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更新日:令和5(2023)年12月13日
ページ番号:315315
(いたえちゃくしょくふじのまきがりずえま)
県指定有形文化財(絵画)
平成5年2月26日
木更津市長須賀2444(日枝神社)
葛飾北斎(1760~1849)が、文化3年(1806)6月頃に木更津に旅したときの作品で、画面左下の落款には、「画狂人北斎旅中画之印」とあり、左上に由来が墨書され文化3年(1806)に現在の木更津市長須賀の日枝神社氏子により奉納されたことが示されている。北斎は文化2年(1805)頃から「葛飾北斎」と号するようになり、独創的な作品を続々と発表してゆく。
この絵馬は、ヒノキ材の横長の板4枚をあわせて、中央縦139.5cm、左右縦121.5ccm、横180.5cmの家形に仕立てられており、目の詰まった良質のヒノキ材に胡分下地を整え彩色されている。絵の具は顔料(岩絵の具)を中心に染料が併用されている。完成当時は華やかな色彩にあふれた豪華絢爛たる絵馬額であったと思われる。
画面には遠景に富士とその裾野が配され、中央に源頼朝が行った富士の狩が描かれている。曾我兄弟の仇討ちで知られる建久4年(1193)の巻狩りの、手負いの猪が勢子を牙にかけ負傷者が続出するなか、仁田四郎が猪の背中に乗って止めを刺すという勇壮な場面である。江戸湾をはさんで富士を望む木更津の日枝神社にふさわしい画題といえる。猪の毛描きには勢いがあり、格闘する仁田四郎や逃げとまどう勢子など、その描写には壮年の北斎が見せる迫力ある画技をうかがうことができる。
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