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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:5967
大多喜城主本多忠勝様に一人の姫君がいました。名前をこまつといい忠勝様はたいそう可愛がっていました。
利発な姫君でみんなからたいそう可愛がられすくすく育っていきました。
いつの頃からか「えーい」・「やあー」とお城の庭から元気なかわいい声が聞こえてくるようになり
「おお、こまつ姫様の声がするぞ。」
「姫様が剣術好きだとはなあ。」
「あの声を聞くと、今日も元気でいるなと安心する。」
と城下の人々はこまつ姫様の話でもちきりでした。
ある日のことです。城下に遊びに出かけた姫様があぜ道を歩いていると
「たいへんだ、狂いジシだ。」
「逃げろ、逃げろ。」
大声を出しながら走ってくる者がいました。大きな猪がものすごい勢いで駆けてくるではありませんか。
「だれか、こどもを。こどもを。」
畦には竹篭に入った赤ん坊が見えました。
姫は赤ん坊を抱えると母に手渡し、腰の刀を振り上げると猪に一太刀あびせました。
猪は叫び声を上げると近くの竹やぶに逃げ込みました。姫様もその後を追って竹やぶに飛び込み猪をわなに追い込み、みごとに捕まえました。
姫様は、
「もう大丈夫。心配しなくてもいいよ。」
と村人に優しく声をかけました。
その時竹やぶごしに、姫様に日の光があたり、きらきら輝いて見えました。
「なんてきれいなんだ。本当に輝くように美しいとはこのことだ。」
城下の人々は、この日よりこまつ姫様のことを語り合う時、「かがやく姫様」と呼ぶようになりました。そして、「かがやく姫様」が人々の口から口へと語られるうちに、「かぐや姫」と呼ばれるようになったのです。
こまつ姫様は城下の人々から慕われ、信州上田の真田信幸(幸村の兄)との結婚が決まり大多喜を離れる時には、城下の人々が見送ったということです。
それからここ大多喜では、こまつ姫様のことを忘れないように竹の子をつかった炊き込みご飯を「かぐやご飯」と呼ぶようになりました。
おしまい
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