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更新日:令和5(2023)年5月11日
ページ番号:314980
(ちばけんりつさくらこうとうがっこうきねんかん)
国登録有形文化財(建造物)
1棟
平成17年7月12日
佐倉市鍋山町18(千葉県)
千葉県立佐倉高等学校の前身は、寛政4年(1792)佐倉藩の藩校として創立された佐倉学問所。日本で初の蘭和辞典「ハルマ和解(わげ)」をはじめとする貴重な古書等を所蔵している。また、これまで西洋画家の浅井忠、建築家の伊東忠太、元プロ野球選手の長嶋茂雄など、多くの著名人を輩出してきた。
記念館は、佐倉藩最後の藩主、堀田正倫(まさとも、1851~1911)の援助により、明治43年(1910)に建設された。設計は、後に鉄道省の初代建築課長となった久野節と後藤政二郎であることが、棟札からも確認されている。県内の高等学校で唯一、現在も使用されている明治期の木造校舎(現管理棟)である。
建築構造は木造2階建、銅板葺で、外観として、桜の花びらを型どった透かし彫りを持つ玄関車寄せを中心に、ほぼ左右対称の構成となっている。玄関上部の大棟には小さな庇をつけた換気塔があり、その手前の軒先には換気を兼ねた丸窓を持つ換気屋根がある。玄関の両脇には、この建物の外観で最も印象的な双塔があり、鉄棒状の棟飾りを持つドーム屋根、上げ下げ窓の上部のペディメントなどが、バランスよくデザインされている。このほかに、覆輪目地(ふくわめじ。通常の目地は凹んでいるが、蒲鉾状に盛り上がっているもの)を持つ煉瓦基礎、連続的に配置された縦長の形状の上げ下げ窓、水平のラインを作り出している外壁のドイツ下見板など、明治後期の洋風学校建築の特徴をよく留めている。
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