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ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 東京2020大会に向けた文化プログラム > 次世代に残したいと思う「ちば文化資産」 > 千葉県誕生150周年記念「ちば文化資産」追加選定及びオリジナル フレーム切手デザインコンテストの実施について > 「ちば文化資産」追加候補一覧(ベイエリア、東葛飾エリア、北総エリア)
更新日:令和4(2022)年12月28日
ページ番号:548360
ちば文化資産の追加候補(投票候補)をご紹介します。
【ベイエリア】
No.1 千葉県文化会館|No.2 千葉市の花「オオガハス」|No.3 千葉市民ギャラリー・いなげ(旧神谷伝兵衛稲毛別荘)|No.4 千葉市ゆかりの家・いなげ(旧武見家住宅)|No.5 大町梨街道|No.6 葛飾八幡宮と八幡の藪知らず|No.7 行徳の神輿と祭り|No.8 真間山弘法寺|No.9ばか面おどり|No.10 習志野ソーセージ|No.11 本土寺と紫陽花|No.12 萬満寺の仁王尊股くぐり|No.13 御用醤油醸造所(御用蔵)|No.14 旧花野井家住宅|No.15 野田のつく舞
【東葛飾エリア】
No.16 吉祥院|No. 17 旧吉田家住宅歴史公園|No.18 旧手賀教会堂とイコン|No. 19 紅龍山 布施弁天 東海寺|No.20 こんぶくろ池自然博物公園|No.21 篠籠田の三匹獅子舞|No.22 神明社|No.23 船戸のおびしゃ|No.24 増尾中世城郭群|No.25 松ヶ崎城跡|No.26 天神坂|No.27 国史跡下総小金中野牧跡「捕込」|No.28 流鉄の景観
【北総エリア】
No.29 宗吾霊堂の御待夜祭|No.30 国立歴史民俗博物館|No.31 佐倉花火フェスタ(佐倉市民花火大会)|No.32 縄文の森 井野長割遺跡|No.33 千葉県両総馬匹農業協同組合事務所|No.34 安食の酉の市|No.35 布鎌惣社水神社の奉納相撲と水塚のある景観|No.36 日本寺・中村檀林跡とあじさい|No.37 芝山仁王尊観音教寺|No.38 殿塚・姫塚古墳と芝山古墳・はにわ博物館|No.39 白桝粉屋おどり|No.40 笹川の神楽|No.41 龍角寺古墳群・岩屋古墳(国指定史跡)|No.42 ちばの戦国時代・本佐倉城跡
千葉県文化会館は昭和42年(1967年)の開館以来、国内外の著名なアーティストのコンサートや舞台、吹奏楽コンクールをはじめとする音楽コンクールの会場となるなど、本県の文化芸術のシンボル的な劇場として、長年の間、県民の皆さまに親しまれています。
また、日本の戦後を代表する建築家である大高正人氏によるデザイン・設計であり、「日本建築学会賞」作品賞やBCS賞を受賞するなど、優れた建築物としても高い評価を受け、後世に伝える素晴らしい資産としてその存在を誇り、今日に至っています。
昭和26年(1951年)、植物学者の大賀一郎博士は千葉市花見川区の現在の東京大学検見川総合運動場の地下6mにある約2,000年前の泥炭層から、古代ハスの実を発掘しました。翌年、見事に開花させたこのハスは「オオガハス」と名付けられ、世界最古の花及び、千葉県の天然記念物として指定され、今年で開花70周年を迎えています。毎年、千葉公園のハス池で華麗な花を咲かせ、国内外で200か所以上分根されています。
提供:千葉市 |
ワイン王として知られる初代神谷伝兵衛が、大正7年(1918年)に来賓用の別荘として建てた洋館です。建物は1階が洋室で2階が和室の和洋折衷の造りになっています。コンクリート構造の建物としては市内で最も古く、国登録有形文化財に登録されています。
提供:千葉市 |
保養地としての稲毛の歴史を今に伝える貴重な和風別荘建築です。昭和12年(1937年)には、清朝最後の皇帝 愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑夫妻が、半年ほどこちらに居を構え、新婚生活を送りました。千葉市地域文化財に登録されています。
提供:千葉市 |
市川市内を走る国道464号線の大町地区の区域は、通称『大町梨街道』と呼ばれ、道沿いには約50軒もの梨屋が軒を連ね、街道にはためくのぼり旗は、市川市の夏の風物詩となっています。
シーズンには、市内外から「市川の梨」を求めて、多くのお客さんが足を運び、賑わいを見せています。
大町梨街道は、千葉県が梨の一大産地であることを表す地域であるといえます。
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葛飾八幡宮は、寛平年間(889~898年)、宇多天皇の勅願により京都石清水八幡宮から勧請した神社といわれています。国指定天然記念物「千本公孫樹」があるほか、年中行事や市民イベントの会場としても賑わいます。また、市役所前に位置する藪は、足を踏み入れると二度と出られない「八幡の藪知らず」として知られ、様々な伝承が残されています。水戸黄門が藪に入り、神の怒りに触れたという話が全国に広まりました。
提供:市川市 |
近世中期から近代にかけて、製塩業や舟運で栄えた行徳。この繁栄のもと多くの寺社が造営され、宮大工や神・仏具職人の技術を生かした神輿づくりは地場産業となりました。見ごたえのある神輿の渡御は、現在も祭礼の華として受け継がれています。平成30年(2018年)に開館した「行徳ふれあい伝承館」は、国登録有形文化財「旧浅子神輿店店舗兼主屋」を活用した施設で、神輿や祭りなどの地域にゆかりある資料を公開しています。
また、江戸時代より神輿づくりを行う中台製作所には、工房の敷地内に「行徳神輿ミュージアム」があります。華やかな神輿、普段は見ることが出来ない神輿の内部や、職人が使用する道具などを展示しています。
提供:市川市 |
弘法寺は、長い石段を上がった高台に建っています。天平9年(737年)に行基菩薩が建立しました。約100年後の弘法大師によって「求法寺」から「弘法寺」に改められたといわれています。鎌倉時代以降に日蓮宗の寺となりました。明治21年(1888年)の火災により大部分を焼失し、現在の諸堂は明治23年(1890年)以降に改修・建築されたものです。
境内には100本を超える桜があり、特に「伏姫桜」と呼ばれる樹齢400年のしだれ桜は圧巻です。
提供:市川市 |
明治時代、漁師町で疫病が発生したり海難や不漁が続いたため、漁師たちが厄払いと海上の安全、豊漁を祈願して始められたと伝えられています。ひょっとこなどの面をつけ、囃子の音に合わせこっけいな仕草を交える踊りです。公民館や学校で今も取り組まれているほか、「湊町八剱神社の本祭り」でも踊りが行われています。また、「ふなばし市民まつり」でも、「ばか面パレード」に12町会が参加し、船橋駅周辺の駅前通り・本町通りを練り歩きます。
提供:船橋市 |
第一次世界大戦中に、習志野俘虜(ふりょ)収容所に収容されていたドイツ人から、ドイツ式ソーセージの製法が日本で初めて伝えられたという歴史的事実から、習志野商工会議所が地域団体商標登録した上で、当時のレシピをアレンジしご当地グルメとして商品化しました。
習志野市を「日本のソーセージ製法 伝承の地」として、有力な地域ブランドに育て上げ地域活性化に役立てています。
提供:習志野商工会議所 |
「あじさい寺」としても知られている本土寺は、建治3年(1277年)に建立された、日蓮宗本山の寺院です。初夏の頃に咲きほこる紫陽花と花菖蒲がみられるスポットとして、地元で大人気の観光地です。また、春にはさくら、秋には紅葉を楽しむことができます。
提供:(公社)千葉県観光物産協会 |
萬満寺は建長8年(1256年)に建立されました。中門の中の二体の仁王尊は、国の重要文化財に指定されています。「仁王様の股くぐり」で知られ、古来、人々はこの仁王尊の股の間をくぐると、その1年間は無病になるといわれています。この儀式は一般公開時に行う事ができます。
御用醤油醸造所(通称「御用蔵」)は、平成23年(2011年)にキッコーマン食品野田工場内に移築されたものです。移築前の御用蔵は、宮内省(現宮内庁)にお納めするしょうゆの専用醸造所として、昭和14年(1939年)に江戸川沿いに建設されました。
なお、老朽化で大規模な補修工事が必要となり、70年の節目に移築工事を実施。移築にあたり、しょうゆを仕込む木桶、屋根の小屋組み、屋根瓦、石垣、門などは移築前のものを使用し、原形に近い形で再現しました。御用蔵では、現在も宮内庁にお納めするしょうゆを醸造。また、伝統的なしょうゆ醸造技術や昭和14年(1939年)の御用蔵の建設当時の道具や装置を保存・展示しています。
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構造や形式から江戸時代前期に建造されたと思われる古民家で、国の重要文化財に指定されている貴重な建築物です。
花野井家は、江戸時代には幕府の軍馬等を供給する小金牧において、牧を管理する牧士という役を代々努めてきました。昭和46年(1971年)に野田市が花野井四郎氏から寄贈を受けて流山市前ケ崎から現在の位置に移築、建造当初の形に復元して公開しています。
毎年7月15日前後の土曜日、上・仲・下町の野田三ケ町夏祭りの中日に雨乞いの神事つく舞が奉納されます。あたりが暗くなった頃、蛙の面をかぶった白装束の「ジュウジロウ」を中心に、御神酒所前から会場まで練りこみ行列が繰り出されます。会場には高さ約14.5mの見上げるような「つく柱」が立てられており、ジュウジロウが囃子に合わせて登っていきます。途中で曲芸的な演技をしながら、やがて頂上の樽の上にたどりつくと、ここから南、西、北、東の順に破魔矢を1本ずつ放ちます。頂上でも演技を披露し、やがてくだり綱を伝って降り始めますが、その途中でも演技を行います。最後はくだり綱を一気に下り、舞は終わります。御神酒所前まで練りこみ終了となります。
創建は不詳。境内にはカヤの巨木があり、毎年お盆の時期には柏市無形文化財の「大室の盆綱引き」の盆綱が境内に奉られます。
境内では、5月にはぼたんが見ごろを向かえ、美しい姿を楽しむ事ができます。また、木から彫り出す仏を数年かけて制作中です。
旧吉田家住宅は、苗字帯刀を許された士分格の家柄・豪農・商家といった3つの側面をもった大型民家の屋敷構えが特徴的で、当地方の農家における住宅形式の到達点として高い価値を有しています。
また、屋敷林や庭園を含めて屋敷構え全体が今日まで良好な状態で伝えられています。
平成22年(2010年)に、主屋・書院・新座敷・長屋門・向蔵・新蔵・道具蔵・西門の8棟が国の重要文化財に指定され、庭園及び屋敷林などは、平成24年(2012年)に国登録記念物(名勝)に登録されています。
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旧手賀教会堂は、明治14年(1881年)に茅葺屋根の民家を教会堂に転用したもので、現存する日本で唯一の転用教会堂です。
明治期の女流作家として高い評価を受ける山下りんが描いたものです。聖画はハリストス正教会でイコンと呼ばれるもので、主全能者(キリスト)、至聖生神女(マリア)、機密の晩餐の3点です。いずれも伝統的な構図を守りつつ、描かれている聖人たちの表情は日本画的なやわらかな表現に満ちています。
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大同2年(807年)に弘法大師空海御作といわれる弁財天像をご本尊(秘仏)として開山された祈願寺です。平成18年(2006年)には本堂・楼門・鐘楼が県指定有形文化財(建造物)に指定されています。
また、布施弁天は、浅草寺弁天山(浅草寺弁天堂)、江島神社弁天堂とともに関東三弁天のひとつにかぞえられています。
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こんぶくろ池自然博物公園は、都市に残された18.5ha の広大な自然の森です。園内のこんぶくろ池と弁天池は、台地上に地下水がしみ出す、珍しいタイプの湧水で、池から流れ出す水は、地金堀、大堀川を経由して、手賀沼の自然水源となっています。
園内には、貴重な動植物が多様性豊かに生息、生育していますが、この自然を守るため、市民が中心のNPO法人が管理運営しています。
提供:柏市 |
毎年8月16日に西光院境内で行われます。獅子舞の始まりは、徳川5代将軍綱吉の頃の元禄時代といわれています。篠籠田の獅子舞は、龍神をかたどる「龍頭の獅子」です。祖先の霊をなぐさめ、五穀豊穣と家内安全を祈願します。県指定無形民俗文化財に指定されています。
提供:柏市 |
塚崎地区の鎮守で、境内の社碑によれば、当神社の創建は鎌倉時代末期の頃とされます。当神社は、天照大神(大神宮)・応神天皇(八幡社)・武甕槌神(春日社)の三社を祀る典型的な三社神明で、社殿は伊勢神宮の方向を向いています。境内にある石鳥居と手洗鉢が柏市指定有形文化財に指定されています。また、例年10月17日、神明社の大祭に神楽殿で奉納される十二座神楽は柏市指定無形民俗文化財に指定されています。
提供:柏市 |
「おびしゃ」は関東地方、特に千葉県に多く、もとは弓を射て的に当てることで、その年の豊穣を祈る行事です。船戸のおびしゃは、現在は的射は行われていませんが古い形態を持つ踊りとして貴重な存在です。船戸のおびしゃは、元和年中(1620年頃)から始まったとされ、天保7年(1836年)から毎年1月20日に行われるようになったそうです。現在は、1月20日直前の日曜日に行われています。
提供:柏市 |
柏市増尾地区には鎌倉時代から戦国時代の城郭跡が2ヶ所あり、ともに城郭の遺構がよく保存されています。
「幸谷城」は、地元では古来より「きつね山」と呼ばれ、相馬胤村―阿蓮―相馬師胤―相馬重胤が居城したと伝わっています。城跡の遺構が良好に保全されています。敷地内には国の登録有形文化財・伊藤家住宅があります。
「増尾城」は、地元では古来より「城山」と呼ばれ、築城主は不明ですが最後は、小金城主・高城胤則家臣、平川若狹守が居城したと伝わっています。同様に城跡の遺構が良好に保全されています。
この他、増尾には奥州相馬中村藩が代々お詣りしたという妙見堂跡(石碑)やお城に因む多くの屋号、民話も残されています。
(増尾城跡) 提供:柏市 |
戦国時代(15世紀後半~16世紀前半)の中世城跡です。手賀沼を見渡す台地先端部に土塁と空堀に囲まれた方形単郭の郭を主体に、古墳を転用したとされる櫓台跡や台地斜面には腰曲輪が残されています。発掘調査の結果、曲輪、土塁、空堀、虎口、土橋が当時のまま良好に残されていることが分かりました。なお、発掘調査後、環境整備・説明板設置などを行い、現在城跡内は自由に見学できるようになっています。
提供:柏市 |
自然石を敷いた石段による坂道です。坂を上ると左手には、民藝運動を推進した柳宗悦、声楽家兼子夫妻の住居跡があり、3本のスダジイの木があることから柳の叔父の嘉納治五郎に『三樹荘』と命名されました。武者小路実篤、志賀直哉などの文人や陶芸家バーナード・リーチもかつては、この坂を足繁く歩いたことでしょう。坂を覆うように大きく枝葉を広げる三樹は、景観法で定める景観重要樹木に指定されており、今も当時の面影が保たれています。
提供:我孫子市 |
徳川家康は良馬の産地として知られていた下総に、江戸幕府直轄の牧を整備しました。その1つが小金中野牧です。捕込は、年に1回行われる野馬捕りによって、追い込んだ馬を選別する施設です。江戸幕府の軍馬生産を知る上で貴重な遺跡であるとして、平成19年(2007年)2月に牧跡としては全国で初めて国史跡に指定されました。毎年4月の第1土曜日には史跡の歴史に触れ、馬にまつわる遊びができる「とっこめ桜まつり」を開催しています。
提供:鎌ケ谷市 |
流鉄は白みりんの醸造などで栄えた流山本町とJR常磐線の馬橋駅を繋ぐ5.7kmの鉄道です。大正2年(1913年)に流山の商人らが中心となって発起し、住民等が出資して出来た鉄道です。単線を2両編成の電車が走行する沿線は、昔は雑木林や農地が広がっていましたが、現在は宅地化が進みました。
提供:(公社)千葉県観光物産協会 |
宗吾霊堂は、宗吾様の名で親しまれる古刹で、御待夜祭や紫陽花名所として知られています。開基は古く、桓武天皇の時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が、房総を平定した時に戦没者供養のために建立したと言われています。
御待夜祭は、義民佐倉宗吾(木内惣五郎)の遺徳を偲んで、命日に近い9月の第1土曜日・日曜日に行われます。
歴史学、考古学、民俗学の資料展示など、日本の歴史と文化について総合的に研究・展示を行っている国立歴史民俗博物館です。先史・古代から現代に至るまでの資料がテーマ別に数多く展示されています。
また、館内の大きなガラス窓から望める桜の木々を屏風絵に見立てた風景は、特に花が咲き誇る春の時期に訪れた方の目を楽しませています。
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オランダ風車がランドマークの佐倉ふるさと広場にて毎年8月第1土曜日に開催しています。広大な土地を活かした佐倉名物“二尺玉(開花時直径約500m)”や印旛沼湖面に映える“水上花火”、関東では珍しい“手筒花火”など印旛沼湖畔に咲き誇る百花繚乱をお楽しみください。
令和3年(2021年)度・4年(2022年)度は新型コロナウイルス感染症に対応した、複数箇所で同時に打上げる「分散型花火大会」として開催を継続しています。
提供:佐倉市 |
井野小学校建設の造成工事中に発見された縄文時代後期(今から約3,000~4,000年前)のムラの跡です。広場の周りに環状にめぐる盛土(環状盛土)を現在も見ることができます。これまでの発掘調査により、広場とそこから伸びる道路跡を中心とした計画的なムラづくりの様子が確認されました。遺跡の中に建つ学校として、歴史学習に活用されています。また、住宅や商業施設に囲まれた中にあって貴重な森でもあります。
提供:佐倉市 |
大正15年(1926年)に設立された「千葉県両総畜産組合」の事務所として建設されました。建物は歴史を感じさせレトロ感溢れる重厚な造りになっています。平成14年(2002年)までは馬のセリも行われていた場所でもあり、千葉県が誇る競走馬の生産・育成に寄与してきました。現在でも関東における競走馬生産・育成牧場の拠点となる施設であり、競走馬のふるさと案内所千葉連絡センターとして、競走馬に関する様々な情報を提供しています。
提供:千葉県両総馬匹農業協同組合 |
関東地方で最も遅い時期に開催される安食の酉の市(12月第1酉の日前後)は、大鷲神社の例大祭で、江戸時代後期から明治後期にかけて、船運による成田山参詣の安食河岸への乗降客や、周辺農村の農具市的な色彩で賑わいを見せました。近年も商売繁盛、出世開運にご利益のある福熊手を求める客でにぎわいます。また、境内に祀られる「魂生大明神」は、子宝・安産にご利益があり、年間を通じて参拝客が絶えません。
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利根川などの河川に囲まれた布鎌地区は、江戸時代前期の開拓入村時から水害と戦ってきた地域で、屋敷の一角には洪水時に避難するために築かれた水塚が現在も残っています。
また洪水などの被害からの地域の安寧を祈願し、布鎌地区全域が氏子となり、宝暦7年(1757年)に布鎌惣社水神社が建立されましたが、この水神社には、洪水があるたびに白馬に乗った水神様が布鎌の堤防を見て回ったという伝説があります。水神様は相撲好きの神様として知られていることから、毎年、秋の例大祭には奉納相撲が行われ、現在も地元の子供たちによって受け継がれています。
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日本寺は、市川市にある中山法華経寺の三世日祐上人が元応元年(1319年)に開基した日蓮宗の古刹。仏教史上有名な檀林(学校)のある寺として知られ、全国から学僧たちが集まりこの地で学びました。あじさいが多く植えられ、「あじさい寺」とも呼ばれています。
あじさいが咲き誇る時期には、「ふるさと多古あじさい祭り」が開催され、初夏の多古町の風物詩となっています。栗山川沿いに咲くあじさいとともに、多古町あじさい公園では竹で作られた1日限りのジェットコースターをはじめ、歌やダンスなどの多彩なステージを楽しめます。
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芝山仁王尊観音教寺は奈良時代に開創したと伝わる古刹です。珍しいお堂形式の仁王門に安置されている仁王尊は、火事・泥棒除け、子育てに霊験あらたかで、江戸時代には成田不動尊と共に江戸庶民の信仰を集めました。境内に建てられた参拝記念の石碑が当時の賑わいを現在に伝えています。
提供:芝山町 |
殿塚古墳・姫塚古墳は山武地域を代表する古墳で、国指定史跡となっており、中でも殿塚古墳は墳丘長約90メートルの大型前方後円墳です。昭和31年(1956年)の発掘調査で出土した埴輪は、アゴヒゲの武人をはじめとして精巧で造形美に優れたものが多く、芝山町がはにわの町と呼ばれるきっかけとなりました。
芝山古墳・はにわ博物館では、「房総の古墳と埴輪」をテーマに、県指定有形文化財の殿塚古墳・姫塚古墳出土埴輪など、周辺地域から出土した埴輪を一堂に集めて展示しています。
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(芝山古墳・はにわ博物館) 提供:芝山町 |
芝山町白桝地区にあった粉屋の美しくも薄命だった娘を慕う唄と踊りで、「おいとこ節」とも呼ばれます。江戸時代の天保年間(1830年~1843年)に江戸で流行し、明治・大正では芸事の習い始めに用いられたといわています。岩手県や宮城県ではおいとこ節が地元の代表的な民謡として伝わり、東京都・埼玉県・神奈川県では「白桝粉屋」が、万作踊り・お洒落踊り・飴屋踊りなどといわれる郷土芸能の演目のひとつとなっています。
提供:芝山町 |
鎌倉の鶴岡八幡宮が造営された建久2年(1191年)、千葉成胤、源氏一族の武運長久を祈願して奏したのが始まりと伝えられています。
文明7年(1475年)、東常縁によって総社信州諏訪大神の神楽と融合させた形で、いまの神楽が誕生しました。
猿田彦大神(天狗)、乙女の舞(おかめ)など16面で構成されています。
神楽の奉納は、東庄町笹川地区7つの区が回り番で担当し、7年目毎に当番となった区の青年たちが、先輩の教えを受けて舞台に立ちます。昭和40年に県指定無形民俗文化財に指定されています。
印旛沼に面した台地に点在する龍角寺古墳群は、古墳時代後期から終末期にかけて形成された県内でも有数の大規模古墳群で、総数110余基を数え、全体の指定面積は44万5,000平方メートルで千葉県では最も広い面積の国指定史跡です。中でも、岩屋古墳は、三段築成で、2つの石室を要し、周溝部を含む一辺が108.108メートル、高さ13.2メートルで古墳時代終末期の方墳としては、全国第1位の規模となります。また、古墳群の中のみそ岩屋古墳の石室を加えた3つの石室は「三ケの岩屋」と呼ばれ、隠れ座頭という妖怪が住んでいたという民話が残され、現在もボランティアによって語り継がれています。
提供:栄町 |
房総の有力な武家、千葉氏が戦国時代に本拠地とし、城周辺すべてが湿地帯という天然の防御を擁する大規模な城郭です。発掘調査の結果、屋敷群が発見され、千葉氏が使用した当時の高級品が多く出土しました。戦国時代末期の様相を現在にそのまま残しており、千葉氏の縁を偲ぶことができる史跡となっています。
佐倉市と酒々井町にまたがり所在し、国指定史跡であるほか、続日本100名城にも選定されています。
提供:佐倉市 |
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