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更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:5958
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名称 | 所在地 | 概要 |
---|---|---|
篠原国幹 | 習志野市 | 「習志野」の地名発祥に関わる人物。 |
鳳凰馬五郎 | 習志野市 | 習志野出身の明治時代の関取。 |
村上綱清 | 八千代市 | 室町時代後期の米本城主・村上綱清。 |
星 襄一 | 八千代市 | 世界的な版画家。市内に在住。 |
齋藤その女 | 船橋市 | 天明元年(1781)頃、大穴村に生まれた女流俳人。 |
観信 | 船橋市 | 江戸時代の木喰僧で薬円台に高幢庵を開く。 |
狩野浄天夫妻 | 市川市 | 谷地川から浦安に流れる灌漑用水路建設の功労者。 |
水木洋子 | 市川市 | 日本映画の黄金時代を支えた女性脚本家の草分け。 |
北原白秋 | 市川市 | 大正5年(1916)閑静な場所を求めて真間に移り住む。 |
永井荷風 | 市川市 | 昭和21年(1946)に市内菅野に移り住む。 |
東山魁夷 | 市川市 | 戦後まもない1945年から1999年に逝去するまで市内に住む。記念館あり。 |
鈴木貫太郎 | 野田市 | 終戦時の内閣総理大臣として活躍。記念館あり。 |
関根金次郎 | 野田市 | 近代将棋界の父とされる13世名人。 |
近藤 勇 | 流山市 | 最後に陣を敷き、ここで捕らえられる。 |
小林一茶 | 流山市 | 流山の商家・秋元三左衛門(俳号・双樹)のもとをたびたび訪れた。 |
笹岡了一・秋元松子 | 流山市 | 洋画家。創作活動とともに後進の指導にあたる。 |
秋元洒汀 | 流山市 | 文化活動に取り組み、横山大観、菱田春草らを援助。 |
吉野 誠 | 流山市 | 写真家。芸術写真の一技法であるゴム印画法に優れる。 |
岡田 武松 | 我孫子市 | 日本の気象観測事業の確立に貢献した気象学界のパイオニア |
嘉納治五郎 | 我孫子市 | 講道館を創設し、柔道の発展に貢献する。明治末年に別荘を構える。 |
坂西志保 | 我孫子市 | 評論家。杉村楚人冠邸内に一時期過ごす。 |
志賀直哉 | 我孫子市 | 「小説の神様」と称される。大正4年から12年までに弁天山在住。 |
杉村楚人冠 | 我孫子市 | 戦前の朝日新聞最高幹部。大正13年に移住。 |
瀧井孝作 | 我孫子市 | 大正11~12年まで居住し、「無限抱擁」などを発表。 |
田口 静 | 我孫子市 | 地域住民に「赤ひげ先生」と慕われた医師。 |
血脇守之助 | 我孫子市 | 野口英世の育ての親。歯科医師会に大きく貢献。 |
中 勘助 | 我孫子市 | 夏目漱石門下の一人。「沼のほとり」などの作品を残す。 |
中野 治房 | 我孫子市 | 手賀沼も含めた湖沼の植物研究から出発した植物学者。 |
バーナード・リーチ | 我孫子市 | 大正5年に移住したイギリスの陶芸家。 |
武者小路実篤 | 我孫子市 | 大正5~7年まで居住。「新しき村」の発会式を行う。 |
柳 宗悦 | 我孫子市 | 大正3年から居住。この間、民芸運動の思想を形成。 |
柳 兼子 | 我孫子市 | 「日本の声楽の母」と称えられている。宗悦の妻。 |
柳田國男 | 我孫子市 | 少年時代の一時期を過ごす。 |
山下 清 | 我孫子市 | 放浪の画家。昭和16年頃から昭和21年頃まで、駅弁屋「弥生軒」のもとに身を寄せた。 |
村川堅固 | 我孫子市 | 西洋史の大家。別荘を構える。 |
土井利勝 | 佐倉市 | 徳川家光を助け、幕府の基礎固めに尽力。佐倉藩主。 |
堀田正盛 | 佐倉市 | 佐倉藩主。幕府の年寄として活躍。徳川家光に殉死。 |
堀田正順 | 佐倉市 | 佐倉藩主。寺社奉行、大阪城代、京都所司代などを歴任。 |
堀田正睦 | 佐倉市 | 佐倉藩主。幕府老中として開国を説く。 |
堀田正倫 | 佐倉市 | 最後の佐倉藩主。佐倉地方の産業、発展に貢献。 |
雷電為右衛門 | 佐倉市 | 臼井で相撲興行を行う。妻・八重は臼井の出身。 |
佐藤泰然 | 佐倉市 | 順天堂を開き、診療と医学教育に尽力。 |
西村茂樹 | 佐倉市 | 明治初期、士族授産のため製茶業、製靴業を興す。 |
松本 順 | 佐倉市 | 陸軍軍医総監として軍医学の発展に大きく貢献。 |
香取秀真 | 佐倉市 | 金工作家。文化勲章受賞。 |
太田図書 | 佐倉市 | 太田道灌の甥。臼井城跡の傍にある石碑が墓という。 |
川口宗重 | 佐倉市 | 葛飾郡臼井500石を知行。 |
浅井 忠 | 佐倉市 | 日本の洋画の先駆者。少年時代を市内で過ごす。 |
津田梅子 | 佐倉市 | 日本の女子教育に尽力。佐倉藩士の娘。 |
水野葉舟 | 成田市 | 歌人。大正13年、駒井野に移住。 |
伊能忠敬 | 香取市 | 我が国最初の実測日本地図を作成。 |
佐藤尚中 | 香取市 | 佐倉順天堂の佐藤泰然の養子となり業績を残す。 |
初代松本幸四郎 | 香取市 | 歌舞伎界の名優。延宝2年(1674)生まれ。 |
鉄牛和尚 | 東庄町 | 椿海千拓の功労者。 |
笹川繁蔵 | 東庄町 | 有名な「天保水滸伝」の主人公。 |
平手造酒 |
東庄町 | 紀州の浪人で、笹川繁蔵の客人。 |
勢力富五郎 | 東庄町 | 笹川繁蔵の一の子分。金毘羅山で自刃。 |
千葉胤直・胤宣 | 多古町 | 胤直は鎌倉幕府の重鎮。千葉氏の内紛で敗れる。胤宣は息子。15歳で父と同じく自刃。 |
飯篠家直 | 多古町 | 天真正伝香取神道流の流祖。 |
木食上人 | 多古町 | 断食行の後、静かに入定。 |
国木田独歩 |
銚子市 | 明治4年(1871)、銚子に誕生。 |
竹久夢二 | 銚子市 | 明治末期~大正にかけて活躍した叙情画家・歌人。 |
小川芋銭 | 銚子市 | 洒脱な俳画は広く愛好される。銚子の別荘に滞在。 |
尾崎咢堂 | 銚子市 | 政界の重鎮銚子へ何回か訪れた。 |
濱口陽三 | 銚子市 | 銅版画の技法メゾチントを20世紀に復活させた。 |
渡辺學 | 銚子市 | 画家。漁業の町銚子で生まれ育つ。 |
尾張穂草 | 銚子市 | 歌人。出版関係の要職も兼ねる。 |
大原幽学 | 旭市 | 幕末に旭市を中心に農村指導者として大きな事績を残した。 |
辻内刑部 | 旭市 | 椿海開拓の功労者。 |
花香安静 | 旭市 | 和算の奥義を究める。東福寺境内に墓あり。 |
剣持章行 | 旭市 | 和算の大家として関東一円に門人をもつ。 |
宮負定堅・定雄 | 旭市 | 松沢村の名主の家柄で、国学者の父子。 |
石毛新兵衛・石毛治兵衛 | 旭市 | 入会権めぐり、寛文7年(1677)に処刑された名主二人。 |
木曽義昌 | 旭市 | 木曽義仲から19代目の子孫。 |
金谷総蔵 | 旭市 | 落花生の栽培普及に情熱をささげる。 |
濤川 惣助 | 旭市 | 世界が絶賛した日本の七宝焼きの中興の祖。 |
穴澤松五郎 | 旭市 | さつまいも育成開発に尽力した昭和の青木混陽。 |
飯岡助五郎 | 旭市 | 網元として海岸に護岸を築くなどの功績もあった。 |
海上胤平 | 旭市 | 東郷平八郎が師事した歌人。 |
櫻木誾斎 | 東金市 | 朱子学を納め、東上総地域の庶民を教導。 |
日殷上人 | 東金市 | 天正11年(1583)、大僧正となる。東金・本漸寺4世。 |
植松是勝 | 東金市 | 自宅に塾を開き関流和算を教授。地域の教育に貢献。 |
久我政右衛門 | 東金市 | 儒学の師匠として近隣の子弟を教える。 |
大木忠篤 | 東金市 | 上総道学の大家・稲葉黙斎の門人。 |
徳川家康 | 東金市 | 鷹狩のため東金御殿(現・東金高校)を造営。 |
関 寛斎 | 東金市 | 蘭学医。江戸から明治にかけて活躍。 |
高村光太郎 | 九十九里町 | 昭和9年、妻の智恵子は九十九里浜で病気療養。 |
目黒自琢 | 九十九里町 | 優れた儒学者。この地で多くの門人を教育。 |
伊藤左千夫 | 山武市 | 明治時代~大正時代に活躍した、歌人・小説家。 |
稲葉黙斉 | 山武市 | 上総地域に広まった朱子学「上総道学」の総師。 |
安井理民 | 山武市 | 鉄道開設に立ち上がり、総武線の開発に生涯を捧げる。 |
牧野萬右衛門 | 山武市 | 落花生栽培の先駆者。 |
鈴木荘内(養察) | 山武市 | 塾「姫島学舎」を開いた上総道学の先駆者。 |
和田守道(儀丹) | 山武市 | 上総道学の先駆者。 |
覚眼法印 | 山武市 | 荻生徂徠を庇護・援助する。 |
大高善兵衛 | 山武市 | 江戸時代末期、社会福祉事業に尽力。 |
日親上人 |
山武市 | 赤く焼けた鍋をかぶらされても信念を通す。 |
鈴木伊平 | 横芝光町 | 両総用水事業の発案者で名村長といわれた人物。 |
小錦八十吉 | 横芝光町 | 異例の若さで横綱に昇進。 |
伊藤東一路 | 横芝光町 | 横芝光町北清水の医師。 |
伊藤紫洞 | 横芝光町 | 横芝光町屋形出身の教員。 |
伊藤鉄弓 | 横芝光町 | 横芝光町新島出身の教員。 |
海保漁村 | 横芝光町 | 佐倉藩主・堀田正睦に孔子・孟子を講義。 |
荻生徂徠 | 茂原市 | 逆境にあった若き日、この地で勉学にいそしむ。 |
白鳥庫吉 | 茂原市 | 東洋史の世界的権威生誕の地。 |
常泉桃村 | 茂原市 | 国学を修め、村の発展につくす。 |
東條一堂 | 茂原市 | 江戸時代の大儒学者。 |
お馨さん(本名石倉よし) | 茂原市 | 徳富蘆花「梅一輪」の主人公。 |
芥川龍之介 | 一宮町 | 5年(1916)に作家・芥川龍之介が滞在。 |
加納久宜 | 一宮町 | 明治2年(1869)に一宮藩知事となる。 |
加納久徴 | 一宮町 | 幕末の藩主。砲台等を造らせる。 |
前田普羅 | 白子町 | 高浜虚子門下の四天王の一人。 |
渡辺辰五郎 | 長南町 | 最初の裁縫教科書を編集。東京家政大学の創始者。 |
大森金五郎 | 長南町 | 日本史学、特に鎌倉時代の武家の研究に力を注ぎ、頼朝研究でも大きな功績を挙げています。 |
半場里丸 | いすみ市 | 小林一茶等有力俳人と親交をもち、芭蕉句碑を建立した記念選集『杉間集』を刊行。 |
田丸健良 | いすみ市 | 安永3年(1774)生まれの文化人。「房総志料続篇」を著した。。 |
東一貫斉 | いすみ市 | 安永元年生まれ文化人。学徳を偲び門人が筆塚建立。 |
矢代東村 | いすみ市 | 町内長志出身の歌人。 |
ドン・ロドリゴ | 御宿町 | 慶長16年(1609)遭難した前フィリピン諸島長官。 |
竹永志保 | 御宿町 | 地頭から褒美をもらうほどの母親孝行。 |
後藤利兵衛橘義光 | 館山市 | 幕末から明治にかけて安房を代表する木彫師。 |
青木繁 | 館山市 | 明治37年(1904)の夏、小谷家に滞在し「海の幸」を描く。 |
日蓮聖人 | 鴨川市 | 日蓮宗の開祖。市内小湊で生まれる。 |
武志伊八郎信由 | 鴨川市 | 市内打墨で生まれ、数多くの作品を残した江戸時代の彫物大工。 |
古泉千樫 | 鴨川市 | 伊藤左千夫、齋藤茂吉、島木赤彦らとともに雑誌「アララギ」の発展に尽くし、日本近代短歌史に名を刻んだ歌人。 |
菱川師宣 | 南房総市 | 房総が生んだ浮世絵の祖。 |
百田宗治 | 南房総市 | 童謡「どこかで春が」作詞。昭和23年富山に移り住む。 |
忍足佐内 | 南房総市 | 重税から村民を救うため藩主に訴え、処刑される。 |
若山牧水 | 南房総市 | 名作「白鳥は悲しからずや・・・・」は根本海岸で詠まれる。 |
早川雪洲 | 南房総市 | 日本人最初のハリウッドスター。 |
小野次郎右衛門忠明 | 南房総市 | 徳川将軍家に採用された小野派一刀流の流祖。 |
源 頼朝 | 鋸南町 | 石橋山の合戦に敗れ、房総の地で再起を図る。 |
与三郎 | 木更津市 | 歌舞伎でおなじみの「切られの与三郎」。 |
近江屋甚兵衛 | 君津市 | 海苔養殖に大きな功績。 |
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