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更新日:令和5(2023)年10月4日
ページ番号:315180
(もくぞうかんのんぼさつざぞう)
県指定有形文化財(彫刻)
平成16年3月30日
香取市西和田727-1(梅林寺)
梅林寺本尊である木造観音菩薩坐像は、像高83.0cm、ヒノキ材の寄木造で漆箔仕上げである。髻はなく、天冠台は紐2条の上に列弁文帯、正面中央で下向きに尖らせてあり、髪は毛筋彫りで鬢髪が耳にかかる。白毫相をあらわす。背部から右肩、右腕をおおう覆肩衣をつけ、衲衣は右肩に少し懸かって左肩をおおい、左肩で大きく折返す。腹前に裙の上縁と帯(下向きの列弁文帯)をあらわし、法界定印を結び、結跏趺坐している。
この像は、平成8年(1996)に修理されたが、その際に像内の造像当初の墨書銘が発見された。これによれば本像は木内庄(現在の香取市東部)の崇福寺の本尊観世音菩薩像として、道宗を檀那とし、南北朝時代の文和3年(1354)に大仏師法眼康舜及びその子息運隆により造られたことが判明した。
現在、香取市町五郷内に梅林寺と同じ臨済宗妙心寺派の崇福寺があり、この像のはじめの寺ではないかと考えられている。しかし、この像が梅林寺に移された経緯や時期については不明である。銘記によれば、本像は観世音菩薩像と称されているが、その姿は禅宗寺院に見られる華厳経による毘廬遮那如来(釈迦と同体であるため釈迦如来とも呼ばれる)の姿をしている。この姿の像を観音とすることの教義的意味については、明らかではない。
この像は、鎌倉時代末、南北朝時代の南都大仏師康俊・康成に連なる仏師康舜の作として、造立の年代も明らかであり、また、当時の慶派末流の堅実な彫技を示すものとして、彫刻史上に貴重な遺品である。
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