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更新日:令和6(2024)年1月22日
ページ番号:314146
現在の千葉市周辺は、奈良・平安時代には下総国千葉郡と呼ばれる地域でしたが、平安時代の後半、全国各地に皇族や貴族の領地である荘園が作られるようになると、「千葉庄」という荘園が成立します。平安時代末期(12世紀)に、ここを本拠としたのが房総を代表する武士・千葉氏一族です。千葉氏は、平安京を築いた桓武天皇の子孫で、その先祖や一族には東国で大きな反乱を起こし武士の世の先駆けとなった平将門や平忠常がいます。
千葉氏の中でも特に著名な人物に、平安時代末期の千葉常胤がいます。彼は、平家に追われて房総に落ちのびた源頼朝を温かく迎えて援助し、鎌倉幕府を開くのに大きな功績を残しており、頼朝からは第二の父とも呼ばれ慕われる存在でした。千葉常胤の援助は、鎌倉幕府、その後、江戸時代まで続く武士の世の幕開けに大きく寄与していたと言えるでしょう。
常胤の子孫は、その後、戦国時代まで関東を代表する武士として勢力を持ち続け、戦国時代の千葉氏の居城・本佐倉城跡は、国指定史跡として酒々井町と佐倉市に残されており、当時の威容を現在に伝えています。
千葉介常胤木像
(安西順一作)
(千葉市立郷土博物館蔵)
本佐倉城跡の主郭跡
〔写真提供:酒々井町教育委員会〕
城の中心で城主が儀式や接待を行った建物跡(主殿・会所)の様子が分かります。
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