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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:5992
♪大多喜城下にゃお嫁(よめ)にゆくな
朝の暗いうちから水くみ仕事
水くみ水くみで日がくれる♪
歌にも歌われたように、140年ほど昔、大多喜城下の人達はたいへん水に困(こま)っていました。
そこで大多喜藩知事(はんちじ)大河内正質(おおこうちまさただ)は、城山から水を引くことを決意しました。城下の豪商小高半左衛門(おだかはんざえもん)(柳原)が世話役となり、三上七五郎(みかみしちごろう)(上原)高橋四郎左衛門(たかはししろうざえもん)(小苗)等が中心になり計画を立てました。
明治二年十一月、静かな城山にカマ、ナタ、クワやスキ、モッコを持った大勢の人夫たちが集まりました。
「みなさんご苦労さまです。工事完成のあかつきには、私たちの生活がきっと豊かになります。・・・川まで行っていた水くみもなくなります。万が一火事がおこっても、水の心配はなく・・・」
半左衛門は工事によってもたらされる豊かな生活を説明しました。そうして最後に
「・・みんなで力を合わせて働けば短期間で完成します。みなさんよろしくお願いします」
と、話をしめくくりました。
人々は半左衛門のことば一つ一つにうなずきました。
「きれいな水が飲める」
「川まで水くみに行かなくてもいい」
「さあ、協力して働こう」
人夫たちは朝早くから夜遅くまで、一生懸命働きました。この工事で延べ5,606人が働きました。
明治3年5月。工事開始からわずか7ヶ月という短い日数で工事は完成しました。この短期間の完成に、半左衛門、七五郎・四郎左衛門、そして大河内正質もおどろきました。
「やったー、水がきた」
「ばんざい、ばんざい」
手を合わせ、水に深々と頭を下げて祈る人たちさえいました。
この水道は昭和二十九年、町営水道ができるまで約八十年もの間、大多喜町民に恵みを与えてきました。
おしまい
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