう意味で僕ら利根川と江戸川でできて、本当に水運を中心に発展してきた街でありますし、大阪も水都でありますので。
因みに私も浦安に長く住んでおりまして、その後関西に行ってまたこっちに戻ってきているという人間なんで、一応元東葛民でございます。

さてちょっと食文化に動かしていきたいんですが、僕らが千葉県の特徴の1つって、この東京の隣で商業であったり、工業であったりそうした都会的な部分が全国でも当然10位以内のトップクラスなんですね。トップ10に入っています。一方で農業や漁業これも実はトップ10に入っています。全国47都道府県で、農業、水産業、商業、工業が全部トップ10に入っているのはこの千葉県だけでありまして。それだけ吉村知事がおっしゃったとおり複数の顔、日本の縮図的な側面があります。そういう意味で江戸という大消費地のもとで我々は一次生産をしながら実はちょっと加工を含めて食文化、日本の食文化にかなり関わりが、我々千葉県の場合あるんですけれども、この食文化という意味でいえばなんといってもやっぱり堀切会長に伺いたいんですけども、正にこうキッコーマンの会社そのものが江戸の食文化にすごく関わりがあるという風に思いますけども、改めてですねこの千葉県、食文化という観点からこれまで150年を振り返られて、少しお話を伺いたいんですけども。

堀切)ありがとうございます。あの、みなさんは、和食がユネスコの無形文化遺産になったことを御存じだと思いますけど、それがちょうど2013年でしたので、昨年がちょうど10 年ということであります。日本の食文化が無形文化遺産になったいうのは、じゃあ、日本の和食文化っていったい何をみなさん想像されるでしょうか。日常的に召し上がっている例えばラーメンとか、カレーライスだとか、我々が日常的に食べている食の習慣、日本はご承知のとおり北海道から沖縄まで非常に縦に長くてですね、四季に富んで、非常に豊かな食材が各地にあるわけですね。その各地の食材をその季節季節の旬に合わせて、その地域で習慣的に食べられている。ですから、別に料亭料理とかですね、特別な料理を指すんじゃなくて、皆さん方が日常的に食べている食を総合して、和食、それが無形文化遺産に登録されたってことなんですね。わかったようでわからないような話なんですが、これを突き詰めていくとやはり郷土料理といいますか、もっと言うと家庭料理の集合体が和食である。ですから、その時代によってその形は変えていくんですけれども、基本的には我々が日常的にその時々の祭事と合わせて例えばお正月のお節料理ですとか、東北行くと芋煮料理とかなんてよくありますね。そういったものの総合体として和食が、無形文化遺産になったということであります。そういった和食、我々の食を支えているってのがこの後でまた出てくると思いますけど、いわゆる発酵食品であります。醤油も味噌も日本の食、我々の食を支えてきた調味料でありますけど、それ以外にも発酵食品というのは、納豆なんかもそうですし、やはり日本人にとって欠かせない食、それがまあ発酵食品が支えてきた日本の食の文化、それを総合して和食、無形文化遺産に登録されたというふうにご理解いただければいいと思います。

熊谷)ありがとうございます。本当に郷土料理の集合体が和食だというのはですね、いわゆるローカルの部分のところにも繋がってくるのかなという風に思っていて、非常に考えさせられました。食と言えばですね、やっぱり、小林さんに伺いたいのですけれども、あのクルックで本当にアートと同時に食にもすごく意識が向けられていて、本当に生産という部分を大事にされた小林さんの目線が実感されるんですけども、千葉って昔から物鳴りのいい県で、ずーっと発展というんですかね、こう昔から発展一次産業を基に強い豊かな県でありながら、だんだんだんだんこう貨幣経済、資本主義の世界の中でどん詰まり県として、若干こう不利になるということはないんですよ、相対的にですね、たぶん下がっていくそういう中で我々千葉がこれからどういう風に百年後、どんな社会になっていくのか、やはり改めて一次産業の重要性というのが見えていく中で、一番こうなんていうのかですね、外から見て、そして今千葉でフィールドとしてやっていただいてる小林武史さんに、この百年後芸術祭のお話も絡めていただきながら、食文化や千葉県の話も含めてお願いできればと思います。

小林)なかなか広い視野のパスが今僕にきたんだけど。

知事)小林さんですから広い方がいいかなと。

小林)確かにそうなんですよね。勝手に広くでかくなってしまう傾向あるんで、ちょうど良かったかもとしれないですけども、でも僕は本当に農業とか実はやったことが無いんですね、農業法人の代表もずっとやってきておりましてですね。僕の場合は想像力、創造の中でかなりいろんなことを膨らませたり、重ねてみたりいろいろやってるんだとの思うんですね。例えば微生物という存在から、僕らの身体の中にも僕らが何か食べたりすると消化するって中にも微生物がすごい役割を果たしてることとか。おそらく、その発酵の話とか言いたいこと僕いろいろあるんですけども、でも僕らの芸術祭というのが当然なんですけど、何のためにやるかっていったら、その命の繋がりというか、僕らがどこから来てどこに向かっているのかっていうイメージも含めてですけども、そういうことをテーマにしていくわけで、先ほど熊谷知事がちらっと房総半島的などん詰まりなイメージっていう話になってましたけど、これいろいろなところで僕最近言わせていただいてますけども、あの、元々、あのNHKの話ばかり続いちゃうかもしれないですけど、紫式部始まりましたよね、平安時代までのぐらいのことってたぶん房総半島千葉県って江戸なんかよりも、なんかよりもって言ったらあれですけど、江戸はまだ沼だったって話がありますから、すごい豊かだったんではないかと。実際僕らクルックフィールズで獣害といわれる猪を解体処理施設を作って循環の中に取り入れたりとか、これすごく美味しいんですけども、そういう取り組みをやってますけども、昔からだから恐らく狩猟にも向いている周りも海で、外洋、東京湾の方もたぶん貝だ、大きい魚だってものも多様なものも取れる温暖な気候ですし、縄文時代からずーっと平安時代ぐらいまで、そういうあとも残ってるんですよね。

でもそのあとにね、やっぱりこれもNHKで2年前鎌倉殿の13人てのがあって、そこの中で一番13人の中の一番強い侍が上総介なんと房総半島のお侍、佐藤浩市さんが演じてらっしゃったんですけども、実はそれが最初に粛清されるんですよね13人の中、最初に殺されてしまう。僕敢えていえば、そこからずーっと千年近く奪い合うということが加速してったんじゃないかと。西洋の方をみても同じような時にチンギス・ハーンがどうやらロシアのいまのキーウ王国の原型のとこに攻め込んで行った、ありとあらゆる略奪をしていった、それがいまだにロシアの人のトラウマになっているんではないかって話をあるぐらいですけども、だから千年ずーっといろんな奪い合い、その中でも経済、お金っていうものの価値がどんどん上がっていって、ちょっとジャンプするようですけども、この数年間の気候変動等に本当に結びついてくる、去年のあの熱さにその奪い合いの加速が結びついてきているんではないかとすら思うくらいで、本当にいろんな偶然があるのかもしれないけど、その東京湾にね、アクアラインが2、30年前にできて、何かがそこでドラスティックに千年に1回くらいの変わったんじゃないか、実はそのきっかけを何か僕はいただいて、ご縁もあるんですけどクルックフィールズでいろんなことをやるようになるんですね。

さっき食の話になりましたけど、当然太陽光、先ほどフラムさん達がお話になってた宇宙観みたいなものというのも、当然、今ここも、僕いつもクルックフィールズにいる時もそうですけど、いつでもそれは宇宙の一端であるわけで、だからその中のもちろん見えないような繋がりも含めてですけれども、なので創造力で補完するっていうことは、どうして人間が命の進化の中で人間がそういうことを補完できるようになったのかってことが、すごい不思議なんだけど、当然僕らまだまだ知らないことだらけなんだけど、宇宙の果てを何か作品や音楽で表現することはできるじゃないですか、そういうことを補完するってことがすごい必要で、そういうことと本丸は農業なんですが、僕にとってはね、やっぱり食べると命をいただくってことで生きていきますから全ての命はね、だから本丸に僕は置いているんですけども、その中でそういうことを繋いでいった時に、ちょっと話長くなるけど、東北で僕、REBORNアートフェスティバルとか、フラムさんの本当になんか遺伝子をもらう縁があったんですよね。それでそういうことを始めさせてもらって、また、千葉でフラムさんとこういう形でご一緒できるというか、僕の方からどうでしょうと知事ともそうなんですけどやるようになっていって、百年後芸術祭っていうものにいったわけですけども。百年後芸術祭に込めた意味っていうのは何かっていうこと、本当に今の時代、先ほども言いましたけど大変な岐路に立っていますでしょ。時間的にもあまり危機感ばかり煽って追い立てるようなことになればいいって思っているわけじゃないですが、本当にその百年っていうようなくらいの僕ら誰もいないわけですけど百年後、そのある種、利己的なことが暴走しがちな資本主義って言っていいんですかね、そういうものに対してその利他的なような思いも含めて、その百年後っていうところにみんながそれぞれ想像力を働かせていければっていうようなことなんかじゃないかと。そして東京とね、一番もしかしたら千葉でも開発がちょっと遅れ気味だったかもしれない。内房総みたいなアクアラインで繋がって、俯瞰で見たらニコイチでなんか捉えてみる未来みたいなものが、僕の中では百年後芸術祭のベースになっているという感じですかね。

熊谷)ありがとうございます。あの本当最初小林さんにお会いをした時、どうしても小林さんのイメージで音楽があって、アートのイメージがあったんですけれども、実際にクルック行くとめちゃくちゃこう農業大事にされていて、食大事にされていて、ぐるっと回ってある種サステナブルな社会というのをすごく大事にされているんだなというのが、すごくよくわかったのですよね。その中で、僕らがこういろいろな県政の150 周年をお願いしていく中で、百年後芸術祭というのをプロデュースしていただいてですね、まさに百年後誰も生きていませんから、結果的に発想が利他になるみたいにですね、またそういったとこから今未来社会のことをですね、まあ僕ら千葉県として節目で考えるきっかけをいただいたのかなというふうに思っています。

そういう中で、こうお待たせいたしましたっていうところなんですけども、あのまさに僕ら未来を考えていくそういうタイミングの中で、この大阪関西万博とちょっとからめて考えるきっかけを、千葉として作っていこうということで、今回吉村さんとコラボさせていただいているんですけども、まああの文化であったり経済社会あらゆる面で、未来を考えると同時に日本と世界という視点も併せてみていくことになるというふうに思うのですけども、改めてですね、吉村知事の方から万博が目指す社会っていうのですかね、未来社会のことを少しお話をいただけるとありがたいなというふうに思っています。

吉村)はい、今、小林さんのお話をお聞きしていると本当に通ずるところがあるなと思ってまして、百年後の未来を考えるということじゃないですか。万博もその先の未来を考える。今回の万博のテーマって「いのち輝く未来社会のデザイン」なんですね。じゃあこれは150ヶ国の国が集まるんですけど、いのち輝く未来社会ってどんな社会なんだろうという問いをみんなでたてようと、これは150の国々がいろいろな文化も背景も伝統も全然違う国々が、いのち輝く未来社会って何?ということの問いをたてて、それに対して答えを持ち寄ろうじゃないと、科学技術とかいろんなものがある中でですね、それをまさにテーマとしてまして、なのでテーマパークではないんですね、やろうとしていることは。そういったこともちょっとスライドも交えてお話させてもらいたい。

上の方に今回紹介させていただくということで、ここにも書いてありますようにテーマが「いのち輝く未来社会のデザイン」これがテーマです。なのでサブテーマが「いのちを救う」、「いのちに力を与える」、「いのちを繋ぐ」。いのちって何なんだろうとそこに問いをたててみんなで考えようということなんです。会場の大阪のベイエリアで開催されますので、ちょっとイメージ膨らませてもらうために、短いですけど動画を見てもらえたらなあと思います。これが今、全体のスライドでして、これが全体の赤い丸い所がリングになっていまして、このリングっていうのは木造でやろうという、よくテレビなんかで今批判されているんですけど、この木造のリングっていうのは高さ20メートル幅30メートル一周2キロくらいあるリングで、日本の伝統技術を使って木で作るところに意味があるというように僕らも思っておりまして、木の温かみと持続可能性っていう意味で、この木材というところに力を入れています。このリングの中に世界のパビリオンが入ります。つまり世界っていろいろな価値観が違うのだけれども、やっぱりひとつの輪の中でいのちについて考えようよというコンセプトが含まれています。次、お願いします。会場全体の面積はだいたいディズニーランドとディズニーシー合わせた1.5倍くらいの広さのところです。これが今作っている最中でしてね。これ行くと相当な迫力で、ちょっと1回できたらまた来てもらいたいなあと思うんですけども、やっぱり木の持つ迫力ってすごいなっていうのは、これを僕、間近に見て思ってます。なので、是非完成したら見てもらえたらなと思います。今50%くらい出来上がってまして、今年の夏から秋に完全に円形に出来上がる。予想を超えるような存在感と圧倒性と芸術性というのがここで見られます。

次、お願いします。静けさの森っていいまして、やっぱりねパビリオン賑やかでもありますので、ど真ん中には静けさの森を作ろうじゃないかということで、緑でゆっくりといのちについて考える場所を作ろうよ、というのがこの静けさの森です。次、お願いします。海外のみなさんと協働、共創になります。万博ですから。150か国の国々が参加してくれまして、今海外パビリオンどんどん進んで行っています。去年の12月19日のイタリアのパビリオンの起工式なんですけど、イタリアなんか中にコロッセオが中に入っていて、イタリアとしていのちをどう考えるかいうようなものが展示をされる。

次、お願いします。シンガポールとかベルギーとかももう直近で、これはスイスですね、スイスと韓国です。2月から4月にかけて、様々な国がどんどん着工していくことになります。

次、お願いします。これは、中国とドイツですね。ドイツについては循環経済ということでやっぱり中国もそうですけども、サステナブルな社会って何なのだろうっていうことが、テーマになってます。

次、お願いします。これ大阪の我々地元感ですね。千葉でいうと千葉感を作るようなものなんですけど、大阪感というのを作ります。テーマはREBORN。生まれ変わり、人は生まれ変われるということをテーマにして、このあるいは鳥の巣のイメージ。そこから新たにいのちが生まれるんじゃないかということを今テーマにして、進めています。次、お願いします。ここで何をするかということですけれども、PHRポッドというのが、ここのポッドに入ると自分の健康情報というのがすぐにわかるのですね、科学的に。そしてその情報を基に、未来の自分と未来の社会で出会うことになります。未来の自分と一緒にこのリフトのライドに乗ると未来の自分に出会い、次お願いします。いろいろな未来のフードだったり、未来のヘルスケアだったり、未来の都市であったり、2050年から60年の都市に紛れ込んだら、どんな生活があるんだろうかというのを、ここで実際体験をしてもらいます。ライフサイエンス、大阪の強みではありまので、IPS細胞で作った心臓のシートのようなものを実際動くようなものも展示をして、いのちについてみんなで考えようというふうに思っています。

(次お願いします。)。これは、他の万博との比較なんですけども1970年万博と比較しても参加国が倍ぐらいに増えてるというところです。ちょっと広さはそこよりも広くないんですけど、だいたい2800万人くらいの方が来られて6ヶ月やると、万博の特徴でいうと僕やっぱりこう違うなあと思うのは、だいたいいろんな国際会議とかは数日で終わることが多いのですけど、万博って6ヶ月間、長期間共存するんですよね。世界の各国の150ヶ国のみなさんと一緒に言語も違えば肌の色も違う、考え方も違う、けどいのちって何だろうというのを共通に問いをたてて、共存して生活をする6 ヶ月間、ここで新たなものを次の未来社会はこういうものを目指そうよっていうのを、生み出していければいいなあと思っております。

(次お願いします。)。これまでの万博も様々いろいろな新しい技術と言うのが生まれて、そして今では当たり前になっていますけれども、もうこれが当時はこんなものができるのかというようなものが、ここで紹介をされ実装されて社会が変わってきてる

(次お願いします。)。今回の万博ですけども、空飛ぶクルマ、これ実際に今の日本にはないですけれども、空飛ぶクルマに乗ってもらって万博会場を移動手段として行き来してもらおうというふうに思っています。これ空飛ぶクルマって、もちろん観光とかいろんな空の移動革命なるんですけど、僕は災害とかでもすごく活躍できるんじゃないかなと思ってます。陸が途絶されてる、海が途絶されてる、そうなれば空なんですよね。ヘリコプターってなかなか簡単に飛ばないですから、空飛ぶクルマで物資の輸送なんかも含めてどんどん薬とか、いろんなものが気軽に行けば、これは移動革命になるんじゃないかと思っています。それから、自動運転のバスを走らせます。

(次お願いします。)。次世代型の太陽電池、先ほど太陽エネルギーの話ありましたけど、今は非常にペラペラの太陽電池のシートなんかもできてまして、屋根に重たいのをつけなくてもいけるような、道路につけたり、壁につけることによって、新しいクリーンエネルギーを作れるんじゃないかというような取り組みも進めてますし、カーボンリサイクルファクトリーと、今カーボンニュートラルを目指していって、これからの方向性だと思いますね、そういったものをどんどんチャレンジをして実験をして、実装をしていけたらなあと思います。

(次お願いします。)。大阪関西万博というと、大阪でやるイベントでしょっていう印象が強くて、やっぱり関東の方はそう思われているのかなと思うんですけど、これ日本万博ですから。いろいろデータを取ると、関西圏の方は行こうと思ってらっしゃる方多いんですけど、やっぱり首都圏の方は参加意向は低いです。これはもう事実として。

(次お願いします。)。是非知っていただけたらなあというふうに思ってまして、このPR 活動を一生懸命今やってるところで
す。去年からは前売り券なんかが始まりましたから、大人一人4000 円から子供1000円から買えますので、是非参加してもらえたらなあというふうに思っています。

(次お願いします。)大阪万博から一歩その先の未来へっていうことで、今年の4月の中旬に大阪カンファレンスをやります。是非ですね、熊谷知事もお越しをいただけたらなあと、そこでいのち輝く未来社会へというのはなんだろうというのを、やっぱり全国で考えていけたらなあと思いますんで、是非みなさんもお越しをいただけたらなあと思います。いよいよ一年ちょっと後ですから、そんな先の未来じゃありませんので、是非多くの方に大阪関西万博にきていただけたらなと思います。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

熊谷)吉村知事、ありがとうございます。どうしてもこう万博って、今、この現時点では、なんとなくこう大きなイベントみたいに思われているところがあると思うんですよね。確かにイベントではあるんですけど、先ほど吉村知事がおっしゃったとおり、まあいわゆるひとつのテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」、これについてそれぞれの国がまったく違うアプローチから、デザインを提示していくというものになるんですね。イメージ持ちにくい方は、たぶん直近のミラノ万博ですかね、ミラノ万博でどういうものがあったかというものをこうネットで調べていただくと、あっこういうことかっていうのがわかると思うんですよ。

食がテーマだったんですけども、食っていっても僕らが考える食、日本人が考える食だと和食も含めて、先ほど堀切会長がおっしゃったような話になるし、イタリア的な美食的な世界もあれば、もっと発展途上国とかになってくると、もう存続とかですね、気候変動による食の危機とかですね、全く同じでもまるで違う見方を持つということがですね、その場所に行くだけで、わかるんですね。これがいわゆる万博の意味だというふうに思っているので、今回はいのち輝く未来社会のデザインを日本が見るとこう、それに対して世界のそれぞれの国がみるとこういうふうに見えてるんだ、こういうふうに考えられるんだという、そういう気付きをたくさん得られるんですね、それが私たちの社会を変えていく、発想を変えていく、多様性に触れるきっかけを作っていく、これが万博の価値だというふうに思ってますので、どうしても各国出さないんですよね。ギリギリまで当たり前ですけどネタは出さないので、だからなおさら、今言える万博の話って日本がやろうとしていることと、ちょっとイベント風な側面が、どうしてもマスメディアを通して見ると出てきてしまうんですが、過去の万博がどういうものを出していたかっていうものをみていただけると、たぶん日本で行われる万博のイメージが持てるのではないかなあと思います。そこで、堀切会長に伺いたいんですけども、堀切会長まさに過去の万博のご経験お有りでありますので、今回の万博に何を期待すれているか、また過去の印象に残っているものなども含めて、もしあればお話をいただけますでしょうか。

堀切)今日ここにいらっしゃる方で1970年大阪千里山の万国博覧会を行かれた方はいらっしゃいますか?あっいらっしゃいますね。田中市長も。私も当時高校生ぐらいだったんですけれども、千里山を、岡本太郎さんが太陽の塔ってのがシンボルだったんですけども、今でも覚えてますが、その時ちょうど68年ですかね、アメリカのあれが月に着陸したということで、アメリカ館の目玉は「月の石」っていうんですよね。「月の石」を見るために炎天下3時間並んで、止まらないで動いてくださいって言われてほんの数秒、こういう石っころ見ただけなんですけども、これが月の石かと。たまたま何日か前、日本が5番目に月に着陸したっていうニュースが流れましたけど、今から思っても非常に感慨深いです。

キッコーマンとしては食品企業ですから、食をテーマに過去の万博に参加してきました。この千里山で行われた日本初の万国博覧会では、やはり食をテーマとして、私どもは醤油ですから醤油という調味料がそれまで日本の食、要するに言ってみればお米に、魚に、日本酒に、そして醤油にっていうこういう組み合わせが当時急速に食生活が洋風化してきた中で、肉にも、それからパンにも、それからワインに、そして醤油にってことで洋風化した食生活の中で醤油という伝統的な日本の調味料をどう位置付けるかっていうことをテーマに千里山の万博の中で水中レストランっていうのを運営して、そこでステーキに醤油っていう提案を日本の、あるいは世界の集まる方々に、今はもうステーキに醤油かけるのは当たり前になってますけれども、当時は全く醤油と肉っていうのはアンマッチングなものだったわけですね。そういう提案をしました。

最近では2010年の上海万博で、やはりこれは世界中の人に日本の料亭料理を、本物の料亭料理を食べてもらうっていうことをテーマに『紫 MURASAKI』という料亭をそのまま会場の中に設営をしてやりました、日本から若手の調理人の人たちに来てもらってですね。仲居さんは全部中国の女性がやりました。綺麗に着物を着こなしてすばらしい、日本人以上に日本的な仲居さんの役を果たしてもらいました。これは6カ月で大変評判になりまして、一人単価五万円ぐらいだったんですけども、まあ大体予約が取れないレストランになりましたね。万博会場の中なんですけども、ですから万博会場に入るお金も払わなきゃいけないし、そこで料理を食べるのにも五万円払わなきゃいけなくても、一体こんな値段で誰が食べに来るんだって言ったらとんでもない、全く予約の取れないレストランになりました。

それから最近ではミラノですね。ミラノは正に食をテーマにした万博でしたので、これはちょうど先程紹介しましたように2013 年に和食がユネスコの無形文化遺産になったっていうこともありまして、その和食をテーマにして、日本から和食の料理人の人たちがミラノに集合して、和食っていうのはこういうもんだっていうふうなことを紹介した。そういう活動をしてきました。

やはり万博というのは何なのかっていうと、言ってみればやはり多様性なんですよね。人間の英知がそこに、一か所に集まって、文化を交流させると。これの意味っていうのはすごく、人間社会にとって未来を作るうえでの1つの大きなきっかけになると、という意味ではですね、来年行われる万博にそういう意味での期待っていうのを大きくしていきたいと思っています。

熊谷)堀切会長ありがとうございます。まあ本当に過去の万博の話も聞かせていただいて、万博の意義もこう、正に伝わってきたかなというふうに思っています。

で、我々千葉県はですね、この万博に対して自治体としても千葉県として出す予定でありまして、その時のテーマはですね、「発酵」というのを我々はテーマにしようというふうに思っています。我々千葉県は、堀切会長がおっしゃるようにまず醤油という日本の和食を支える代表的な発酵の調味料が、千葉県は当然断トツナンバーワンであるということ、それから流山が白味醂のいわゆる我々が普段味醂といっているもの、この白味醂の発祥の地でもあります。そして我々千葉県は酪農の発祥の地でもあります。そして酪農でチーズですね、こういったものを江戸時代の時から我々千葉県は出してきている、こういうような流れの中で、命をつなぐ、発酵っていうのは正に皆様方も御承知のように発酵というその工程そのものが命をつないでいく、そうしたプロセスになっておりますし、そこにいわゆるバイオ的な科学技術もありますし、食品産業、観光、農林水産業の振興、あらゆる今が抱えている課題も見えてくるだろうということで我々は考えております。改めて発酵という代表企業のキッコーマンの堀切会長に発酵の魅力、可能性についてですね、改めてもう一度ちょっとお話をうかがえますでしょうか?

堀切)発酵というと皆さんどういうイメージをお持ちになるかあれですけども、砕いて言いますと要するに酵母菌とか乳酸菌ですとか、麹菌、そういった微生物が働いて人間にとって有用なものに変化させてくっていうのが一般的なんですけども、非常にわかりにくいかもしれませんが、醤油も味噌も、醤油であれば大豆、小麦、これを麹菌が働いてそれを分解してああいう非常に複雑系な調味料になるわけですね。味噌も同じですね。それから先ほど熊谷知事がおっしゃったように酪農関係はチーズとかバターとか、ああいったものもやっぱり発酵です。ですから今海外からインバウンドで多くの外国の人が来て、観光もそうだけど、一番の目的は食べることなんですね。日本の食を楽しみたいっていうのがその旅行の大きな目的になってるわけですけども、それはなぜかというとやはり発酵っていう言葉が大きくからんでくる。日本食は、和食はクールだ、非常にスマートだっていう健康にいいとかですね、そういうイメージを海外の方は持たれてるんですけども、日本ほどこの発酵食品が多い国はなかなかないといわれています。事程左様にやはり発酵が我々に与えるメリットっていうのは非常に大きなものがあって、これは意外と、例えば醤油が今世界100ヶ国で私共の醤油が売られているわけですけども、こういううまみを持った調味料っていうのは海外ではなかなかないんですね。うまみ、香り、酸味、苦み、そのいわゆる五つの味を全部そろえたような調味料ってのはなかなか世界にない。だから世界の人がそれを受け入れてくれてるわけなんで、そういう意味で発酵っていうのは人間にとって非常に、これ、でも一歩間違えて悪く作用すると腐敗になるわけですよね、まあ腐るっていうことです。ですからこれはいかに人間がコントロールしてこういった微生物を我々のために働いてもらうという、この、まあ醤油も6カ月は微生物が働いてできてくるわけですけれども、その過程っていうのはコントロールも難しいんですけども、日本のこの気候風土っていうものが、そういう微生物が働きやすい環境にあるっていうのも日本に発酵食品が非常に発達した原因だと思います。

で、この千葉県はなぜそういう発酵食品が、まあ発酵食品に限りませんけれども、とにかく食材が豊かで、先ほど申しましたように和食の条件をみな揃えてるわけですね。海があり、山がありそして何といっても発展した、昔江戸という大消費地を抱えて川を物流として使ったといういろんな条件が揃って千葉県のこの発酵食文化が非常に発展をしてきたと。それが大きな理由じゃないか
と思っています。これからも非常に楽しみな千葉県であると思いますね。

熊谷)堀切会長ありがとうございます。まさに微生物が本当に変化をして、正に食べ物をさらに進化させていく、腐敗とこう、なんですかね、分かれ道の所を人間が生き物を知りながらコントロールしてきた歴史そのものかなあっていうふうに思ってます。

小林武史さんにも伺いたいのは、まずクルックフィールズでも正に酪農もやられていて。

小林)水牛なんですよ、水牛のモッツァレラチーズをやってまして。

熊谷)是非ちょっと、千葉県、発酵で行きますんで。

小林)全然、僕脱線しますけど。でも食いしん坊なので、お酒も好きなんですよ。で、そのワインに肉とかって、赤身の肉とかってありますけども。例えばお寿司屋さんに行ってお醤油つけて、生魚食べて赤ワインってやっぱりなかなか厳しいでしょ?日本酒がなんで合うのかって、まあこれはそういうがっちりしたマリアージュっていうのとは違って、洗い流すような感覚はずっと持ってたんですけど。なんかね、日本って海に囲まれてるから、その死生観っていうところがあいまいなんじゃないかっていう、悪い意味じゃなくてね。僕、スキューバダイビングやるんで海の中行くんですよ。最近農業でもなんでも水不足って言われて、海にこれだけ水があるのに何とかならない、まあ何とかしようってのもありますけど、あの塩分濃度って人間合わないわけですよね。もともと海から出てきた僕等生物のはずなんだけれども。何かどっか海に帰っちゃいけないっていうか、そこはある種の人間にとっては陸に上がった僕らにとっては死の世界っていうことなんじゃないかっていうイメージがあってね。

その死生観を日本人ってこう、ちょっとペリーが来訪した時ニコニコ笑って何考えてるかよくわかんない日本人みたいな話がちょっとあるんだけど、ちょっと曖昧に、そういうところを行き来するっていう、ね、楢山節考とかでおばあちゃんを捨てに行くけど、意外とニヒリズムなんだけど結構ケラケラ笑ってるみたいな明るさが同居してる、みたいなことも含めて。なんか僕はずっとそういう日本人のそう、悪いという意味じゃなくて、こう、これから未来に生きてくときの、なんていうんですかね、北野たけしさんとかの、芸風とかああいうのにも何か僕等にも通ずるものを感じたりもするんですけれども、何かこう、そういう、なんていうんですか、何故でもそれが日本酒がそういうことに合うのか僕にもわからないけど、でもいずれにしてもそういう、死んだそういうものに対して敢えて発酵したものをぶつけていくっていうか。フレンチ料理だとかだと、ほらバター、が発酵だというのを聞いて、へーそうなんだとは思ったんですけど、バターとかでごまかすじゃないですか。でも醤油で、敢えてその発酵したものをぶつけていく、死と死生観の者同士をぶつけていく知恵っていうのは、僕はすごいものなんじゃないか、日本が本当に誇れる、僕らの中に、多分僕らの体もそうやってできてるような気がするし。はいすいません。ちょっと行き過ぎました。

熊谷)いやー小林さんはすごいな、と思いながら聞かせていただきました。でもまあ本当に僕ら「発酵」っていうテーマは本当にそういう意味では食と、こう、まあ食は当然命に関わってくるんですけれども、加工の観点でも命を感じるっていう意味では、すごくこう、テーマ的には僕はこう今回の万博のテーマに沿うのかな、っていうふうに思ってまして、これを機に万博に来る方々に、千葉県は発酵県なんだっていうことを知っていただいて、できればもうその足で大阪を楽しんでいただいた後に千葉県に来ていただいたらいいんじゃないかな位のいろんなことを、ちょっとこう画策をしておるんですけども。

そういった中でも一番の本丸である吉村知事にですね、改めて、万博段々段々自治体の、こうなんていうんですかね、協力というか裾野も広がってきていると思うんですけれども、改めて千葉県が「発酵」をテーマにすることも含めてですね、吉村さんに最後に万博のことも含めてもう一度ちょっとお話をいただければとおもいます。

吉村)今日初めて千葉県のテーマが発酵というふうにお聞きしましてね。初耳なんですけど。

熊谷)ここで初めて、ここにぶつけるつもりでずっと我慢してました。

吉村)ここで初めてですか、自治体催事いろいろあるんですけども、東北祭りとかあるんですけども。「発酵」でいきますか。

熊谷)発酵で行きます。

吉村)それなら是非突き抜けていただきたいなと思うんです。なんでかというと、知事おっしゃる通りやっぱ発酵って命を紡ぐっていう意味ではその過程も含めてすごく奇跡的なものだと、そして科学に基づくものだと思うんですよね。まあ発酵、醤油は千葉が断トツ日本一と。で、我々にとっては醤油って本当に大切な食材ですけれども、食材というか調味料です。世界にやっぱないですよね、僕はあの発酵、そしてその先にある醸造、醤油も醸造だし味噌なんかもそうですよね、味醂もそうなるんですかね、日本酒もそうだし、お酢なんかもそうだと思うんですけども、これって日本文化そのもの。なかなか他国にはまねできないもの。なのでこの日本文化そのものと言えるような、この醸造の魅力であったり、その命の部分であったり、その素晴らしさを是非2025年万博で2800万人の皆さんに披露していただけたらなあと思います。

160か国の国々が参加しますから、そこで世界の食卓といいますか、今和食がすごく、ユネスコにも無形文化遺産になって広がってきてる中で、やっぱり和食のファンも多い。世界でいろんなご飯食べるんですけど、やっぱり和食圧倒的に僕はおいしいと思います、お世辞抜きに。それは日本の長い歴史の文化に基づくものなのかもしれませんが、そういった醤油の醸造、発酵っていうのを是非この万博を通じて、160か国のいろんな国ありますから、いろんな国の皆さんに楽しんでもらえたらなあと、今日聞いてて思いました。1970年万博の時も明治ブルガリアヨーグルトあるじゃないですか、あれ明治の社員の人がブルガリア館に行って、「なにこれ、おいしいやんか」と。これ日本の食卓に広げようっていって、そっからヨーグルトが一挙に広がったと。なので醤油ももちろん世界に広がってるんですけど、知らない人たくさんいるから、160か国の人に伝えて「これおいしいな、自分の国に持って帰ろう」っていうのを広げてもらえたらいいなあ、嬉しいなあと思いますし、万博に来て成田から来られる方も、万博から成田、千葉に行かれる方もおると思うので、そこでまたどんどん千葉の良さが万博通じて発信されたらいいなと思います。

熊谷)吉村さんありがとうございます。本当に今日聞いたこの「発酵」について、これだけしっかりお話をいただいて大変ありがたいなというふうに思っています。でも、あの本当にですね、大阪万博に関してはいろいろなテーマをこういう形で、それぞれの人たちが今頃それぞれの国で、こんなああだこうだの議論をしたものを2025年に正に大阪でぶつけてくるっていう、まあそういう流れになります。日本人ってどうしてもこういう大きいイベントって斜に構えて、へーって思って、イベント始まってくると段々盛り上がってきて、終わるころに、あ~もう終わっちゃったっていうふうになっちゃうケースが多いんですけれども、是非2025年、僕等千葉県としてはそういうテーマで行きますけども、是非それぞれの国が出そうとしていることについて、是非ワクワクしていただいてですね、2025年大阪にも行っていただきたいですし、僕らはやっぱりこの大阪万博で出てきたそれぞれの多様性あるテーマへの、そのデザイン提示を受け止めて千葉で、それぞれの地域でそれぞれの個人がどういうふうにそれを受けて、そのテーマを自分なりに解釈していくかっていうことが最終的には日本がわざわざ万博を開催する理由かなっていうふうに思ってます。

オリンピック、パラリンピックを千葉が開催して、本当にいろんなテーマを我々が考えるきっかけをこの5年、7年くらいかけてやって、それが一部やっぱり千葉で残ってきています。そういうものが残るような大阪万博にするために、大阪だけじゃなく日本全体で、それぞれで盛り上げていければなあというふうに思っておりますし、百年後芸術祭も、千葉県の150 年というのもその節
目に合わせた形でですね、それぞれの意味を持たせていきたいなと思ってます。

今日はですね、本当に贅沢なお三方に来ていただいてですね、いろんなお話をしていただきました。改めてこの3 名の方々に拍手をお願いします。ありがとうございました。

司会)皆様貴重なお話ありがとうございました。ありがとうございました。これから貴重なメッセージをご紹介させていただきますので、しばらくお待ちいただけますでしょうか。恐れ入ります。恐縮でございます。

司会)ここで本日のカンファレンスの開催にあたりまして、大阪関西万博のアンバサダーを務めていらっしゃいます松本幸四郎様からメッセージを頂戴しておりますので、御紹介をさせていただきたいと思っております。

歌舞伎俳優の松本幸四郎です。私は昨年11月に千葉県誕生150周年記念事業として開催されました松本幸四郎歌舞伎舞踊公演、連獅子に出演をさせていただき、千葉県の記念事業に関われたことを大変うれしく思っております。
本日は吉村大阪府知事も登壇されるとのことで、私がアンバサダーを務めております大阪関西万博が来年の4 月に開催されます。今回の大阪関西万博は「命輝く未来・社会のデザイン」がテーマとなっております。文化芸術には心の豊かさを与える貴重な役割があります。私も日本の伝統芸能を未来に伝承するとともに、人々に生きがいと潤いを与え続けていきたいと思います。
また、歌舞伎を始めとした日本の伝統芸能文化のすばらしさを世界に発信する絶好の機会ではないかと思っています。皆様には大阪関西万博のすばらしさを存分に味わっていただきたいです。

ということです。代読をさせていただきました。ありがとうございました。そしてここで、先ほど映らなかった動画をもう一度出してみたいと思います。

吉村)ありがとうございます。あの、ミスした人気にしないでくださいね、これ。

吉村)このリングは絶対見てもらいたいですね。本当にすごい迫力ですから。これが静けさの森です。リングの上も歩けるようになって、四方が海に囲まれた万博なので。空飛ぶ車も乗れます。是非一年半後、皆さんお越しください。よろしくお願いします。

司会)ありがとうございました。以上で第二部のトークセッションを終了させていただきます。ご登壇の皆様ありがとうございました。吉村知事、堀切様、小林様、熊谷知事でした。ありがとうございました。

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