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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:5985
ある秋の夜、三条(さんじょう)の里は月に照(て)らされていた。刈り入れ(かりいれ)の終わった田んぼ、かやぶき屋根(やね)、キラキラ流れる川。虫の音とかすかな風の音だけの静かな静かな三条の夜であった。
住職(じゅうしょく)は「今年も秋がやってきたか。月日のたつのは早いものだのう」と、つぶやきながら境内(けいだい)を歩いていた。
その時、境内の隅(すみ)ですすきの穂(ほ)がゆれたかと思うと
「私は旅の途中(とちゅう)、この地で命を落とした者でございます。村の衆(しゅう)が私の亡骸(なきがら)をこの寺まで運び、葬(ほうむ)ってくださりました。今宵(こよい)は月があまり美しいので霊(れい)となって現世(げんせ)にまいりました。彼岸花(ひがんばな)はもう咲(さ)きましたか」
「彼岸花?」
「ええ、彼岸花です。秋の彼岸になると真っ赤に咲く、あの曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花です」
「曼珠沙華ねえー。このあたりには、あまり見あたりませんな」
「そうですか。それにしてもご住職、このお寺は花がみごとですねえ。私は花で季節の移り変わりを感じております。江戸の私の家のまわりには曼珠沙華が咲いていました。それはそれは見事なものでした」
「そうですか。なつかしことでしょうね」
住職(じゅうしょく)は霊と夜更(よふ)けまで草花や四季の風情(ふぜい)を語りあった。月が西にかたむく頃(ころ)
「ご住職、ありがとうございました。空がそろそろ明るくなってまいりましたので私は消えることとしましょう」
そう言ったかと思うと、姿がかき消えた。
次の日、住職は亡き旅人が葬(ほうむ)られているかたむいた墓石を修復(しゅうふく)し、花を供(そな)え、お経(きょう)をあげた。そうして、旅人の霊をなぐさめようと、寺の境内に曼珠沙華の球根を植えた。年ごとに花の数は増(ふ)え、境内には曼珠沙華の花があざやかに咲いた。
やがて住職が亡くなると、住職の意思をつごうと、里の人たちが曼珠沙華の球根を植えた。
秋の彼岸になると曼珠沙華の花が咲いた。夕日にそまった曼珠沙華は、燃えているかのようであった。そして、だれ言うともなく、この浄宗寺(じょうしゅうじ)は『曼珠沙華寺』と呼ばれるようになった。
おしまい
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