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千葉県東方沖地震は、昭和62年12月17日午前11時頃発生しました。
この地震は、房総半島九十九里浜付近のやや深いところ(深さ約50km)で発生した、沈み込んだフィリピン海プレート内で発生した地震といわれています。
気象庁の発表では、勝浦、千葉、銚子で最大震度5を観測し、千葉県を中心に広範囲に被害がおよびました。地震の規模を示すマグニチュードは6.7、被害が甚大だったことからこの地震は「1987年千葉県東方沖地震」と命名されました。
※現在気象庁が発表する震度階は、全国各市町村に配置された計測震度計による記録をもとに9段階に分けて発表していますが、千葉県東方沖地震が発生した当時は、気象庁の気象官署職員の体感震度を基本に7段階の震度を決定していました。
千葉県東方沖地震では、倒れてきたコンクリートブロック塀や石灯籠の下敷きになって、2名の死者、100名を超す重軽傷者が出ました。人的被害のほか、多くの建物被害が発生し、なかでも、瓦の落下などによる家屋の一部破損は東金市や茂原市など山武地域、長生地域を中心に7万棟を超えました。
また、液状化やがけ崩れによる被害も多く発生しました。液状化は市原市の埋立地を中心に学校や住宅地、工場地など277箇所で発生しました。
さらに、長南町など長生地域を中心に崖の崩落など土砂災害が発生しました。
電気、水道、ガスなどのライフラインは、停電、断水、供給停止となり、地域によっては1ヶ月以上にわたり不自由な生活を強いられました。
この地震による被害額は総額約404 億円に達し、その中でも住宅被害は200 億円を超しました。
地震のゆれは、東北地方から中部地方に至る広い範囲に及びました。
※「日本の地震活動-被害地震から見た地域別の特徴-追補版-」(総理府地震調査研究推進本部地震調査委員会、1999)より引用
この地震による死者は市原市と茂原市でそれぞれ1名ずつでした。また、東金市、市原市、長南町、長生村、一宮町の5市町村で家屋の全壊がありました。
当時県内では、銚子、千葉、勝浦、館山の4つの徽章官署で震度を観測していました。
※出典:千葉県防災誌「関東大震災」
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千葉県は、千葉県東方沖地震によってどのような教訓を学んだのか検証するため、地震体験者を対象に、地震発生時の状況や行動についてアンケート調査を実施しました。
地震発生時には、調査対象の80%以上の人が屋内にいたと回答しています。
地震が発生したとき、約50%に相当する800人以上の人が冷静に様子をみており、あわてて何もできなかった人は8%以下でした。
全体の半数以上に相当する800人以上の人が「肉親の安否」と回答しました。
つづいて、余震の不安、火災発生、ライフラインに対する不安が多くなっています。
必要とする情報の種類については、「家族・自宅の状況に対する情報」が最も多い回答でした。
千葉県東方沖地震から学んだ教訓として、最も多くの回答があったのは「家族の連絡先・集合場所を決める」でした。そのほか、「食糧や飲料水の確保」、「非常持ち出し品の準備」などが多くなっています。
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