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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:5971
今から七百年も昔のことだ。日蓮(にちれん)さんは鴨川(かもがわ)の小松原(こまつばら)で日蓮宗(にちれんしゅう)に反対する武士(ぶし)に襲(おそ)われ、ほうほうのていで清澄(きよすみ)の山中に逃(に)げ込(こ)んだ。
木々をかきわけ歩いていると、一人の猟師(りょうし)に出会った。
「お坊さん、お坊さん。どうなされました」
「は、はい。実は・・・」
とわけを聞くと
「この山の裏側に、わしの家があります。粗末(そまつ)な家ですがついて来てくだされ」
と粟又(あわまた)の家に連れ帰った。
猟師(りょうし)の家族は、傷(きず)ついた日蓮(にちれん)さんを手あつく看病した。そのかいあって、一月ほどすると傷(きず)はすっかりよくなった。
ある日、日蓮(にちれん)さんは寝床(ねどこ)の枕木(まくらぎ)を削(けず)り始めた。家族の者はいったい何ができるのだろうかと見ていたが、やがて大黒様(だいこくさま)ができあがった。
「長いことありがとうございました。何もお礼はできませんが、これを受け取ってくだされ。明日おいとまします」
と言って大黒様(だいこくさま)を手渡した。
翌朝、にぎり飯(めし)を作ろうとしたが米がなかった。そこで、隣の家に米を借(か)りに行った。その間に、お坊さんは旅立ってしまった。
急いで飯(めし)をたき、にぎり飯を作り、昨夜作った草鞋(わらじ)を持って、お坊さんの後を追いかけた。追いついたのは、富津岬(ふっつみさき)の浜辺だった。
「すまないのう。長いことお世話になったのに、握り飯(めし)まで持ってきてくださり・・・。うまい、うまい・・・」
夢中になって食べたので、舟が出るのも気づかなかった。舟ははるか沖に行ってしまった。
にぎり飯を食べ終わり、新しい草鞋(わらじ)にはきかえて、お礼を言うと衣の裾(すそ)をたくしあげ、海に入って行った。すると不思議なことに、たちまち潮が引いて道ができるではないか。やがて、日蓮(にちれん)さんが舟に乗ると、今度は潮が満ちてき、舟は鎌倉(かまくら)をめざして進んでいった。日蓮(にちれん)さんに夕日があたり、まるで、後光(ごこう)がさしているようであった。
このお坊さんが日蓮(にちれん)さんであったことを知ったのは、その後のことだ。それ以来、粟又(あわまた)の人たちは日蓮(にちれん)さんを助けたこの家を「大黒堂(だいこくどう)」とよぶようになった。
おしまい
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