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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:6006
むかし、むかしのことです。平安時代(へいあんじだい)の末期(まっき)、源頼朝(みなもとのよりとも)が、伊豆(いず)の「石橋山(いしばしやま)の戦(たたか)い」に負けて千葉県に逃(のが)れて来ました。
頼朝に従(したが)う家来(けらい)は十数名。夏の終わりというのに太陽がジリジリ照(て)りつけていました。みな疲(つか)れはて、ただ黙々(もくもく)と歩いていました。傷(きず)を負(お)い足を引きずっている者、仲間に肩をかりている者もいました。
田んぼで稲刈りをしている百姓たちは
「落ち武者(おちむしゃ)だ。可哀想(かわいそう)だが、かかわってはならないぞ」
と、見て見ぬふりをしていました。
ちょうど、一行(いっこう)が大多喜の弓木(ゆみぎ)地区にさしかかった時でした。頼朝が休息(きゅうそく)の号令をかけると、みな倒(たお)れるように道ばたに座(すわ)り込(こ)みました。
山の中腹に農家が見えました。頼朝は農家をたずね
「水を一杯(いっぱい)いただけないだろうか」と頼(たの)みました。すると、
「この暑さ。さぞお困(こま)りでしょう。兜(かぶと)を取ってどうぞお休みください。どうぞ、どうぞ」
と落ち武者たちを家に招き入れました。
「お武家(ぶけ)さま、生水(なまみず)で腹をこわしてはなりません。粗茶(そちゃ)ですが、どうぞお茶を召し上がってください」
とお茶を出しました。
「おいしい、おいしい」
「かたじけない、かたじけない」
「おかげで生き返った」
とみな喜びました。
帰るとき頼朝は、
「これをつかわす」
と仏像をさしだしました。
この後、源頼朝一行は大原町に城を構えていた豪族(ごうぞく)上総介広常(かずさのすけひろつね)、千葉市に城を構えていた豪族千葉常胤(ちばつねたね)に助けられ、平家を倒し、鎌倉に幕府を開きました。頼朝にお茶を出した家は、頼朝が兜をとって休まれたので「かぶとん」と呼ばれるようになりました。
頼朝からいただいた仏像は弓木の渡辺家に大事に祭ってあります。また、近くには「兜野(かぶとの)」という地名も残っています。
おしまい
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