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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:6009
むかし、房州大沢一帯を領地にした、古仙家(こせんけ)という豪族がありました。
古仙家は、代々領内の人たちをよくめんどう見たので、みんなから大変親しまれていました。
あるとき、古仙家では、かたいおきてを破り、年貢を高くすることに決めました。領内のはげしい不満の声もよそにして、見る見るうちにさらにお金持ちになりました。
ところが、古仙家の夫婦の間には、子供がありませんでした。夫婦はいろいろ手をつくしましたが、神だのみより仕方がなくなり、9月13日の月姫にお願いしました。ようやく願いかなって、翌年かわいい女の子が生まれました。
「これこそ月姫さまのお授け下さった子だ」
と領主は仙という名をつけ、年貢にあえぐ領内の人たちとは別に、古仙家はよろこびにつつまれていました。
お仙は、大きくなるにつれて美しくなって、父と母のかわいがり方はいっそう深まりました。お仙の好きなものはなんでも買ってやりましたが、父と母はそれでもまだ物足りないくらいでした。
ところが、領内の人たちはこうした蔭で、だんだん重くなる年貢にすっかり困ってしまいました。血気にはやる若者たちは、
「仙の顔も三度だっぺ、悪領主をやっつけて、この大沢をむかしの土地にしべえじゃねえか」
といきり立ちました。こうしたたびごとに老人たちにとめられ、仕方なく泣き寝入りをしてしまいました。
こうしたことが、いつの間にか賢いお仙の耳に入りました。ちょうどお仙は13歳になっていました。ある日、思いあまったお仙は両親に向かって、
「仙からお願いがございます。おききください。本当に仙がかわいいのでしたら、私の着物は木綿にしてください、下々の近頃の苦しみをきく仙の心は苦しいのです」
とかたい決心をのべました。さすがの父も、このいじらしいお仙の言葉に、
「それほどいうなら仙よ、お前の心のままにするがいいぞ」
とゆるしてくれました。
お仙が娘盛りの18歳になった夏のことでした。稲の穂は重くみのり、領内の人たちは久しぶりにあかるい顔になりました。しかし、領主はこの豊作に目をつけ、さっそく回状を出して、今年から6分4分の割合で年貢を納めるよう伝えました。
一番はじめに回状を受け取った男は、隣りへ持ち込み、
「あんだ回状か、あんて書いてあるのかしらねえが、どうせろくなことじゃねえだっぺ」
「おいさ、おれもさっぱりわからねえよ」
とつぎつぎに回状をまわしたものの、だれにも6分4分の年貢の納め方がわからず頭をひねりました。
ようやくわかったのは、名主の久右衛門のところでした。字の読めない人ばかり大勢集まったなかで、回状を持ち、
「みんな、よくきけよ、6分4分というのはな、6分が領主で、残りの少ない4分が作人のもんだ」
と説明し終わると、これをきいた人たちは、たちまち真剣な顔になり、
「おらあ、今度こそ命をはってもいやだ」
と一人がいいだしたところ、
「おれもそうだ、おれもそうだ」
と大変なさわぎになってしまいました。
名主は仕方なく、また立ち上がり、
「みんながこうしておこるのも無理はねえ、だがこのままじゃおとがめがあるぞ、そればかりじゃなく、先代さまにも申し訳がねえ、ここんところは名主のわしにまかせてくれねえか」
となだめて、さっそく書面を持って領主のところへお願いに行きました。
ところが、欲に目のくらんだ領主は、名主の静かな願いもきかず、頭から噛みつくような応待でした。ところが隣の部屋で心配していたお仙は、大変なことになったと心を決し、
「おとっつあん、望みがかなった豊作だからといって、6分の取立てじゃ百姓が困ります。生きる瀬がないでしょう、仙はきれいな着物も、ぜいたくな食べ物もほしくありません、どうか百姓の願いをきいてやってくんなさい」
と必死に頼みました。それでも父のは、どうしてもわかってもらえませんでした。
こうしているうちに、秋の祭りの日が来ました。
その夜のことです。祝いの酒に酔いつぶれた領主を、火の玉のようになった若者たちがおそい、とうとう神輿をもむようにかつぎ出し、目もくらむ断崖から投げ落としてしまいました。
翌朝集まった人々は、
「どうだい、欲の固まりも、ゆんべはいい往生をとげたっぺ」
「ああ、そのとおりだよ」
「どうだこれから、そのざまを見てやるべえ」
と断崖をぞくぞくと降りて行きました。しばらくたって先の方から「ああっ」という声がしたので、仲間はおどろき駆けよったところ、なんとそこには、みんなから親しまれ頼りにされていた、お仙のいたましい死体がありました。
だれもお仙が父の衣裳を身につけて、身替わりになっていたことを知りませんでした。人々はおどろき、不覚を恥じて、変わりはてたお仙をなかにして男泣きに泣きつづけました。
こうしたことがあってから、おせんころがしという地名ができたということです。
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