ここから本文です。
更新日:令和4(2022)年6月21日
ページ番号:28174
防災誌「元禄地震」(要旨)-語り継ごう 津波被災と防災-
今から300年前の千葉県を襲った、前代未聞の巨大地震津波の恐ろしさと被害状況についてまとめています。
現存する記録には、生々しい当時の様子が表現されており、地震の揺れの状況、家屋が押し潰される状況、津波の押し寄せる状況、デマに惑わされた人々の状況などがわかります。
元禄地震の全体の死者数は1万人を超えていますが、房総(千葉県)での死者数が全体の6割以上を占めており、また、房総での家屋の流失被害が特に大きくなっていることから、房総の死者数には津波による死者がかなり含まれていることが容易に想定できます。
この津波で犠牲になった人たちの霊を慰めるための供養塔や墓碑、位牌等のほか、津波にまつわる伝承を紹介しています。
二十三夜講(注)が生死を分けたことなど、助かった人とそうでなかった人との些細な行動の違いや地域特性などに触れています。
(注)十五夜と並ぶ月待行事。深夜0時に昇る月(下弦の月)を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事。この夜、月待ちをすれば、願い事がかなうともいわれている。
地震によって土地は隆起(注1)したり沈降(注2)したりしました。
隆起した地域では、新しい浜が誕生し、人々に利益をもたらした反面、場合によっては新しい土地をめぐって争いが生じたことなどがわかります。また、沈降した地域では、移住を余儀なくされた人々が多数発生するなど、地震による土地の隆起と沈降が人々の生活の明暗を分けたことがわかります。
(注1)隆起した土地:南房総市野島崎、館山市布良等
(注2)沈降した土地:鴨川市内浦湾、鋸南町保田等
本書における、もっともメッセージ性の高い章です。
元禄地震体験者が後世に残したメッセージや現在の千葉県の防災への取り組み、津波への心得六か条(本文26ページ掲載)などが掲載されています。
元禄地震の津波を体験した人は、「大きな地震が発生した場合は家財を捨てて早く丘に逃げる」ことを、後世の我々に説いています。
また、安政南海地震の際に津波に気付いた濱口梧陵(注)が、暗闇の中で逃げ遅れた人々を助けるために、収穫したばかりの稲に火をつけ、村人を高台にある神社へと導いたという「稲むらの火」という話は、我々の地域における共助の取り組みとして大変参考になります。
(注)「稲むらの火」は和歌山県の話。濱口梧陵は、銚子のヤマサ醤油を経営した濱口家7代当主。
関連リンク
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください