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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:5986
むかしむかしのことです。
一品親王(いっぽんしんのう)というお方が、ここ上総(かずさ)地方を治めるために、京の都からやって来ました。大多喜横山の地に別荘を建て、政(まつりごと)のあいまに狩をしたり歌をつくったりして暮らしていました。
狩に出ると、近くの豪族(ごうぞく)の屋敷に立ち寄るのが親王の慣(なら)わしになっていました。豪族(ごうぞく)の屋敷では娘の鶴姫(つるひめ)がお茶をたて、親王をもてなしました。
何度も立ち寄るうちに二人は恋仲(こいなか)になり、やがて祝言をあげることになりました。
祝言(しゅうげん)の夜、祝いの使者と名のる二人の男がやってきました。
「遠く京都からありがとうございます。さあ、上がってくだされ」
怪(あや)しむこともなく、二人の男を宴席に招きました。
祝いのことば、歌や踊りが次から次に披露(ひろう)されました。酒がまわり宴が盛り上がった、その時
「私たちも祝いの舞を・・・」
二人の使者は謡(うた)いながら舞い始めました。
「さすが都の舞だ。華麗なこと」
みな感心し拍手をおくりました。
二人の使者は舞いながら、親王に近づくと、懐(ふところ)から短刀をぬき「親王、かくご」と叫び、胸をめがけて突きさしました。親王はその場にドッと倒れました。都からの使者とは、刺客(しきゃく)だったのです。
「くせ者、捕らえろ、捕らえろ」叫びますが、みな酔っぱらっています。どうすることもできません。刺客は館に火を放つと、夜の闇に消えてしまいました。親王はよろめきながら最後の力をふりしぼり刺客を追いかけました。しかし、庭の池まで来たときでした。力尽き蓮の花の上に倒れてしまいました。すると不思議なことに、蓮の花はあっという間に枯れました。館はひときわ高い炎を上げると、焼け落ちてしまいました。
この後、鶴姫は尼(あま)になり三明寺という寺を建て、一品親王の菩提(ぼだい)をとむらう日々を送りました。やがて鶴姫がなくなると、豪族は新しく寺を建て、一品親王と鶴姫の菩提(ぼだい)をとむらいました。鶴姫の戒名(かいみょう)は「蓮光院宝岳聚永大姉(れんこういんほうがくじゅえいだいし)」と命名されました。寺の名は鶴姫の戒名から「宝聚院(ほうじゅいん)」と呼ばれました。今もなお、宝聚院を「御所(ごしょ)」と呼び御所畑(ごしょばたけ)、大門(だいもん)、馬場(ばば)など親王を偲(しの)ぶ地名が残っています。
おしまい
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