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更新日:令和6(2024)年2月19日

ページ番号:5982

(大多喜町)首切り地蔵

内容

むかし上瀑(かみたき)に「首切り地蔵(くびきりじぞう)」と呼ばれた首(くび)のない地蔵(じぞう)があった。地蔵(じぞう)にはこんな話が伝わっている。

むかし、弥助(やすけ)という百姓(ひゃくしょう)が妻(つま)と太一(たいち)という十二歳になる息子(むすこ)と幸せに暮(く)らしていた。

 

夷隅神社(いすみじんじゃ)は春の祭礼(さいれい)でにぎわっていた。野良仕事(のらしごと)を早めにきりあげた父母と一緒(いっしょ)に太一(たいち)は祭に出かけた。太一(たいち)はうれしくて境内(けいだい)を走りまわっていた。

「痛(いた)いよ、痛(いた)いよ」

と火がついたように侍(さむらい)の子どもが泣いていた。

「どうされました。若・・・」

「あいつじゃ、あの卑(いや)しい身なりの者がぶつかってきたのじゃ」

と近くにいた太一(たいち)を指さした。

弥助(やすけ)と妻はその場に土下座(どげざ)して額(ひたい)を地面にこすりつけてわびた。しかし太一(たいち)は

「ぶつかったのは俺(おれ)じゃあねえ」

と言った。

「このように、そがれではないと申しております」

「なに、せがれをかばうのか」

「若様がこの子にやられてと言っているではないか」

「あやまれ。侍に無礼(ぶれい)を働いたものは打ち首だぞ」

打ち首ということばに弥助(やすけ)も

「謝(あやま)れ。土下座(どげざ)して謝(あやま)れ」

と、太一(たいち)をうながした。

「おれじゃねえ。ぶつかってねえし、ケガさせてもいねえ」

と強く言った。

「打ち首になってもいいか」

弥助(やすけ)はふるえながら太一(たいち)の頭をさえた。しかし太一(たいち)は

「あやまるもんか。おれは何も悪いことしてねえ」

と、聞く耳を持たなかった。

太一(たいち)は首根っこをつかまえられて大勢の見ている前で

「こいつは若様にさからった。ケガまでさせているのに謝ろうとしない。打ち首にする」

「助けてください。命だけは」

と哀願(あいがん)する父母に反して

「おれは悪くない。首を切るなら切れ」

と太一(たいち)はその場に正座した。

次の瞬間、太一(たいち)の首はふっとんだ。

弥助(やすけ)と妻は嘆き悲しんだ。

しかし、侍に逆らうことはできなかった。

二人は涙ながらに上瀑(かみたき)の家に帰って行った。途中(とちゅう)、地蔵(じぞう)さんの所にさしかかった。太一(たいち)の冥福(めいふく)を祈ろうと地蔵(じぞう)さんに手を合わそうとした。ところがなんだか地蔵(じぞう)さんの背が低い。目をこらしてみると、鋭(するど)い刃物で首が切りとられている。いったいだれがこんないたずらをと思い、首をさがした。すると近くに落ちていた。弥助(やすけ)は首をひろって地蔵(じぞう)さんの肩にのせてやった。それから妻とふたりで手を合わせ太一(たいち)の冥福(めいふく)を祈った。

 

一人息子(むすこ)を亡くした悲しみにむせび泣きながら家に帰った。すると

「お帰りなさい」

と出迎(でむか)える者がいた。首を切られて死んだと思っていた太一(たいち)だ。

「地蔵(じぞう)さまが太一の身代わりになってくださったのだ」

と二人は喜んだ。

それ以来、地蔵(じぞう)さんは『首切り地蔵(じぞう)』とか「身代わり地蔵(じぞう)」と呼ばれ、人々の信仰(しんこう)を集めるようになった。

しかし、いつのころか地蔵(じぞう)の姿は消えてしまった。ただ、むかし上瀑に首のない地蔵(じぞう)があったことが言い伝えられている。

 

おしまい

 

出典・問い合わせ先

  • 出典:「広報おおたきNo.416」(「ふるさと民話さんぽ」斉藤弥四郎)
  • 問い合わせ先:大多喜町外部サイトへのリンク

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