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更新日:令和4(2022)年6月21日
ページ番号:28172
防災誌「風水害との闘い」(要旨)
-洪水との闘い、十五夜の嵐、竜巻-
日本第1位の流域面積を誇る日本を代表する河川「利根川」は、「坂東太郎」(関東の長男)との異名を持ち、日本三大暴れ川の一つに数えられています。特に徳川家康により、元々東京湾に流れていた流れを人工的に太平洋に流れるようにする「利根川の東遷事業」が始まってからの約300年間では、2~3年に1度の割合で洪水に見舞われてきました。
特に明治43年の「庚戌(かのえいぬ)の大洪水」では、被害は利根川沿岸のみならず、印旛沼、手賀沼流域の内陸部にまで及び、県内で79名の犠牲者を出すなど、明治・大正を通じて千葉県で最大の洪水被害をもたらしました。
このように、300年にわたる洪水被害を蒙る中で、多くの治水事業も計画・実施されました。そして、その洪水対策が現在に引き継がれることにより、利根川、印旛沼、手賀沼の洪水被害は激減したのです。
この章では、洪水と闘ってきた先人たちの長年の苦労と生活の知恵を知ることができます。
千葉県では、過去に大きな高潮被害が発生しています。1917年(大正6年)10月1日に来襲した高潮は、浦安市、市川市などに甚大な被害を与え、「大正6年の大津波」という呼び名で言い伝えられています。
9月30日の夜は中秋の満月、潮は大潮、翌朝の満潮時刻に向けて潮位が上昇し始めたところに台風が猛スピードで接近してきたのです。その結果、海面が一気に上昇し、気象災害史上に残る高潮に襲われたのです。
また、江戸時代から塩づくりの産地であった行徳(市川市)は、幾度となく高潮、洪水などの風水害に襲われ、「大正6年の大津波」により、壊滅的な被害を受け、昭和4年にその幕を閉じることになってしまいました。
1990年(平成2年)12月11日、午後5時~8時の約3時間に雹(ひょう)、落雷などの現象を伴い、千葉県内の6か所で突風が発生しました。そのうちの5か所の突風は、竜巻によるものでした。中でも茂原市で発生した竜巻では、死者1人、負傷者70人以上、損壊した建物1,600棟以上の被害が発生しました。わずか7分間の出来事でした。
風速70~92m/sともいわれる竜巻の前では、10トンもあるダンプが横転したり、マイクロバスが浮かび回転し落下したほか、家屋が風で飛ばされ逆さまになったりしました。
この章では、突風の恐ろしさのほか、竜巻をはじめとする様々な突風の発生メカニズムを学べるようになっています。
この章では、現在の風水害への取り組みを紹介するとともに、高潮、洪水、土砂災害、強風・突風への対策を掲載しています。気象情報を収集し、風水害に対して適切な備えを行うことの大切さや豪雨・強風への心得6か条などが掲載されています。
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