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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:5977
天正(てんしょう)十八年(一五九〇年)本多忠勝(ほんだただかつ)は徳川家康(とくがわいえやす)の命(めい)により大多喜城を築いた。生活に水は欠かせない。まして、戦(いくさ)で籠城(ろうじょう)ともなると、水が生死を分ける。そこで城内二の丸に、日本一と呼ばれる大井戸を掘った。雨の降らない夏でも、満々と水をたたえ「底知らずの井戸」と呼ばれていた。
八代藩主(はんしゅ)松平正和のときだ。
「あの大井戸は、底知らずの井戸だ。いくら水を汲(く)んでも尽(つ)きることはない」
「いや、そんなバカなことがあるか。たくさん汲めば水はなくなるに決まっている」
「いや、尽きることはない」
侍(さむらい)たちが言(い)い争(あら)そっている。そこで、殿様に許しを得て井戸の水を汲(く)み出すことになった。
城下の力自慢五十人の人夫を集め、水が汲み出された。八個の滑車(かっしゃ)に十六個のつるべ桶(おけ)で、水汲みが行われた。人夫たちも言い合った。
「底のない井戸なんてあるものか。昼頃には底が出てくるさ」
「いや、底なしの井戸といわれているらしい・・・」
「こん井戸は夷隅川につながっているらしいぞ」
「夷隅川どころか、遠く太東岬(たいとうさき)の海につながっているんだって」
「そんなばかなことがあるもんか」
「いや、城が敵(てき)に囲まれたら、大井戸に逃げ道が・・・」
陽(ひ)が沈み暗くなった。それでも作業はつづき、夜を徹(てっ)して水を汲み出した。朝を迎えた。さすがにみな、疲労の色は隠(かく)せなかった。
「本当に底がないのかねえ」
「ばかな、あるにきまっている。もう一日、水を汲み出してみよう」ということになった。
いくら汲み上げても底が見えない。必死になって汲み上げた。二日目の夜になった。それでも底は見えてこない。やがて、東の空が明るくなり夜が明けた。
井戸をのぞいて見ると、相変(あいか)わらず満々と水をたたえている。
「やっぱり、お城の井戸は底なしだ」
みな、その場に長々と寝(ね)そべってしまったと。
おしまい
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