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更新日:令和5(2023)年8月2日

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県政情報・統計

千葉県150年の歩み

令和5年8月2日掲載

再生時間:12分24秒

明治6(1873)年6月15日に当時の印旛県、木更津県の両県が合併して千葉県が誕生し、令和5年で150周年を迎えました。千葉県の150年の歩みを映像で振り返ります。

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動画の内容

海に囲まれた自然豊かな千葉県。
千葉県はどのように誕生し、どのような歴史を歩んできたのでしょうか。
千葉県の150年にわたる、大航海の歩みを見ていきましょう。
江戸時代に多くの馬を放牧していた広大な牧(まき)は、農地として開墾され、現在の千葉県の農業の礎と なりました。
明治の廃藩置県直後は、20以上もの県があったものの、次第に統合されてゆき、今から150年前、最後まで残った印旛県と木更津県が合併して、千葉県が誕生。
その後、現在の形になり、県庁は今の千葉市に置かれました。
千葉県誕生は、明治6年6月15日。
この日は「県民の日」になっています。
「千葉」という名前の由来は、多くの葉が生い茂ったことや、豊かな土地を表している、との説もあります。
また、「万葉集」にも、千葉という記述がすでに見られます。
千葉県誕生後には、鉄道の建設につづき、電灯、電話も相次いで開業しました。
100万人ほどの県民が、近代化へと、船出をしました。
「東葛(とうかつ) 湾岸エリア」
江戸期に宿場町として発展した松戸は、明治期に入っても地域の中心地としての役割を持ち続けました。
千葉の鉄道整備は、半島という地理的な理由から、首都圏の中では遅くスタートします。
明治27年、総武鉄道の市川~佐倉間の開業から始まり、以降、急速に鉄道は敷設され、明治末期には佐原,銚子,大原など,主として県北および外房線の一部に鉄道が敷かれました。
また、明治以降、蒸気船による海運の進歩に合わせて、千葉市、出洲地先(でずちさき)では、港を整備し、さらに、明治43年には、11万平方メートルの埋立地を作り、港湾整備を進めました。
「北総・東総エリア」
この地域は県政がスタートした頃、江戸時代に発展した東廻り海運と利根川水運によって、海運関連業を中心に発達し、醤油醸造などの商工業が盛んでした。
また、明治以降は、犬吠埼灯台が点灯し、日本初の無線電信局である銚子無線電信局が開局するなど、急速に近代化が進みました。
土蔵が並ぶ街並みで有名な、佐原に代表されるように、江戸や東京との水運によるつながりの中で発展してきました。
明治10年に、この地の農家が、やせた土地でも育つ、落花生の栽培をはじめます。
その育てやすさから、このエリアで広まりだします。
「九十九里エリア」
このエリアの中心地、茂原の近代産業を、飛躍的に発展させたのは、天然ガスでした。
一時は、産出量が日本一でした。
明治維新直後の東京には,職を失った武士など,多くの人があふれました。
そうした人々が殖産政策の下、移住して、開墾が行われました。
鉄道は、房総鉄道が、明治29年に、蘇我駅-大網駅間を開業したのが始まりでした。
続いて大正になると、房総半島を一周する鉄道の建設が、本格的に開始され,昭和4年に、現在の内房線と外房線が、結ばれました。
「南総エリア」
「南総里見八犬伝」で知られるこの地域は、特に明治以降、びわの栽培が盛んになります。
また、県南部の嶺岡山地は、「日本酪農発祥の地」とされ、日本の酪農産業の礎を、築きました。

明治から昭和へと、急速に近代化を、推し進めてきた、日本。
しかし、県民を乗せた船の航海には、暗雲が立ちこめていきます。
千葉市に続き、銚子市、市川市、と次々に誕生し、発展してきましたが、そこに、戦争が起こりました。
千葉市や、銚子市は、空襲によって、大きな被害を受けました。
それでも、千葉県は戦後、たくましく、再スタートを切ります。
旧日本陸軍の訓練用線路を、利用して、鉄道が敷かれ、また軍用地の跡地を、利用して作られた、川崎製鉄は、後の京葉工業地域へと繋がります。
人口は200万人を超え、谷津(やつ)遊園やマザー牧場などの娯楽施設も誕生し、工業とエンタメという千葉の主要な産業が、芽吹いてゆきます。
千葉港の埋め立て整備は、その後も周囲へと継続されました。
1950年代から、産業の工業化が進められ、東京湾沿岸の浦安市から富津岬にいたる海を埋め立て、京葉工業地域がつくられました。
これにより、千葉市の海辺も埋め立てられ、千葉市の面積の8分の1にあたる土地が新たに生まれ、工業団地や住宅団地が建設されました。
いわゆる東京のベッドタウンとして、ニュータウンの建設が進み、人口は急速に増え続けます。

高度経済成長とともに、300万人から400万人に人口も増える中、県民を乗せた船は、速度を上げて進みます。
昭和48年、国体も、若潮国体として開催。
そして昭和53年、成田に新東京国際空港が開港。
日本の玄関口として、活躍を始めます。
また、経済の分野では、昭和64年に幕張メッセが誕生し、以降、幕張は、ビジネスの拠点として発展をはじめます。
県民も500万人になり、千葉県は、全国にも、大きな存在感を示すようになりました。

千葉県は、半島という、地形的な理由から、首都圏の中では他県よりも、発展に時間がかかったと言われます。
しかし、その反面、開発されずに残ったものもあります。
谷津(やつ)干潟が、貴重な湿地を保全するラムサール条約に指定され、海外にも千葉の自然が認知されます。
アクアラインの開通は、千葉へのアクセスを格段に向上させます。
自然豊かな南総エリアや外房エリアにも、国内外から多くの人々が訪れるようになりました。
鋸山や、養老渓谷の、美しい自然が、多くの人々を、癒しています。
そして県民も、600万人になりました。
また、文化の面でも、北総四都市江戸紀行が、日本遺産に登録されます。
城下町の佐倉。
成田山の門前町(まち)、成田。
利根水運の河岸、香取神宮の参道の起点の佐原。
漁港・港町、そして磯巡りの観光客で賑わった銚子。
江戸時代の面影を、今なお残す、これらの町並みは、貴重な観光資源であり、文化資源です。
また、2020年、地球の歴史に千葉はその名を刻みました。
地質年代に、ラテン語で「千葉の時代」を意味する、「チバニアン」という名前が付けられたのです。

150年という長い航海を続けてきた県民を乗せた船。
その未来の航海図には、何が書き込まれているのでしょう。
これからは、SDGsを体現し、自然とテクノロジーが、融和していく時代の大きな流れになってゆきます。
そうした時代の流れは、千葉県ととても相性がいいのです。
もっともっと、わたしたちの千葉県が、輝くことが出来る未来が、待っています。

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