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関東大震災とは、大正12 年(1923 年)9月1日に発生した、プレート境界付近を震源とする海溝型の地震です。これまで経験したことがないような激しい揺れが、突然関東一円を襲いました。
地震の規模はマグニチュード7.9、エネルギーに換算すると阪神・淡路大震災をもたらした「1995 年兵庫県南部地震」の約8個分に相当します。さらに、その3分後にはマグニチュード7.2、さらにその2分後にはマグニチュード7.1の余震が起こりました。首都圏は、わずか5分の間に、マグニチュード7クラスの強い揺れに3回も襲われたのです。
大きな余震はさらに続き、翌9月2日には勝浦の沖合いを震源とするマグニチュード7.6 の、本震にも匹敵する地震が発生し、さらに同日夕方には、九十九里沖でマグニチュード7.1 の地震が発生しました。
千葉県や神奈川県などにも壊滅的な被害をもたらし、東京が廃墟と化した関東大震災は、史上まれにみる災害として記録に残っています。この関東大震災にちなみ、9月1日は「防災の日」と定められました。
関東地震の震源域と余震の図(出典:千葉県防災誌「関東大震災」)
関東大震災による死者数は、全体で10万人を超え、その9割が火災による焼死でした。
千葉県では、房総半島南部の館山市北条、那古地区、南房総市、市原市の養老川沿い、木更津市、富津市のほか、東葛地域の江戸川沿いの低地でも建物の倒潰など被害が集中しました。
千葉県での被害の内訳をみると、建物の全半潰により2万棟近い家屋が被災し、死者は1,200人を超えました。
さらに津波などによる流失、土砂崩れなどによる埋没、また交通・通信機能も破壊され、被災地は生活の機能がほとんど失われてしまいました。
そして被災者は正しい情報を入手できない状況の中、流言(デマ)が飛び交いパニック状態にあったといわれています。
関東地方における関東大震災の建物被害と想定震度分布
(出典:千葉県防災誌「関東大震災」)
千葉県における関東大震災の被害について、地図上で見ることができます。
(出典:千葉県防災誌「関東大震災」)
関東大震災の際、住民は揺れと同時ににわかに海水が引いたのをみてすぐ、高台に逃げたといわれています。特に安房地域は、元禄地震の際にも大きな津波被害を受けており、そのときの教訓が代々語り継がれて残っていました。
関東大震災における津波の高さは、館山市の相浜地区で9メートルほどありましたが、そのほかの地区では2メートル以下でした。被害の状況を見ると、流失した家屋が相浜地区で63戸、布良地区で7戸、洲崎地区で1戸でした。津波の犠牲者は逃げ遅れた老人一人のみだったそうです。
元禄地震では千葉県で流失家屋5,000戸以上、津波の犠牲者2,000人以上であったことを考えると、幸いにも関東大震災における千葉県での津波被害は少なかったといえます。
このように、過去の災害の体験は、語り継ぐことによって防災に生かされます。
千葉県では、館山市、南房総市、市原市、木更津市、君津市、富津市、茂原市、長南町、睦沢町において、地割れ、土砂崩れ、地すべりなどの土砂災害が発生しました。
館山市那古町では、幅30メートル、高さ40メートルの崖が崩落し、住家12戸が埋没、即死者3名の被害がありました。また、南房総市和田町の白渚でも浅間山の南東斜面が崩落し、三原川がせき止められ、あふれ出た水で周辺の15,000平方メートル以上の水田が流失しました。
また、液状化による被害も千葉県各地でみられました。
液状化被害が最も多く発生したのは、養老川や小櫃川の河口部、館山市の海岸などに広がる沖積低地でした。養老川、小櫃川下流では河口部の三角洲の宅地や水田で噴砂、噴水が発生しました。
館山市では、北条海岸に沿って南北約5キロメートル の陥没地帯が生じ、それに平行した地割れが多数生じました。これらの地割れからは多量の水、砂、泥を噴出したということです。
液状化による館山市北条海岸の地割れ
出典:千葉県防災誌「関東大震災」
関東大震災は、千葉県内でも特に安房地域に甚大な被害を及ぼし、被害が大きかった北條町や舘山町では、被害戸数の割合が97%を超えました。
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