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更新日:令和6(2024)年1月22日
ページ番号:314142
天国へ行ったのんちゃん
小西眞希子 西宮市
「お母さん、幼稚園でハートの凧を作ったの。明日凧上げするの、おやすみなさい」
五歳の娘、希はそういって床につきました。
「ドン」という衝撃で目が覚めました。いつもつけて寝ている豆球が消え、真っ暗になりました。同時に体中が左右に激しく揺さぶられ、上から物が落ちてきました。とっさに同じ布団に寝ていた下の娘をかばうと、「ギャ」と希の声がしました。
「希」「希」と呼びましたが返事がありません。
「おとうさん、おとうさん、希が、希の上に何か落ちた」
主人の上にも何か落ちてきたようで、立ち上がろうとすると、頭がつかえ、まっすぐ立てる状態ではなかったようです。
「わからへん。何も見えへん。どこにいる」
「私は大丈夫。理菜もここにいる。希をなんとかして」
懐中電灯のあった柱は倒れ、玄関もつぶれていました。
「助けを呼んでくるから待ってろ」
主人は、そう言ってゆがんだ勝手口を蹴破って外へ出て行きました。
私は動けず、どうにか自由になる手を伸ばして希を探りました。そこに希の手がありました。
「希」「希」と手を握りしめても反応がありません。左手の下の娘は動き出そうとします。今、私の腕の下から出ていったらどんな危険が待っているか、わかりません。
「理菜もう少しねんねしてようね」と言いました。体の上の物の重さが増してきます。
主人が懐中電灯を借りて帰ってきて、助け出してもらいました。
灯りに、照らし出された部屋の中は、数時間前とは一変し、大きなピアノが斜めに倒れその角が希の頭の上にありました。二階のはりがピアノの上にありました。
「誰か助けて」
外に向かって叫びました。希のお友達のお父さんが「大丈夫か」。
と来てくださいましたが、大人二人ぐらいの力ではどうにもなりません
主人に「外に出ていろ」と言われ、下の子を毛布でくるみ外へ。外に出ると昨日まであったご近所の家はつぶれ、道をふさいでいます。
「誰か助けてください。救急車に電話してください」
「行かれへん。電話も通じへん」
下の娘を抱いて裸足で立っていると若い男の子が靴を持ってきてくれ、大人一人がやっと通れるぐらいの穴から道路に出てきました。やがて数人の人が車のジャッキ二台を使って希を助け出してくれました。その時娘には息がありませんでした。
近所の病院から看護婦さんがとんできて下さり、家の車はキーがなくて使えないため、近所のご主人が病院へ運んでくださいました。病院への道も道路はゆがみ、がれきで寸断されています。
はじめに運ばれた病院は、ライフラインを断たれ、すぐに修羅場と化してきました。点滴を受け、どうにか心臓は動き出したのですが、それ以上どうしていただく事も出来ませんでした。神戸大病院へやっと連絡がつき、搬送されました。集中治療室で先生から聞かされた言葉は、「手遅れです」ということでした。奇跡を祈り続けましたが、翌日午前十時、息を引きとりました。
主人が倒れた家からどうにか取り出してきた、赤いトレーナーや大好きなセーラームーンの靴下を履かせ、病院を後にしました。
西宮の実家へ帰る途中、大好きだった幼稚園の前を通り、実家へ着いたのは夜の八時をまわっていました。一時間ぐらいで着くところを、九時間近くかかりました。とてもお月様がきれいで、
「のんちゃんお月様よ」
と言うと、その顔はまるで笑っている様でした。
十二月の音楽教室のクリスマス会で、目をつぶって手を握り、お母さんを当てるゲームで、あなたはすぐにお母さんを当ててくれました。
「お母さんの手はいつもあたたかいもん」
「お母さん疲れたら言ってね。いつでも肩たたいてあげる」
そう言って笑っていた希。幸せだったあの時はもう戻ってこないんですね。
希はあの混乱の中、多くの人に助けて頂きました。電気が通じていないため、何時間も手で人工呼吸を続けて下さった看護婦さんが、
「希ちゃん頑張りよ」
と言って下さった言葉がどれほどうれしかったか、みなさん本当にありがとうございました。
あなたを奪った大震災がお母さんは本当に憎いです。今、お母さんもお父さんも死ぬことを怖いと思いません。天国にいるあなたに会えるまで頑張りますね。のんちゃん、見ていてくださいね。
震災体験手記集 第一巻「被災した私たちの記録」(阪神大震災を記録しつづける会)から転載
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