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ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > その他の文化資源 > 語り継ごう千葉の民話・民謡・童謡 > 民話・民謡・童謡の一覧 > (印西市)お鶴とこま犬
更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:6017
むがしよ師戸とゆうとごんにえ~っぺ雇人のえるでぇじんがあっただと。そん家へな船尾がらお鶴ってゆう十八んなる娘がよほうごに行っただと。
とごろがそん家のだんながよ手つけちゃっただと。ふんだがら家へけえす訳にもえがず娘ももどる訳にもえがずしょんねぇちのでそごに子どもぐちほうごしてただと。
ある年の田植えん時のこと男ん衆は田をうない女衆は苗取りやったり田植えしたりしてた。お鶴はよ弁当つくって運ぶのが仕事だ。赤んぼえっからな。
そんなある日のことそん日に限って弁当運ぶのがおそぐなっちまった。それに赤んぼをおはちの上に乗せてったからたまんね。
「お鶴どん今までなにやってただ。みんな働いてんだど腹ぺこだっぺよお昼忘れたわげでもあんめ」
「なんだおはちの上さ赤んぼなんか乗っけて!しょんべんでもしたらどうすんだ!」
「そんな飯くえっかうっちゃっちまえ!」
と口々にいじめたんだって。
「申し訳ね手違いがでぎちまったもんで。そんに手ふさがってだもんで・・・・・・」
お鶴もあやまりだんなもとりなしてくったのでまどうにかその場は納まっただと。
そんでとにかくその日はすんだ。でもお鶴は哀しくてつらくてとてもそんままやしきにけえる気んなれね。ながまをうらみながら泣ぐ泣ぐ天神山さ登ってぇった。沼でも見たらちっとは気が晴れっぺと思ってよ。
おてんとさまも落っこっちゃって白く光る沼を見ていたら気が晴れるどころかますます哀しくてつらくてくやしくて生ぎでだってしょんねと思っただと。
ふんだがら
「なあ生ぎでだってしょんねやなあ」
赤んぼにそういってちょうどそばになってたまだ青いしどめの実をとると半分自分でかじり残りの半分を赤んぼに持だして藤づるでたすきをしそんで一気に沼めがけてとびこんじゃっただと。
「あっとびこんだ!」
そごへ家さもどってきねお鶴をめっけであるってた男ん衆がかけつけてみっと不思議じゃねえかとびこんだお鶴の体はな見る見るうぢにでっけ~そらあでっけ~だいじゃに変わり赤んぼはちゃっけ真っ赤なへびんなって二匹ながよぐ沼の底深ぐ沈んでっちまっただと。
それがらとゆうもの秋んなると天神山のしどめの実はどの実もどの実も半分にかじられたような実が黄色く熟してんだって。
お鶴のふるさと船尾におぼすな様があんだよ。大水がでて田んぼが水にとられたその年のこと沼からおぼすな様まで続いている田んぼの稲がくねくねくねくねぶっくるげさってておまけにおぼすな様の鳥居までぶっくるげさってんだって。その上不思議なことに拝殿にはささ海老がいっしょあげてあんだって。
その次の大水の時もその次の大水の時も。そんでそん時はものすげぇ音がすんだってゴ~ってよ。
「きっとだいじゃになったお鶴どんがおぼすな様へめえりに来ただっぺ」
村ん人はそううわさしあっただと。そんでもな鳥居がぶっくさっちゃ困んので神主さんと相談してこま犬ならよかろうっちので鳥居をこま犬に変えてみただと。そしたらよその次からはなお鶴どんのだいじゃもそして赤んぼの赤いへびも来なくなったんだってよ。
今でも船尾のおぼすな様の入口にはちょこんとこま犬が番しているよ。
(原話:卯沢すえの)
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